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『なるべく心の忙(せわ)しくない,ゆっくりした余裕のある時に,一節ずつ間をおいて読んでもらいたい』本。

本の紹介から

こちらの方のこのnoteに出会った。


こちらを読み、『柿の種』を読みたくなった。

私も柿の種が好きだし。

寺田寅彦さん


私がこの人を知ったのは多分小学生の頃。

私の弟は寅年なので、母が弟の名前を『寅彦』にするか迷ったのよ、と
私と弟に話したのだ。
ちなみに弟は『○彦』という名前である。

そもそも、フルーツバスケットで、名前の最後が『こ』だから女子に混じって動くのを嫌がっていた弟。

まだ幼い彼は、『とらひこ?とらひこなんていやだよ。』とか何とか言ったような気がする。

すると母が言ったのだ。

寺田寅彦さんという物理学者であり、随筆家でもあり、俳人でもあり、才能ある人がいるのだと。

ずいひつ
はいじん
について、私と弟に説明してくれた。

それが私と寺田寅彦氏の出会い。

久しく読んでいなかった。

『柿の種』

大正九年ごろから、俳句雑誌『渋柿』の関東第一ページに『無題』という題で、書いていたものをまとめたもの。
(この欄は他の方も受け持っていて、寺田寅彦さんだけが書いていたわけではない。)

それが、岩波書店にいた小山二郎さんという方が出版業をはじめることになり、この機会に上記の短編を集めて出そうということになったらしい。

この本は1996年に出されているから私が子供の頃の母は読んでいないはず。

もっと昔に出された随筆集を読んでいたのだと思う。

著者の願い

「なるべく心の忙(せわ)しくない,ゆっくりした余裕のある時に,一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」というのが、著者の願いだ。

読み始めたが、私は好き。

心が忙しなくないとき。
ゆっくりした余裕があるとき。

すでに、大正時代にも忙しさはあったんだなぁと思う。

寺田寅彦さんが現代にいらしたら、どんな感想を持たれるのか気になってきた。

ちなみに、

『天災は忘れた頃にやってくる』の言葉を残したのも寺田寅彦さんだ。

1996年。
この本が出された頃、私はモーレツ会社人間で会社の人と過ごす時間が圧倒的に長かった。

だから、寺田寅彦さんの願う、
心が忙しなくない時
心に余裕がある時の真逆。
常に時間と締め切りに追われていた訳で、今この本に出会って良かったのだと思う。

短編抜粋

眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。
しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。なぜだろう。

(大正十年三月、渋柿)

確かにね。

怖いものとか見たくないものを見ないように目は閉じたいけど、
そんな時でも防衛のためにも耳は聞こえた方がいいからだろうか。
(耳を塞ぐかは自己判断)

なぜだろう、本当に。

これは、虱の話。
大正時代故?
今の時代、虱なんているんだろうか?

虱をはわせると、北へ向く、ということが言い伝えられている。
まだ実験したことはない。(以下略)

(大正十年四月、渋柿)

油絵をかいてみる。
正確に実物の通りの各部分の色を、それらの各部分に相当する「各部分」に塗ったのでは、出来上がった結果の「全体」はさっぱり実物らしくない。全体が実物らしく見えるように描くには、「部分を」を実物とは違うように描かなければいけないということになる。印象派の起こったわけが、やっと少しわかってきたような気がする。
思ったことを如実に言い現すためには、思った通りを言わないことが必要だと言う場合もあるかもしれない。

やっぱり面白い。

また大正時代の雰囲気も味わうことができる。

他の随筆

まとめた随筆集もある。

五巻あるから買って読みたくなった。

連休でトムラウシ温泉に引きこもって読むのもありかも。

(網走に蟹を食べに行くとなれば引き篭もれないが)


小説より随筆が好きな私。
久しぶりにこの人を思い出した。

昔読んだ記憶もあるが忘れている。

また読み返す楽しみができた。

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