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ジュエリーブランド Blanc coco (R) の代表兼アートディレクターYuに聞く:デザイナーへの道 part 1

デザイナーになると一言で言えど、きっかけや学びは人それぞれ。
今回はハワイをはじめニューヨーク・東京・ロサンゼルスで活動するYuさんにデザイナーになるまでの経緯をお聞きしました!



なりたいものがわからなかった高校時代


⸺ Yuさんがなぜデザイナーになろうと思ったのかを教えてください。

Yu :「最初は将来デザイナーになりたいという願望はありませんでした
ずっと自分の好きなことが見つけられなかったんです。
画家であった叔父の影響もあり漠然と画家になりたいと思ったり。笑
ただ高校の美術の授業でコラージュを作ったり、油絵やデッサンは楽しいと思っていました。
一眼レフカメラにもはまり、モノクロ写真のかっこよさや、深みにものめり込んだりしていました。

高校の先生にデザイナーになるのはどうかと聞かれたこともあったのですが、当時はまだ自分の中でピンときていませんでしたし、デザイナーは狭き門で非現実的にも感じていました。
そんな中唯一辞めなかったのは、放課後受けていたデッサンの補講クラスでした。
高校を卒業しても先生にお願いして家庭教師に来てもらう事もありましたが、ほぼデッサンを最後まで完成させることはできなかった。
やっぱり夢がなかったから乗り超えれなかったんだと思います。」


アパレル勤務の中で湧いたデザインへの興味


⸺ 漠然と何かを作ることに興味があったということですね!卒業後にデザイナーになりたいと思えるような転機やきっかけが訪れたということでしょうか?

Yu:「その後、好きだった大手アパレルショップに勤務して社会を経験しました。
一生懸命働いても怒られてばかりで、悔しくて帰りの電車で泣きながらも続けていく事で、接客の楽しさを学ばせてもらいました。

そして、シーズンごとにショップに送られてくるポスターやノベルティ、ショッパーなど様々なブランドコンセプトのもとに作られたデザインを見ることがとても楽しくて、これがデザインなのかな?と思うようになり、自分もデザイナーになって制作したいと思うようになりました。
今思うと、ブランドの世界観をこの時に体感したのかもしれません。
好きなこと、夢中になったことの延長上にデザイナーになるきっかけがあったという感じです。」


知識と即戦力を得るために2つの学校へ進学


⸺ デザイナーになろうと決意されてから、どのようにデザインを勉強し始めたのでしょうか?

Yu:「21歳の頃、思い切って2つの学校に同時に通いました。
一つはグラフィックデザイン専門の学校で、デザインの概念をはじめ印刷の基礎やプロセスワーク・プレゼンや企画の進め方を学びました。
もう一つは現役の大手広告代理店の電通の営業やアートディレクター、デザイナーが講師として指導する就職後の実務を学ぶ学校です。

2つの学校に通った理由は、デザインの知識を得ると同時にデザイン業界で通用する即戦力を身につけなければならないと思ったからです。
就職へのスタートを切るのが遅かったこともあり、デザインを勉強してデザイナーになろうと強く決意しました。
入学後は本気で課題に取り組み、同級生から完成度を褒められることもありましたが、自分の限界値を決められているような気がして全然嬉しくなかった。
自分にはまだまだ可能性があると信じていました。」


「使えるデザイナー」になるための技術とマインド


⸺ 2つの学校で熱心に勉強されたんですね。 具体的な授業内容を教えてください。

Yu:「デザインの専門学校では、グラフィックデザインの基礎を学びました。
その他にも、感覚を養うための平面構成やデッサン、クリエイターとして0から1を生むための自己表現やアイディア出しの方法、コンセプト制作やプレゼン方法など、様々なことを学びました。
特に企画書を作成する際は、たとえ後づけでもデザインにロジカルな説明を加えなければなりません。
完成したデザインと向き合い、「なぜ?」をひたすら自問自答し深掘りしたのを覚えています。

広告代理店指導の学校では、過去に実施された大手企業のコンペをもとに制作からプレゼンまでを行うといった就職後の実務さながらの授業を受けました。
当時の時代性もあり、かなりスパルタ指導で、本当に怒られてばかりでした。笑
入学当初はアーティスト質が強かった私ですが、アーティストとクリエイターの意識を区別すること、仕事として作り込むマインドを徹底的に叩きこまれました。
学校の方針は、美大卒だからと言って即戦力になるとは限らない、どこに行っても通用する“使えるデザイナー” になるよう鍛え上げるというものでした。
一人前のデザイナーになるためには、自分の中にアナログの感覚を持つことが大事です。
パソコンはただのツールに過ぎず、それを否定できる感覚を持つこと。

自身のアナログ感覚を養うために、写植屋(写真植字:写真技術を応用して、作業者の入力に応じて印画紙に文字を印刷する技術)に依頼して、全て手作業で版下を作成していました。
作成した版下は、実際に印刷業界大手企業(凸版印刷・大日本印刷)に見積もりを提出し、入稿用として使用していただきました。
口癖で『0.1mmに命を懸けてる。』と豪語していたほど、バイトで学費と印刷代を稼ぎながら必死に徹夜で課題をこなしていました。
パソコンがまだ無かった時代における、デザイナーの感覚のレベルの高さを実感しました。」


本格的にデザインを学ぶ中で得た確かな感覚 


⸺ 過酷な環境の中でデザインスキルを磨かれていったのですね!

Yu:
「制作に関して一斎甘えが効かない環境の中で何度も何度もダメ出しや、修正作業を重ねました。
私の中ではできているのに、求められている“よい・きれい” に到達しない状況が続きました。
納期に間に合わない焦りの中、徹夜しながら文字だけを何十枚も拡大し模索している中で、ある時「これだ!」と腑に落ちた瞬間を得たんです!

そこからは見えている世界が不思議なくらい変わって、文字間・行間(ホワイトスペース)が整っているかいないか、視覚的な感覚でわかるようになり、講師の方々からも文字組を絶賛してもらえるようになりました。
デザインは最終的に人の目で判断し微調整をします。
言語化ができない領域のため、肌感覚を養うことが何より大事だと学んだ貴重な経験でした。」


Mikiより
⸺ 実務に勝る学びはないということですね!アパレル、写植屋さん、デザイン学校、広告代理店指導から得た学びが今のYuさんを作っているということがわかりました。

次回はデザイン学校を卒業された後の就職についてYuさんにまたお話を伺いたいと思います。
ありがとうございました。


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