「ただいま」と言える空間

最近、いつ「ただいま」と言っただろうか。昨日。いや、もっと前かもしれない。


最近、いろんな事があり過ぎてnoteを書こうと思えなかったのにも関わらず、ふと自分が書いたnoteのタイトルを見ると書きたくなった。

そういえば、投稿1発目は生きることについてだったな…まぁ、だからなんだって話なんだけども…



さて、今回はタイトルにも書いた『「ただいま」と言える空間』について考えようと思う。


私が思う「ただいま」と言える空間、もといい場所は複数ある。


やはり1番は家族のいる家ではないだろうか。

何があっても待っていてくれる、迎え入れてくれる、信用してくれている人。そんな人のいる場所が1番そう感じる場所だと思う。

家族とは言っても、実家が1番ではないかとも思う。家庭を持ったことがあるわけではないが、数年前までは他人だった人と新たな家庭を築くことは素晴らしいこと。そして、迎えてくれる人がいることも素晴らしい。ただ、長年一緒にいた実家の家族はそれよりも素晴らしいと考える。

以前書いたように恵まれた環境下で生まれたことも関係しているのは確かだ。流石に全員当てはまるとは思えない。…でも、実家という括りとしてだけでなく、家族は大切だと思う。例えそれが人でなく、ペットだとしても大切である。


他を考えよう。例えば地元。

ここもそうだと考えられる。友人と会えば昔話に花が咲く。幼い頃に訪れた場所に行けば思い出が浮かぶ。よく行った場所が無くなっていたときの悲しさはあるが、それを見たときに思い出すことは楽しいことが多いのも確かだ。

駅に着いたとき、空気を吸ったとき、どことなく温かい気持ちになるのは良い思い出が多いから。もちろん嫌な思い出もある。悲しい出来事もある。それでも嫌いになれないのが地元だと思っている。


さて話が少し脱線したが、「ただいま」と言える空間はもう1つある。

それは仲間のいる場所だ。

どんなに辛くても、どんなに苦しくてもそれを話せる仲間や友人がいることが何より大事なことではないだろうか。苦楽を共にした人とは性別・年齢関係なく大切にすべき存在だと考える。その存在は決して多くなくていい。むしろ、1〜2人ぐらいでもいい。裏切らない、裏切られない関係性が生まれたその人と一緒にいる、だだそれだけでも心が安らぐことであり、それが大切なことなのだ。


つまり、「ただいま」と言える空間・場所は自分にとって大切にしていきたい所ということなのではないだろうか。

どんな仲間だっていい、家族だっていい、必ず迎えてくれる人がいる場所。それが心から「ただいま」といえる空間だ。


少なくとも、これを読んでくれた方にはそんな空間が1つあって欲しいと思う。

思い返して欲しい。貴方には困ったときに助けてくれた人はいただろうか。

手を差し伸べてくれた人。

気にかけてくれて人。

そんな人を大事にして生きてほしい。


まだ人生経験の少ない私が上から言えたわけではないが、本当に大切にしていって欲しいと思う。


近年問題視され始めた誹謗中傷やクソリプと言われる類の返信に負けないで欲しい。

負けそうになったら、いったんネットから目を背けてください。世の中情報過多になりすぎなのです。大丈夫。2、3日ネットから離れようが置いていかれることはないのだから。むしろ、その2、3日で見えたことが今後の人生を豊かにすることだってあります。その2、3日で本だって読めます。無理にネットの世界にいる必要はないのです。


最後に、これを読んだ方にも「ただいま」と言える空間がありますように。そして、少しでも幸せになれますように。



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