愛新神楽溥儀(ラストエンペラー)の真実 - 963文字
概要
アヘン戦争は、1840-1842で、
清🇨🇳とイギリス🇬🇧の間で行われた戦争である。
また、インド🇮🇳は、イギリス植民地にあった。
清は、1757年以降、広東港でのみ、
ヨーロッパ諸国と貿易をしていた。
三角貿易の通貨は、銀であった。
以下、
イギリス→🇬🇧、清→🇨🇳、インド→🇮🇳とする。
🇨🇳から🇬🇧へ茶・陶磁器・絹を輸出(🇬🇧赤字⚠️)
🇬🇧から🇮🇳へ綿織物を輸出(🇬🇧黒字🤩)
🇮🇳から🇨🇳へ銀を輸出(🇬🇧無視⚠️)
🇬🇧から🇨🇳へ 銀が流出⚠️
🇬🇧から🇨🇳へ 高価品(時計・望遠鏡)を少量輸出🤭
🇬🇧は、🇨🇳からの輸入過多を抑えるために、
(インド🇮🇳がロンドンを飛び越えて清🇨🇳に銀を輸出していたことに切れてた😡かもしれないが🫣)
🇮🇳にアヘンを🇨🇳に密輸させることで、
🇮🇳に罪悪感を植え付け、🇬🇧を無視しないことと
🇨🇳の文化を衰えさせ🇬🇧への輸出量を減らすこと
これらを用いて、
🇬🇧の産業革命とアメリカ🇺🇸との独立戦争への資金源とした。
結果
アヘン戦争の結果、イギリスの勝利となり、以下の不平等条約を締結することになった。
香港島のイギリスへの割譲(舟山と厦門は賠償金の支払い後に返還)
イギリス人の広州、厦門、福州、寧波、上海の居住権の承認とこれら5つの港の開港及びイギリス領事の居住
公行の廃止(公行とは、日本で言う士農工商の商である)
賠償金2,100万ドルの支払い(うち最初の600万ドルの支払いまで南京封鎖)
その後
清は、上記5港を開港し、
そのうちの一つ(上海)に、
英国が、ラストエンペラー - 愛新覚羅溥儀さん
に対して、租界を設定したと思われる。
嵯峨浩さん(愛新覚羅溥傑の奥さん)は、1987年6月20日に亡くなっている。
愛新覚羅溥傑さん(下記左の方)は、
愛新覚羅溥儀の同母弟
嵯峨浩さんは、下記右の方。
元寇との関連
元寇は、モンゴル帝国(属国・高麗)の対日侵攻のことである。
大内弘貞さんは、一般には、
1281年(元寇)に、幕命を受けて、
豊前国へ進出したとされているが、
実は、大内弘貞さんは、
私の直系の先祖であり、
今年(2024年・甲辰)と同じ
(1332年・甲辰)の7月17日に亡くなった。
また、そこから、私の家系と、
辞世の句を読んだ
大内義隆氏の家系と分離する。
以上
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