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気を遣いすぎて逆に失礼になっている気がする。悶々とする誕生日当日。


私は今スウェーデンから一時帰国しており、実家にお世話になっている。
実家で暮らし始めて2か月ほどが経過した。


昔からその傾向はあるが、私は大人になってからさらに周りに気を遣うようになっている。

それは家族に対しても同じ。

普段それとない会話をする分には特に気を遣って窮屈に感じているとかいうわけではないが、実家にお世話になっているという立場上、私がいることで迷惑をかけたくない、という思いがとても強い。


学生の時と違って、一度成人して独り立ちした大人が、実家に帰ってきて一緒に暮らしている、という構図がもっとそうさせているとは思う。


親から迷惑と言われたことは一度もないしむしろ帰ってきてくれて全然いいよ~と言ってくれているが、勝手に自分で気を遣ってしまっている。


例えば本日22日は私の誕生日であるのだが、先週、一緒に住んでいる祖母から「お父さんにケーキ買ってきてもらいな~、どんなケーキがいいー?」と聞かれた。

私の反応はというと・・・
「ケーキはいらないよ~。最近甘いものを結構食べているし、ケーキ買ってもらうのも申し訳ないからいらないよ~~」というもの。


私がいなければケーキ代を払う必要もないわけで、そして実際私は特別ケーキが好きというわけでもない。

家族として、誕生日だからケーキ買わないとじゃん!と思ってくれているのはありがたいが、買わなくても大丈夫だよ~とうまく伝えるのが難しい。


結果的に誕生日当日の今日、だれもケーキを買っていなかった。
それでよいんだ、と思っていたところ
祖母は、私の父が買ってくるはずだと思っていたようで、帰宅した父がケーキを買っていないと分かると、怒っていた(笑)

そんな状況を見てさらに申し訳なさが込み上げる。

ケーキを買ってこなかった父を責めてほしくないし、でも祖母の私のためを想って怒ってくれている気持ちも嬉し申し訳ない。


そして自室でパソコンと向き合っている私に父がただいまと声をかける。

父は基本的に口数が少なく、ストレートに気持ちなどを表現する人ではないので「お誕生日おめでとう」は言わない。

それはもう慣れている。

今日はじーっとドアのところで立っているので「ん?」と思っていたら
「お前ケーキいるか?」と聞いてきた。

私:「え?なんでー?」
父:「今日あなた誕生日でしょう。ケーキ欲しいか。」
私:「いや、特に、、どっちでもよいよ~」
父:「チョコレートケーキが好きでしたっけ?」
私:「まあ白いケーキとどちらがいいかと聞かれればそうだね~」

とまあはっきりと結論が出ないまま別の話題に移った。


父は不器用でもあるので遠回しな聞き方や言い方も多い。

私は私で、気を遣ってしまうので「欲しい!」とは言えない。というかこと誕生日ケーキに関しては周りから「いる~?」と聞かれて「欲しい!」と言って買ってもらう、という感じは所望ではない。

ケーキが特別好きではないので、そりゃ聞かれたら特にいらないよーというのは気を遣っているのもあるが本心でもある。

私もなかなか面倒くさい人で、私に特に聞かずにご厚意でケーキを買ってきてくれたらとても喜ぶし嬉しくなるが、


ケーキ欲しいか聞かれると・・・あと聞き方もだが・・・
いや、いらないよ~そんな感じで責任感?から買ってもらって食べても申し訳なさが勝つだけだし・・・と感じてしまって本当にいらなくなる。



あああああ


そしてなんやかんやそんな感じの会話が繰り広げられた結果、勝手にずーーーんとした気分になる。

相手のことを考えて気を遣っていたはずなのに結果的に失礼になっていないか・・?ただ可愛くない面倒くさい娘みたいになっていないか・・・?と心配になってくる。


何事もバランスだよなあ。


気を遣わずやりたい放題言いたい放題も良くない。
気を遣いすぎて本当に言いたいことが言えないのも良くない。

人間関係って、考えすぎると正解分からなくて悶々としてしまうよね。


1か月に1回くらいこの悶々と細かいことを気にしすぎてしまう時間がやってくる。普段から毎日ここまで考えているわけではないのでご心配なくではあるが、悶々タイミングがやって来る度、ああ自分が意図しないところで誰かを傷つけたり悲しませたり悩ませたりしているのかなと考えると悲しくなるし辛くなる。

全く事実と違うかもしれない、実は誰も傷ついてもないし何も気にしていないかもしれない。特に家族であれば、私のちょっとした言い方や態度なんて気にしていない可能性のほうが大きい。


頭ではわかっているが、悶々Dayにはそう簡単に気持ちが整理できない。


一旦『美しい彼』の主題歌でも聞き流して気持ちを整えるか。とイヤホンを装着し、この記事を書いている。


ちなみに母はというと、仕事から帰ってきてすぐ習い事のピラティスに行き、その帰宅後しばらくしてから、「誕生日だったよね、おめでとう~~」と声をかけてくれた。「ケーキ買ってきてなくてごめんね、また買ってくるね」

私:「ありがとう~ケーキはいいよ~~」


父に引き続きまたこのやりとり・・(笑)


ケーキ買ってあげたい、というのは「買わなきゃ」という思いから来ているのか「祝ってあげたい」から来ているのか、後者であれば買ってきてほしい、前者であれば別にいらない、とか感じている私もいるのが面倒くさいところ。

気を遣って いらない、と言っているだけではないんか、と書きながら自分でも気づく。

形だけのケーキなんていらない。

そこに気持ちがなければ嬉しくない。


結局明日ケーキを誰かが買ってくるのかは不明であるが、本当に買ってこなくても問題ないと思っている。
と同時に買ってきてくれたら嬉しいと思うかも、と期待している自分もいる。


あーーー
自分が面倒くさいなあ。


最近素直にいろいろなことを喜べなくなってきている。
申し訳なさが勝ってしまう。

うーむ・・・

相手の気持ちに重きを置いていて、単なる形や物に喜べない。

物はいらないから、本当の気持ちが聞きたい。
3文でもいいから手紙のほうが嬉しい。

一言でもいいから、心からのおめでとうが嬉しい。

なんて面倒くさいんだ。


だから誕生日は年々苦手になってきている。


勝手に期待して勝手に落ち込んで、勝手にたくさん気を遣って・・・
心が忙しい日になる。


夫と二人きりのときは、夫がいっぱいの愛を伝えてくれて、心からお祝いのメッセージを伝えてくれる。

夫は物として何かプレゼントをくれるわけではない。時にはただのLINEのメッセージ、時には手書きの手紙、時には私の好きなお菓子を作って、その時々で夫にできることをしてお祝いをしてくれる。

その度私はなんて幸せ者なんだろうと泣きそうになる。

ただ今年の誕生日は夫はスウェーデンにいて当日一緒にいることができない。その分父母、祖母と一緒に過ごせるのは一人でいるより寂しくなくて有難いこと。

だから手放しで何も考えずに「ケーキ欲しい~」「チョコケーキ好き~」と言って買ってもらって、みんなでケーキ食べて終わっていればハッピーだったのかもしれない。


ああ、失敗したな。


家族のことは本当に大好き。
ただ、大人になってからは夫以外に甘えるのが苦手になりつつあり、それが顕著に現れたのが今日だった。


毎回思いのままに記事を書くからまとまりがなくなっているが、
今回もこの辺で終わろうと思う。。

結論、そんな深く考えずに生きよう!どれだけ推し量ろうとしても、どれだけ気を遣って相手のために何かしよう、あるいはしないようにしようと気を付けても、すべてうまくいくわけない。それは不可能。であればある程度気を付けたうえであとは自分の気持ちに素直に生きていくしかない。


少しずつ、少しずつだけど気を遣いすぎて自分で自分を苦しめないよう、周りに逆に気を遣わせてしまわないように、気楽に過ごしていくぞーー。





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