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乗り越えの論理・・・・己の限界を超えるには。
おはようございます、朝の光を浴びながら今日も、思うことを思うままに書かせていただこうと思います。
昨日お手伝いしている会社に出勤すると、PCが水を被って故障したとか。
電源を入れてみれば、Biosも立ち上がらない状態でどうにもならない訳で、予備に置いていたPCにデータを移行させて復旧することになったのですが。
なんか一人情シスみたいなことをしていました。苦笑
エラそうに言いながらも、まだまだ知らないところが多々あるので勉強だなぁと思ったわけですが、本当に何でもそうですが、突き抜けることは大事だなぁと改めて思っています。
突き抜ければ、前に見えてくるものがあります。
多分にそうですが、経験を重ねると今まで高い山だったと思ったものが意外と低い山に感じるということは多々あるものです。
私自身もそうですが、最初の頃哲学と言われるジャンルの本などを読み始めた頃は南海で・・・否、難解で、正直こんな本を読んで理解できるのだろうかと思ったものでした。
しかし、そうした本を集中的に読んでいくと朧気ながら理解できるようになる。
他の哲学の本を読んでも今まで以上に書いていることが理解できる・・・そんな風に変わってくるわけですね。
言わば、自身が一つ階段を上って、ハシゴで上を覗いていた状態から、今度は歩いてその高さに辿り着けたというわけです。
更に足下を見ないで前に進めばどうなるか・・・更に今まで行ってきたことがとても簡便に思えてくるわけですね。
私自身、パソコン関係のヘルプデスクなどを数多く経験したことなどからも判るのですが、気がつけば周囲の刺激などを受けながら、どんどん成長している。スキルを身につけて自身の中に同化している訳です。
エクセル然り、アクセス然りでしょうか。
wordしか扱えなかった私ですが、気がつけばpowerpointを十分使いこなし、Excelもそれなりに使えるようになり、今後は解析などにもエクセルを使えるように実践して行こうと密かに実践中なわけです。
アクセスもしてみたいし、そこから派生してSQLの言語を学びたい等々・・・自分自身のスキルアップを常に意識しているわけです。
まぁ、先ほども申し上げたとおり、一点を突破することで、さらなる他の分野でも一点を突破できると考える訳ですね。
読書の効能により、哲学を学ぶ。哲学というのはより深く物事を考える学問であり、多面的な物事を考える学問であるならば、同じくIT系も多面的にこんなことは出来ないのかという・・・いわゆる有能な怠け者になるための方法を色々と哲学よろしく考えることで、新たな一点突破が出来る。
その最初が、Powerpointかも知れないしExcelかも知れないわけです。
まず最初に自分が興味あることからスタートされてはどうでしょうか。
最初に感じる高い山は、越えてしまえばより平坦な道が広く広がっています。そして、多くの選択肢を用意してくれています。
ただし、そうした分岐した道はやがてある場所で合流します。
そして、又そこから多くの分岐点が・・・・その終点は私には判りません。
ただ、多くの経験は私たちを裏切ることはないです。
より多くの知識と教養を得ることは、脳にとってもいい刺激になると考える訳です。
あくまでも、私の仮説でしか有りませんけどね。
何も考えないで、ボーッとする時間も大切ですが、其れが定位になってしまうと、今度は自ら考えるという事をしなくなります。
そして、何も考えないことが定位となると、私が四〇代に経験したことですが、脂ののりきった時期に能力を減退させてしまう状態になってしまいます。
まさに、郵便局で不良債権状態になっているときは最悪でしたね。
何も考えないまま、刹那的に生きて・・・仕事に対するやる気も無ければ責任感もない。
そんな状況でした。
当然PCスキルも無いような状況だったわけで、そこからよく転身したものだと思っているわけです。
みなさん、壁を今感じていたら、細やかなことで良いですから一点突破を図るべきです。
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一点突破を図ることで、見えてくるものがありますから。
何時までも、低いところで安定しているよりも、より高いとに進むために