みかんとむかん
今日は少しだけ言葉遊びをしてみたいと思います。
「みかんとむかん」
この文字を見てあれっと思った方もおられるのではないでしょうか?
「蜜柑を剥かん」の間違いじゃないのと・・・・まぁ、それもありかな。
でもね、
今回のお話しは、
漢字で書くと、
「未完と無冠」と書いてみようと思うのです。
未完・・・未だ達成されていないことですよね。
辞書を引くと、
まだ完全にはでき上がっていないこと。未完成。未完了。「未完の大器」「未完の小説」
デジタル大辞泉の解説 未完
未完(ミカン)とは - コトバンクデジタル大辞泉 - 未完の用語解説 - まだ完全にはでき上がっていないこと。未完成。未完了。「未完の大器」「未完の小説」リンクkotobank.jp
と書かれています。
さて、同じように
無冠と言う言葉も辞書で引いてみますと。
1 位のないこと。無位。
2 スポーツなどのある分野で、1位でないこと。まだ、優勝していないこと。「無冠のまま引退する」
デジタル大辞泉の解説 デジタル大辞泉 無冠
無冠(ムカン)とは - コトバンクデジタル大辞泉 - 無冠の用語解説 - 1 位のないこと。無位。2 スポーツなどのある分野で、1位でないこと。まだ、優勝していないこと。「無冠のまま引退する」リンクkotobank.jp
ということになるのですが、位階勲等を極めるというのはことさら難しいものと言えるかもしれません。
しかし、考えてみてください。
無冠が恥ずかしいことでしょうか。
用意ドンで会社に入っても、途中で先行していても気がつけば途中で迷い道に入って、途中でリタイアしてしまった私みたいな半端ものも居れば、順調に出世の階段を上って行った人も居るでしょう。
そうした意味では、私なんか無冠の代表者みたいなものです。帝王と書くにはあまりにも烏滸がましいし、実際そんなにある特定の分野でと誇れるほどののものも無いのでね。苦笑
でも、改めて考えてみれば、無冠だからと言って堕落した人生を送ってきたのかと言えば決してそうではない、精一杯生きてきたわけです。
そして、今もそう。
学歴も何もないけれど、無い故にそれをバネにして、自ら学んできたし。
まだまだ知らないことを知りたいと常に思っている。
そんな風に考えると、無冠だからと己を卑下することはなく、それはそれで無冠という一つのタイトルだと思うわけです。
会社で出世しても、退職すればそれらは全てリセットです。
いくら会社の役員だと言っても、所詮それだけ。
まして、人生というのは最後の最後まで何があるか判らない、というか、私たちが最後のこの世を去るときがあなたの人生という記録が完成するときなのです、blogを書いたり、嘆いたり、ぼやいたり、妬んだり・・・そんな煩悩にまみれている間は未完なんですよね。
人生は最後の最後で初めて完結する壮大なドラマなんです。
あなたの物語を紡いでくれるのでは、あなたではなくあなたの子供であり、あなたを信望する人かもしれません。
もしかしたら、そのまま忘れ去られてしまうかもしれないわけですから。
そう考えれば、いたずらに位階勲等に拘って、無冠を恥じることも、未完とことさらに恥じたり、完成に拘る必要など無いのです。
精一杯生きる、そして無冠で未完な人生を送る。
その生きた証をみて、だれかがその物語を紡いでくれるかもしれないのですから。
未完と無冠・・・そんな悩まず、「蜜柑を剥かん」で行きましょ。笑
すみません、頭が回っていなくて。意味不明なこと書いていますね。
ただ、いたずらに自分を卑下することも、いたずらに天狗になることもないと思うのです。
あくまで自然体で、自らをいたずらに大きく見せることなく、当たり前の自分を当たり前に示すだけで良いのではないでしょうか。
精一杯生きること、人の道を外さないこと、これが最高の生き方だと思うので。