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美味しい、優しい、愛おしい|映画「きのう何食べた?」感想

エッセイ書き終わった〜!
ということで(?)前回に引き続き、映画の話です。

「きのう何食べた?」

大人気ドラマの劇場版。真面目で倹約家な弁護士・シロさんと、人当たりの良い乙女な美容師・ケンジ。恋人同士の二人の同棲生活を、日々の食事を通して、あたたかく描いていく物語。

ドラマも全部見て、推しのSixTONES松村北斗くんも出るし、とっても楽しみにして映画館に見に行きました。
冒頭からケンジがいつも以上にパンチ強くて笑って、二人がいつも通り可愛くて笑って、でもふとした瞬間に涙が出て、え、泣く?私、ケンジの顔見て泣くん?となったのを覚えています。


同性愛に対する偏見や理解度の低さ、改めて日本は遅れていると痛感させられる。そんな重いテーマを、日常の中にさりげなく盛り込み、さりげなく乗り越えていく。あくまでも自然に、でも明確に解決策を見出しているのが、説教臭くなくて、見ていてふわっと心が軽くなる。
誰かがそう言ったから、みんなそうしてるから、ではなく、二人の形で、二人の人生を紡いでいく。それは言葉で言うのは簡単だけど、実現していくのは容易いことではない。

“僕らはほんのちょっとしたきっかけで、愛する人を永遠に失うかもしれないんですよ”

恋人が家出してしまい、パニックを起こしているゲイ友達・小日向さんの台詞。
それは男でも女でも、恋人でも友人でも、誰にでも当てはまる些細なことではあるけれど、結婚という法的な規約、約束されていない関係では、重大な問題である。同性カップルだと特にその重みが増すのだと思うと、なんだか胸にずっしりときた。

ケンジは理不尽なことがあっても、いつも「いいよいいよ」「大丈夫だよ」と言う。それはシロさんへの思いやりじゃなくて、自分を守るため。シロさんとの関係が壊れてしまうのが怖くて、本音が言えない。そんなシーンがあった。私には半ば諦めているようにも聞こえた。それが寂しかった。

人の価値観はそれぞれ違う。頭ではわかっていても、どうしても理解できないことだってある。すべての人には理解してもらえなくても、わかってくれる人が一人でもいてくれたら、それだけで人は救われるのだ。
もちろんすべての人が理解してくれたらそれに越したことはない。でもまだまだそんな世界にはなりそうにないし、きっと完全には実現できない。だったらせめて、自分の周りの大切な人達だけでも、目一杯大切にして生きていたいと思う。

そして、忘れちゃいけない、ドラマから引き続き、とにかく美味しそうな料理のオンパレード。シロさんがいつも使っているような、普通のスーパーで手に入る食材を使っているので、ハードルが低く、初心者にも真似しやすいのがありがたい。私も映画を見た翌日、朝からリンゴを煮た。

ラストシーン、満開の桜の木の下で、髪が薄くなったとか、白髪がどうのとか話しながら、俺たち年取ったなー!で終わるの、とても良かった。私もそんなふうに、誰かとヘラヘラ笑いながら年を取りたい。そして極め付けのスピッツ。なんたる多幸感。マサムネ〜!

美味しいもの食べてれば、人間幸せだから。
今日も明日も、食べて、笑って、時々泣いても、また食べて笑って。そんな小さなキラキラを積み重ねて、大切な人と生きていく。みんな、幸せでいてくれ。

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