君と僕の興味
「あーあ、つまんない」
賑やかな校舎内の中、洩らされた小さな声を聞き逃さなかったのは他でもない。
帰らないのか? と疑問を向ける級友達に手を振って、教室から出て行く姿を確認。窓際で頬杖をつく女子生徒の元へと足を運ぶ。
「この天気、やだよねぇ。帰らないの?」
問いかけの最後には、彼女の名字をさん付けで。
僕と彼女は対して仲良くない。滅多に話すこともなかった。
この年頃としてはこんなものなのではないかと思う。
彼女は積極的に人と話すタイプではないし、僕もさして社交的な方ではない。
「まだ、昇降口が混んでるから。えっと――この雨が嫌な訳じゃないよ」
彼女もまた、言葉の最後に僕の名字を君付けで括る。
校庭を眺めていた彼女は窓から体を離して、視線を真っ直ぐにこちらに向けた。
真正面から捕らえた彼女の唇が、笑みを形作る。
ふと、制服の白いシャツの上、垂らされた黒いホルダーに気付いた。そのホルダーが何かは、胸の前。彼女の両手の中にあった。
「ああ、写真部だっけ」
「うん。いい絵が撮れそうな気がしたんだけど」
そう言ってまた、校庭に目を向ける。
同じように見下ろした窓の外には、溢れかえるように門へと向かう傘の群れ。
確かに、おもしろいものだとは思えなかった。
「私、今日おニューの傘なの」
彼女のその物言いに面食らう。ずいぶんと古い言い回しだなと思った。
思考を読んだように、彼女がちらりと舌を出す。
「お母さんが朝、そう言ったのよ」
悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
そして、大きく肩を落として溜息を吐き出す。
「何でみんなビニール傘なんだろ」
「僕もビニール傘だよ。すぐ失くすし、忘れるんだよね。だから今日もコンビニで買った」
彼女は得心した様子で、ああと洩らした。
「そっか、なるほど。んー…」
唸りながら、階下を眺める。
なるほど、確かに生徒のほとんどはビニール傘を用いている。
その合間に目立つのは真っ黒のこうもり傘。本当は黒い傘のことをそう言うわけではないらしい。僕はずっと、黒い傘のことを『蝙蝠傘』と言うんだと思っていた。
「この味気ない中に、今日の私の傘があったらいいのに」
ぽつりと彼女は言う。
「行っておいでよ?」
「私が行ったら、写真が撮れない」
膨れ面を作る彼女に向かって手を差し出す。
「門のところで待ってて。帰るついで」
思わず言ってから、それでは意味がないのだろうかと不安になった。
彼女が瞳を泳がせたからだ。けれど、それも一瞬で、彼女の表情は見る見るうちに輝きだす。
それがあまりに分かりやすくて、僕も笑う。
簡単に操作法を説明すると、彼女は鞄を掴んで廊下に飛び出して行った。
滑らないかで心配になるが、早く行かないと生徒が居なくなってしまう。
下に降りた彼女を待つ間、レンズを通して画面を見てみる。操作確認も込み。
考えたこともなかったけれど、言われて見ると色が無いのかもしれない。
とはいえ、生徒全員がビニール傘な訳でも、無地黒字の傘を差してるわけでは勿論無い。
無地の物が多い、というだけだ。
間違えられたり、盗まれたりすることへの対処でもあるのだろう。
乱雑で雑多な群れの中、果たしてそれほど彼女の傘は目立つのだろうか。
と、言うよりも、彼女はどんな絵を撮りたかったのか。
――と、そこまで考えて、とんでもないことを安請け合いしたのかもしれないと思い至る。
とはいえ、僕が素人なのは分かりきったことだろう。
それでも、決して気軽に預けるには容易くないであろう物を委ねられたことに僕の頬は緩む。代わりに肘を引き締めた。
傘だけで彼女を見つけられるのかという不安は杞憂に終わった。
昇降口から飛び出してきた鮮やかな――奇抜とも言えるその模様を見て、思わず声が吹き出した。
真っ直ぐに、校庭の中央を突っ切る。辺りに散らばる無地と透明の真ん中。
ピントを合わせて、迷わずシャッターを切る。
泥が跳ねるのも気にしない足取り。門に辿り着く手前で振り返った彼女はこちらを見上げて手を振った。
もう一度シャッターを切って、軽く手を振り返して窓を閉める。
教室に生徒は他に誰もいなかった。
鞄を手にして、門で待つ彼女に預かり物を届けなければならない。
綺麗に写っていたら、焼き増しを頼むことにしよう。
よくわからないんですけど美味しいもの食べます!!