ヒーローが好きな中年から観る、プリキュアシリーズ
’25年『キミとアイドルプリキュア♪』。
天真爛漫の主人公、相棒としての妖精、”力強さ” の表現としての格闘アクション……。
原点回帰のような印象にも観えるが、今後の展開も楽しみなプリキュアシリーズ。
私は、'24年の8月から note にプリキュアシリーズを中心に記事を挙げている。
’23年の『ひろプリ』から興味を持つようになって、全シリーズを鑑賞してしまう。
元々、ヒーローものや、カンフー映画などのアクションものが好きで、ヒロイン・魔法少女ものにはほとんど興味を持ってこなかった。
ヒロインといったら『セーラームーン』くらいしか浮かばないくらい。
そんな中年から観た、プリキュアシリーズについて、ざっくり並記。
・カンフー、パルクール、XMAなど、アクション映画のトレンドに呼応する、アクションアニメ作品である。
初回・中盤・クライマックス・劇場版などで描かれる、細かい手数の立ち回り、いなしてから突くなどの実践的な武術技、アクロバティックな蹴り技など、今日のアクション映画のシーンで多用されている動きにこだわっていることが、初代から貫かれていることが窺える。
パルクール・XMAに関しては、’01年『ヤマカシ』、’04年『アルティメット』などの映画が公開され、海外では認知され始めた頃、日本では、’05年~『牙狼』シリーズ、’08年『K-20』の公開辺りからか?
つまるところ、トレンドの先端を、プリキュアシリーズは先駆けていたのかもしれない。
・時代劇・特撮ヒーロー・『セーラームーン』に引き継がれる、1話完結の勧善懲悪の型を踏襲する、伝統様式美の作品である。
時代劇から引き継がれる見得切り・決め台詞、ヒーロー・セーラームーンから引き継がれる変身など、テレビ史の範囲で考えても、長いこと引き継がれる1話完結の勧善懲悪の話型を、今なお、保ち続けている。
’04年の初代の制作当時、朝の女児向けのアニメでこのような型が、かつ肉弾格闘の描写に特化したような作品が受け入れられるのか、といった懸念があったそうだが、大ヒットし、今日に至っている。
アクション・勧善懲悪の話型は、男女問わず普遍的に通じるものなのかもしれない。
・『セーラームーン』より確立された、”闇の者” ”破壊の意志を持つ者” など抽象的な対立勢力を ”浄化” もしくはそれらと ”融和” していくストーリーの作品である。
ヒーローものとヒロインものとの違いの大きな特徴としては、前者は相手を ”倒す”、後者は相手を ”浄化する”、あるいは相手と ”融和” していく、といった点が挙げられる。
前者では、勇敢な英雄もしくは頼れるリーダーが率いるチームによって、レジスタンス・秩序の維持など、各々の目的を達成することが主眼となることが多い。これは ’70年代のヒーロー作品が勃興し始める以前の時代の、戦争・冷戦・安保闘争などのきな臭い記憶が反映されていることが考えられる。
後者では、ドジな主人公が何故か、能力を手にしてしまって、得体の知れない者たちと向き合わされる、といったことが多い。日本では平和な時代が続き、『セーラームーン』が始まる前後には冷戦も収束し、時代情勢において、少なくとも日本国内においては、明確に戦う相手がいなくなったことが反映されているのかもしれない。
といった感じで、捉えている。
無論、作品ごとでテーマが異なるので、これらの範疇ではないケースもある。それぞれの細かい違い・変化を追ってみると、意外と時代との呼応が読み取れたりするのかもしれない、なんてことも思っている。
以下の記事にて、主人公キュア・青キュアの変遷、’24年度の『わんぷり』について考察も以前に書いたので、こちらも読んでいただけたら……。
月野うさぎ・夢原のぞみ・野々はなを代表例とし、日本神話より連なる中空的な存在としてのヒロイン作品の主人公について考察した記事↓
”昭和的な孤高のヒーローの性質を持っているのではないか” という仮説で考察してみた青キュアをテーマにした記事↓
シリーズ中、異例尽くしかつ、リアルへの志向が窺えるのではないかと、『わんぷり』についてのメモを羅列した記事↓
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