エロス×短歌
以前は全く好まなかったけど、最近は詩や短歌が心に響く。
研ぎ澄まされた、純度の高い言葉が、感性に突き刺さる。
今まで、解説やら論説やらの、理屈ばかりの世界で生きてきた。
今でも、多く読むのは、そのたぐい。
文芸は、あまり興味がなかった。
けれど、今までその世界で生きてきて、
「理屈なんて、何の役にも立たない」と、実感している。
だからなるべく体感するようにしてきたが、ここに来て、詩や短歌の価値に気づき始めたような気がする。
歳か?笑
いやいや、発展と信じよう。
なぜ、こんな事を書いているかというと、先日、りんふぁんさんが「つぶやき」にあげた岡崎裕美子さんの次の短歌が、ことさら心に刺さったからだ。
結局、エロな話なんだけど(いや、エロ以外の短歌や詩もちゃんと心に刺さってるw)、でも、この何とも言えない、哀切と渇望と空虚さが入り混じった二十六文字にぐっと来た。
嘘がない。余計な物がない。
長い文章は、どうしても嘘が混じるが、まっすぐだ。
岡崎裕美子さん、全く知らなかった。経歴には、こうある。
他にもいくつか作品を紹介しよう。
こんな短い言葉で、情景が目に浮かぶように伝わる。
もちろん、エロス以外の作品もある。
食が作品に登場することも多いという。
食と性愛をからめた作品も多いそうだ。
そういえば、枝折さんのショートショートも、食とちょっとした性がテーマになっていることが多いような。食と性は、文学上で連動するものなんだろう。なんとなく、分かる気はする。どちらも、高度に肉感的で、感覚的なものだ。
僕は経歴が経歴だけに、性を書くにおいても、社会と結びつける傾向がある。この一年でたった2つ書いた小説も、一つは歴史もの、一つは、社会的評価の理不尽さと無意味さをテーマにしたものだった。
もっと感覚めいたものを書いてみたい。研ぎ澄ませてみたい。
ニュース畑の僕に、できるかな。
苦しいだろうが、こんな美しい言葉を紡ぎたい。
しかし、まだまだ、まだまだ世界があって、扉があって、面白い。
特にnoteのすばらしいところは、突き刺さるような言葉と、知らない世界への入口の鍵を貰えるところ。もちろん、コメントのやり取りなどで、深まったり、新たな気づきがあるのも、楽しい。思索の連鎖的な。
この岡崎裕美子さんの詩集『わたくしが樹木であれば』は、売り切れのようだ。定価2,200円が、Amazonで14,759円というバカみたいな値段がついていて、とても買えない。業者のバカヤロウ。
青磁社さん、ぜひ第3刷をお願いします🙏
あ、りんぁんさん、もし見つかってしまったら、分かると思いますけど、岡崎さんの詩があまりに心に刺さって書いただけなので、適宜スルーで😆