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【アングラ小説】二元論──善意・衝動・混沌、すべてが本当の私[後編]
※最終話。少し過激で不快かもしれません。ご注意ください。
<あらすじ>
児童養護施設の聖堂でクロスの前にぬかづく女。彼女は20代でこの施設を立ち上げ、以来10年、多くの傷ついた子どもたちを愛情豊かにケアしてきた。
近年、運営が厳しくなっていたところに、ある全国ネットのテレビ局から取材の話が舞い込み、寄付が増えればと話を受けた。
女には、もう1つの顔があった。女は、誰とでも寝る女だった。行きずりの男たちと、倒錯した性交にふける女だった。そのうえ、女は美しかった。
テレビの放送をきっかけに、女の運命は大きく狂う。女は、人前に出てはいけない人間だった。
大学に入ってすぐ、東京都で最古の民営児童養護施設「愛全園」でボランティアを始めた。私の尊敬する賀川豊彦が大正9年に設立した、伝統ある孤児院だ。留学先のイギリスから日本に戻り、都庁に就職してからも、夜間や休日にボランティアを続けた。
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都庁に就職した頃から、私は「お金で買われる」ことに興奮するようになっていた。風俗とかではない。行きずりで出会った知らない男から、直にお金をもらい、使われる。これを想像しただけで脳内にドーパミンがあふれ出すようになった。男は、SNSや酒場で調達した。酒場はバーだけじゃなく、場末の立ち飲みもよく使った。大久保公園に立ったこともある。
お金の多くは、匿名で「愛全会」に寄付した。施設のみんなが喜び、子どもたちの生活が豊かになるのを見ると、何とも言えない幸福感に包まれた。快楽と幸福感、この2つを車が回るように味わい続けることができて、充足感で一杯だった。
日本の組織の意思決定は遅すぎる。
すでに児童養護施設については、過密な集団指導から家庭的なユニットケアにシフトする政策決定が厚生労働省でなされていたが、現場での実施にはなかなか至らなかった。施設数も職員数も、圧倒的に足りなかった。東京都で児童福祉の担当部署にいて、計画がなかなか進まない現状に、いら立ちが募るようになっていた。
子どもたちが苦しんでいるのは、今。
なのに、これでは彼らを救うのにとても間に合わない。
28歳の秋、私は決心して都庁と退職し、数人の友人たちと児童養護施設「ヘレンの家」を立ち上げた。
「ヘレン」は、ヘレン・ケラーにもあやかったが、私がサセックス大学大学院の指導を受けた担当教授の名前からとった。彼女ほど尊敬できる教育者はいなかった。今でも、困ったときに相談に乗ってもらっている。しかし、今回のことは、彼女に言っていない。
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* * *
バラエティ番組の「天使すぎる美女たち」で取り上げられた反響はすごかった。園内は応援の手紙やメール、プレゼントと千羽鶴がたくさん届き、寄付の申し出はニュース番組のときの数倍あった。
マスコミからの取材のオファーも殺到した。しかし、これ以上の露出は危険と思い、悩んだ挙句、ニュース番組、教育番組、ドキュメンタリーなど「硬派」なものに、数を絞って出るようにした。新聞は顔写真を小さくしてくれるように頼み、雑誌は専門誌に絞った。
本当はすべて断りたかった。
しかし、もっと多くの、愛情を知らずに苦しむ子どもたちに、家庭的ケアを受けさせたかった。できれば、施設を拡張したかった。
私の活動は高く評価され、マスコミでも好意的に取り上げられた。教育や福祉系の学会や団体などから、講演の依頼も多くいただくようになった。私のSNSは、たくさんの人からの応援メッセージや、あたたかい言葉であふれた。これらの評価や言葉は私の脳内報酬系を刺激し、多幸感と快感をもたらした。私は、この抗不安薬と麻薬に依存していった。
たくさんの寄付のお陰で、近隣の空き地にもう1つ、施設を建てることになった。再来月に、着工できる予定だった。
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* * *
きっかけは、SNSだった。
「天使すぎる美女たち」で放映された私の顔の画像が、切り取られてSNSで出回った。私の写真はどんどんと拡散され、それがとうとう、私を犯した、私を買った男たちの目に触れた。
エゴサーチすると、私の活動紹介や、私への賞賛のコメントに混じり、私を使った男たちの体験談、「この女の正体」「売春」「売女」「乱交プレイ」などの言葉がヒットするようになった。
「児童養護施設「ヘレンの家」の美人施設長(38)のウラの顔──孤児たちの聖母、夜の乱脈」
こんな見出しが、ある週刊誌の中刷り広告に小さく載った。
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別の週刊誌や一部のタブロイド紙、情報誌が、その週刊誌の記事を後追いし、さらに赤裸々な私の姿をあぶりだした。ネットメディアは、それらを引用し、嘘も盛り込みながら情報を拡散しつづけた。
私の人生は暗転した。
私の番組出演や講演の予定はすべてキャンセルになり、私や「ヘレンの家」を取り上げた新聞や専門誌の記事は掲載中止となった。
私のSNSには批判や誹謗中傷があふれ、施設の電話は鳴りっぱなしになった。叱責や批判の手紙も、施設に毎日、大量に届くようになった。
「騙された」「裏切られた」「汚らわしい」、そんな言葉が多かった。
スタッフは次々に辞め、施設の運営が維持できなくなり、子どもたちはいくつかの児童養護施設に分散して預けられることになった。
私を過度に賞賛した世間は一変し、
私を批判し、誹謗し、断罪する世間になった。
* * *
最近、目にしたタブロイド紙の見出しが振るっている。
「みんなが騙された聖(性)女の正体──『ヘレンの家』美人施設長(38)の乱交セックス・援助交際・SMプレイのすべて」
私は、何も変わっていない。すべてが、本当の私。
全部、私の中に存在し、同居するもの。
なぜ、それが分からないのだろう。
世間は勝手に美化し、理想化し、賞賛し、批判し、誹謗し、断罪する。
彼らの世界は、善と悪、聖と俗、清と濁が二分された世界。
それらは混ざり合っていることに、なぜ目を向けないのか。
そんな現実はないと、知ってるくせに。
* * *
古代オリエントの神々は、多様だった。
神々は一つの源から発し、万物に宿った。
世界に絶対はなく、すべては相対で、混沌だった。
ゾロアスターが、光と闇、善と悪を分けるまで。
イクナートンが、唯一神を創り出すまで。
すべて、人間の愚かな作為。
善神アフラ・マズダーと、悪神アーリマンの元は同じ。
アテン神は、太陽神ラーの一部分。
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ゾロアスターは衰え、イクナートンは滅んだ。
しかし、彼らから絶対性と不寛容、善悪二元論を学んだモーセとその子どもたちの宗教(アブラハムの宗教)が、古代オリエントの神々と多様な世界を排除した。
創造主である唯一神のもと、善が悪に勝利するとした彼ら思想が、世界を覆いつくした。
あなたの単純な思想が、多くの人々を苦しめる。
万物の創造主ならば、善も悪もあなたが創り出したものではないの?
主よ、御子よ、あんたなんて大っ嫌い。審判なんてない。
多様は、強さ。混沌は、しなやかさ。
私は絶対、立ち戻る。
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エンディング曲は、低迷著しいジャズ界の新星カマシ・ワシントンのアルバム「The Epic」のなかから「The Rhythm Changes」(リズムは変わる)。ゲストの女優、パトリス・クインの歌が素晴らしい。人生の毀誉褒貶など、すべてはリズム。すべてを包み、癒すような曲。
※画像の引用:福祉新聞「社会福祉法人風土記36」、ティアハイム・メニンゲン、宣伝会議「アドタイ」、TRANS.Biz「メソポタミア神話」とは?ギルガメシュや最高神・女神を紹介、メメント・モリの美術館「我に触れるな」の絵画16点。
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