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ねぎらい

ねぎらいという言葉がある。
ねぎらうとはどういうことなのだろう。
人が人をねぎらうなどという大それたことが果たして可能なのだろうか。

ねぎらいというとある人との出会いを思い出す。
その人のどの指も太くて平べったくなっており、爪が緑色と茶色を混ぜたような色に変色していた。
心配すると大丈夫だしか言わない。
幼少期、その手で穴を掘り土で母親と家をつくって村の端っこの穴の中で暮らしていた。
造船所でおっきな船を作るために鉄と鉄を熱いバーナーで溶かして繋げていた。
植木屋になってからも高いところに登れるうちは頼まれるがまま近所の木も剪定した。
83になるまで使い続けた手。
この手に、なんて言ってあげればいいのか。何も浮かんでこない。圧倒的な時間の積み重ねがある。いや、時間じゃなくて、信じている何かの積み重ね。この人は何を信じていたのだろう。その信じている情報の積み重ねが圧倒的な存在として今、目の前に緑色と茶色を混ぜたような色の爪として現れているのかもしれない。
病院に行くよう伝えても当然のように行かないが、ただニコニコしていた。

何も言えない。ねぎらいの言葉などありようもない。
ただその人が信じている何かの情報の積み重ねを想像し感じるだけである。

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