自分の子が「死にたい」と言う 我が子が苦しんでいる 我が子がなぜか苦しんでいる 本人も親も社会も今のその子をこのままでいいとは言わない 親はのたうちまわって苦しむ 我が子を助けるために すると 私が変われば大切な我が子が変わる そう思っている親がいる そう思わなければ希望がない そう思っている親がいる その「私」はこの子をこんな風に育ててしまったのは「私」だ そう思っている親がいる 確かに「子」の周辺の環境の一部である「親」が変われば「子」の環境は変わる だから「子」
AI Robot時代に人間として幸せになるにはどうしたらいいのだろう。 ぜんぜんわからない。 そもそも幸せがわからない。 取り急ぎ面倒だから無理にでも定義してみる。 「よっしゃー」 かな。 やっぱ僕にとっては「よっしゃー」が一番近い気がする。 うん。 じゃあ、どんな時によっしゃーが出るのか。 気づき。 かな。 何かに気づいた時。 よっしゃーってなる。 その気づきがその後、自分の行動をどう変えたか、行動を変えたことで社会との関係がどう変わったか、社会がどう変わっ
すべての人はいろいろ動いている。 寝返りをうったり、オリンピックで投げ技を仕掛けたり、息を吐ききったり、金融市場の大幅な値動きで儲けるためにキーボードを叩いたり、chat GPTに話しかけてみたり、飼い猫のしっぽの動きを見て猫の気持ちを読み取ったりしている。 すべての人は動いていて、自分なりに生きている。自分が生きていることへの何かしらのリアクションを続けている。他人の行動の変化へのリアクションもある。そして同時に、自分の行動へのリアクションもある。 そんな中、人が人に対し
ねぎらいという言葉がある。 ねぎらうとはどういうことなのだろう。 人が人をねぎらうなどという大それたことが果たして可能なのだろうか。 ねぎらいというとある人との出会いを思い出す。 その人のどの指も太くて平べったくなっており、爪が緑色と茶色を混ぜたような色に変色していた。 心配すると大丈夫だしか言わない。 幼少期、その手で穴を掘り土で母親と家をつくって村の端っこの穴の中で暮らしていた。 造船所でおっきな船を作るために鉄と鉄を熱いバーナーで溶かして繋げていた。 植木屋になってか
具合が悪い 何もしたくない 何かしたい どうにもできない 動けない 一人ではどうにもならない 強がっていきがってみても 「自分の人生」という言葉の意味がわからない。 そもそも「自分」がわかっていない。 右手を切り離したとして、右手ではなく頭がある方が自分だ。 足も手も切り離して胴体と頭があるほうが自分だ。 医学が進歩してくれば頭だけでも生きていけるのかも。 そうしたら、頭と胴が切り離されたら頭が自分だ。きっと。 さらに医学が進んだら、脳だけでも生きていけるのかも。 そしたら、
重い。 思い出した。 思い出したくない。 「人としてどうなの。」 目が合わない。 人として?。 辛い。 人は何かを思い出す。 勝手に。 脳という全く自分ではコントロールできないような物体が、勝手に作動する。 突然、何の前触れもなく思い出す。 脳はこんな僕をまだ苦しめようとするのか。 勝手につぶれていくのに。 まだ追い込むのか。 何がしたいんだ。 何が。 頼むから静かにしてくれ。 こんな時、一人にしておいてほしいし、一人にしないでほしい。 脳と気持ちが別々なんだ。 たぶん、勝
確認ってひらがなだとかわいい。漢字だとやな感じ。 人間って、人と約束したりする。 その約束が合ってるかどうか、確認する。 ぼくは確認が苦手だ。 一度、計算したら、もう一度計算が必要。確認のため。 それはわかる。頭の中では。 でも、一度でいいのか。そもそも何度確認すればいいのか。 車では右・左・右と確認する方法を教わった。 2回目の右を見た時、左を見たくなる。もし万が一、一度目の左を見た時に目に入っていなかった音速のバイクが来ているかもしれない。 しかし、約束だから、恐怖と闘い
僕の発言は「 」が付いてます。 「生命と物との違いは何ですか」 生命と非生命のものの主な違いは、生命体が自己複製し、成長、進化、そして反応する能力を持っていることです。生命体は、代謝や細胞分裂、エネルギー生産、刺激に反応して応答するなどの基本的な生物学的プロセスを実行します。 一方、非生命体は、自己複製や進化の能力がなく、化学反応を起こすことができますが、それに応答することはできません。非生命体は物質的に存在するものであり、物理法則に従って振る舞います。例えば、岩や石、水や
窮屈なことばかりと思っていた。 電子レンジに金物は入れちゃダメ。 ご飯茶碗は食べ終わったら水に浸す。 靴は揃えておけ。 お風呂入った後、蓋をしておけ。 お風呂入った後は髪の毛を取り除いておけ。 鍋より外に火を出すな。 鍵は必ずかけろ。 電車の中でご飯を食べちゃダメ。 大人ってたいへんだな。 めちゃめちゃたくさんルールを守ってる。 自由が大事と言いながらめちゃくちゃルールを守ってる。 冠婚葬祭、スーツにお土産。 なんでそんなにするの? こんな気持ちのこもってない形。 なんでこん
どこまでのどんなことをしていくか 自分がどこまでするのか とにかく書く。 何もないことも吐き出していく。 それも大事。 自分で何かできると思っているから止まってしまう。 とりあえず手を動かす。 確かに問題は山積みしている。 山積みだ。 何から手をつければいいか 皆目見当がつかない 何もしないでいることがいいのかもしれない 静かに死んでいける それが最も素直な姿なのかもしれない しかしまだ息をしている。 自分がこの世界に関わり始めた頃には産まれていなかった人が既にたくさん生きて
段取り スケジュール 計画 目標 理想 夢 うるさい言葉 暴力・貧困・病気・偏見 この4つの排除が目指す方向 しかし、この4つにまみれてる それでも生き残った僕は息を潜めるしかない 息を潜めていると沼のような泥のような静かな静かな時間が流れる 生暖かいけど選択肢は少ない その場にいるかいっそ死ぬか 誰からも評価を受けない 自分からも それでも生活は続く 明日も朝が来る いくつかの役割を求められている その役割を果たさなければならない 形だけが残った
自分で生きる そう思っていた 一人で生きる そう思っていた でも歯車として活かしていただくことの有り難さを やっと感じ始めた そもそも誰も一人で生きてない 孤高のなんたらって今でも言われてる人見るとついつい憧れるけど よく見りゃ一人のにんげん 100年したら誰も覚えてないかも 共同墓地に行ってみたい 共同墓地には行き倒れの人とか身寄りのない人とかの 個人の墓がなく散骨されるらしい 粉になって他の人の骨と混ざるらしい なんかその方が現実に近い気がする 少しの間1000年くら
白い 何も考えられない このような脳の状態は何なんだろう 脳はなにゆえこのような状態を必要とするのか きっと「おやすみ」という意味なのだろう 僕は少し疲れているのかもしれない おやすみが必要なのかもしれない 生き延びるために 人は弱く 一人では生きていけない 僕も 今、呼吸した この空気をこの状態に保っている 新鮮で毒物が混じっていないこの空気 排ガス規制や環境汚染対策やウィルス対策などなど たくさんの人の努力でこの空気がつくられている たくさんの人の誠実な対応の積み
時々、孤独を深める。 誰にも理解されていないと。 その状態がオリジナリティと呼ばれる価値があることだとしても。 個性的と呼ばれる価値があることだとしても。 承認を得たいし、承認が得られなければいじける。 だからみんなが喜ぶことをして、まずはこっちだ!と言ってみる。 みんながそれに同意すれば成功だし、同意しなければ失敗。 でも誰もがわかるものを見て僕は喜べない。 だから訳のわからないものをひたすらつくる。 時々孤独だといじけながら。
ぼーっとしてる。 お腹は薄めのビーフシチューでいっぱい。 寒くも暑くもなく、自分の声が心地いい。 人が自分をどう思っているか、考える力が足りない。 自分のことを嫌っているかもしれない人たちの中で、 自分が満たされて過ごすことは、 一つの防御策となる。 自分の中のペット的部分を大切に。 大事に大事に育てるのだ。 暴力を受ければ人は皆不安に陥る。 次は自分がやられるのではとビクビクする。 そんな時、ぼーっとできたら、それは一つの防御策となる。 その代わり、心底ぼーっとしてなければ
何かを専門的にやっている人。 この世に専門家はたくさんいる。 しかし、大括りにぐっと遡って人類の歴史から見ると 人は生き残るためにいろんな知識やら技術やらをつくり、 量が多くなったから一人の人が一生学んでも学びきれなくなったから、 専門家と呼ばれる人が現れて、重宝された。 それでも新しい知識は次から次へと産まれたから、 さらに多くの専門家がつくられた。 新しい知識と技術。 それらの一つがコンピューター。 これがえらいもんで知識を蓄えられた。 次がロボット。 これもえらいもんで