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2・11~14 盛岡

◇2月11日(火・祝)
 早朝の仕事を終えてドタバタと帰宅。東海道新幹線に飛び乗って東京へ。そのまま東北新幹線に乗り継いで(東京駅で買った「やまゆり牛しぐれ煮弁当」と「鮭といくら弁当」美味かった!)マネージャーとともに盛岡へ。長男が働く仙台をスルーするという心苦しさ(といっても突然顔を出したら嫌がられるはず笑)以上に、『ボクシング・ビート』誌の原稿を抱えたまま……というのが申し訳なかったのですが。

 2015年2月以来、ちょうど10年ぶりの盛岡。前回は『ボクシング・マガジン』の対談企画(八重樫東✕佐藤洋太=2015年4月号)にかこつけて、だった。ペドロ・ゲバラ(メキシコ)に7回KO負け(2014年12月30日@東京体育館)を喫し、去就に迷う八重樫くんを洋太くんとともに励ますというもの。と同時に、『焼肉チャレンジャー』の店長を務める洋太くんの仕事ぶりに触れる目的もあった。いや、地元・岩手にいるふたりと遊ぶ、というのが真相だ。
 今だから明かせるけれど、自分も洋太くんも「引退してほしい」という想いだった。が、八重樫くんは現役続行を決めて、この年末にハビエル・メンドサ(メキシコ)と素晴らしい熱戦(彼のベストファイトといってもいいかもしれない)を演じ、見事に世界3階級制覇を成し遂げたのでした。

小岩井フリークにはたまらない看板が出迎えてくれます

 小田原の寒い家で鍛えられている体に加え、分厚いヒートテックを上下に着けていたこともあり、寒さはそれほど感じずに今年初の雪景色を楽しみました。
 ホテルに入るやいなや、駅でさっそく買った「小岩井農場育ち のむヨーグルト」を飲んで(濃厚で美味)『ビート』誌の原稿書きに取りかかる。FODで『ダイヤモンドグローブ』(八重樫さんの解説!)を観戦しながら、どうにかこうにか送り終え、初日の夜はコンビニ弁当を食べたのでした。

◇2月12日(水)

浮世絵イラストレーターで、洋太くんのスケボー仲間でもあるNAGAさんによる『マグマ繁栄之図』。オーナーほったらかしで笑、マネージャーとともにずーっと見入ってしまったほど見事な作品です。いつの日か『闘路園』でも描いてほしい、お願いできるようなプロジェクトにしたいと心に固く誓ったのでした

 2023年3月に『チャレンジャー』を閉店し、同年5月に『焼肉酒場マグマ』を盛岡駅からわずか450mという好立地にオープンした洋太くん。前回は“雇われ店長”だったけど、今度は正真正銘の“わが家”。立派なオーナーなのです。
 同時に副会長を務める西東京市のRerise Boxing Clubで前日までボクシング指導に励んでいた洋太くんは、この日に盛岡に帰ってくるとのこと。こちらも前日までの疲れから、お店のすぐ近くに取っていたホテルでゴロゴロとしていましたが、居てもたっても居られずにお店を見に行くと、すでに戻っていた彼は、営業前準備に勤しんでおりました。
 従業員のお給金を計算したり、お店の中を丁寧に掃除したり、ギターをつま弾いたり、地下にあるスケボーリンクで技を披露してくれたり。
 世界王座を獲得したスリヤン・ソールンビサイ(タイ)戦(2012年3月27日@後楽園ホール)や8回戦時代の室橋守(帝拳)戦(2007年9月8日@後楽園ホール)の映像を見せてもらったり。AmebaブログやInstagramで拝見していたけれど、洋太くんは洋太くんのまんまなのでした。

1911年(明治44年)に建てられた盛岡銀行本店本館(現・岩手銀行赤レンガ館)。意匠を見ればおわかりのとおり、東京駅も設計した“近代建築の父”辰野金吾によるもの。佐賀と盛岡がつながった(辰野は佐賀県唐津市出身)気がして、個人的にとても感慨深かった

 開店準備の邪魔をしてはならない(みっちり邪魔をしたんだけれども)と、いったん辞去して盛岡の街へ。といっても徒歩。懐かしいアーケード街をとぼとぼと歩きながら、ミスタードーナツでホットドッグセット、昔から大好きなオールドファッションとエンゼルクリームをいただき、ふたたび歩き出す。「あー、あの本屋さんまだあるんだ」とか「お、この渋いレコード屋さん憶えてる憶えてる!」なんて小躍りしながら、これまた懐かしい盛岡城址を横目で見つつ、脇道に昭和の香りが漂う喫茶店を発見しメモる。
 マルイチというスーパーでトイレをお借りして、トータル30分ほど歩いて目的地の盛岡八幡宮に着いたはいいけれど、すでに辺りは暗くなり始めていたので、参拝は翌日に持ち越し。いったんホテルに戻って、マグマへと繰り出したのでありました。

 通常ならば比較的落ち着いて接客できる日だったようですが、この日は次から次へとお客さんが入店。スケボーに惹かれて来た外国からの方もいて大繁盛。“マジカル・ボックス”な洋太くんのちょこちょこしたフットワークを見ることができて嬉しかった。「A4、A5しか使っていない」というお肉は言わずもがな。チャレンジャーのときも沁みた白米の美味しさも、変わらず絶品でした。

マグマのすぐ隣にある開運橋から北上川を望む。京都・三条大橋と新選組でおなじみ池田屋のロケーションに似ていて何だか心にグッとくるものがありました

◇2月13日(木)
 駅ビルを散策して『ティーハウス リーベ』へ。60年代の英ポップが流れる店内は、予想どおりのレトロな雰囲気。『ホットスポット』の主人公たちのような主婦や女子高生・女子大生が多く、地元に愛されているお店だとわかる。ここでもホットドッグセット。添えてある小さなグラスに入った飲み物が気になって訊ねたら、なんとパインジュースだとか。給仕をする淑女とマスター(息子さん?)が、いかにも岩手の人らしいしとやかさだった。

大鳥居の左側の門。でもたぶんサイズは一緒

 盛岡八幡宮の表門だと思っていた場所は広大な敷地内の外郭。雪積もる駐車場をよたよたと歩きながら本殿へ。ようやくにして初詣を済ませ、大鳥居をあらためて仰ぎ見る。マネージャーは何をお願いしたのかわからないが、同じことを拝んだことと信じよう。

 約束の時間にマグマへ行くと、八重樫さんとKG大和ジム・マネージャーの水谷直人くん(元日本スーパーバンタム級5位)はすでに到着していた。
 昨夜は南部美人を飲んだので、今宵は八海山(岩手なのに!笑)。「いきなり日本酒ですか?」といつものように八重樫さんに言われたけれど、日本酒じゃないと美味しく食事をいただけない体。八重樫さんの心配どおり、数時間後には例によって眠りに落ちていましたが、自分より酒の強いマネージャーが八重樫さんや水谷くんの大切なお話を聴いていてくれた、はず!
 この日は“休日”だったはずの洋太くんですが、前日に続きお店が大繁盛した都合上、急遽業務にかかりっぱなし。当方べろべろに酔っぱらっていたけれど、「責任感」という行動を堪能させていただきました。もちろん、所々ではあるけれど、八重樫さんと水谷くんのお話しもしっかり拝聴していましたよ。水谷くんは半分以上、何を言ってるんだかわかりませんでしたが笑

 洋太くんの仕事がひと段落したところで、すぐ近くにある彼の行きつけのお店ダイニングバー『AERON STANDARD』へ。これ以上みんなにご迷惑をおかけしては申し訳ないのでソフトドリンクにしましたが、きちんと素面のときにあらためて来たい素敵なお店でした。
 洋太くん全開、水谷くんボロボロ。彼らをいつも以上に目を細めてにこやかに見つめる八重樫さん。本当に素晴らしいトリオです。
『闘路園』が正式にスタートしたら、真っ先に取り上げたいメンバー。こうして好き勝手取材したり載せたりできて、すべて責任を負える箱ってのがいいですね。

 と、ここでマネージャーが老眼鏡をマグマに忘れた騒動。洋太くんが締めの作業をしている店員さんたちに連絡してくれて、彼らは忙しい深夜にもかかわらず捜索してくれたものの見つからず。しかし、ホテルに到着するなりリュックに引っかかっていたことが判明。ワタシの管理を任せているマネージャーがこれでは先が思いやられますが笑、まあなんとか補い合って頑張ります!

勝手に載せたらマズいので、洋太くんのスケボー仲間の方は失礼ながら……

◇2月14日(金)
 盛岡駅で偶然、洋太くんと水谷くんと鉢合わせ。八重樫さんは始発の新幹線で横浜へ戻ったとのこと。ふたりは洋太くんの家に泊まってあの後も大いに盛り上がったそう。八重樫さんはまさにとんぼ返り。水谷くんもわざわざこのために来てくれたのだ。
「息子の制服を買いに」というしっかり父ちゃん・洋太くんと別れ、水谷くんも同じ新幹線で。この日の彼は、何を言っているかちゃんと聞き取れました笑。

戦利品。子どもの頃から大好きな小岩井バターは、1本しか買わずにあっという間になくなってしまった10年前の反省をふまえて2本買いました。「三つ子の魂百まで」ですな

 東京駅に着くなり真っ先に感じたのは人々の心の余裕のなさ。前にも感じたけれど、新幹線内の空気も全然違う。東北新幹線は東海道新幹線とはまったく異質の空間となる。われわれのように旅行者も多いんだろうけど、東北の方々が醸し出す温かさというのかな。みんなゆったりしてて柔らかい。それは、盛岡駅でも街中を歩いていても感じられた。人の多さとかじゃなく、ね。

 自分も父方のルーツは山形県。「“東北魂”を大切にしたい」とあらためて思って旅を終えました。

 

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本間 暁[闘路園TOUJIEN]
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