【ボクシング】2・24両国国技館のトリプル世界戦+1批評&考察
打たせず打つ打ち合い。井上拓真は最強アンカハスを引きずり込んで制した
☆2月24日/東京・両国国技館
WBA世界バンタム級タイトルマッチ12回戦
○井上拓真(28歳、大橋=53.4kg)チャンピオン
●ジェルウィン・アンカハス(32歳、フィリピン=53.4kg)9位
※使用グローブ=WINNING黒(井上)、HAYABUSA赤・青(アンカハス)
KO9回44秒
一見すると、一進一退の攻防、打ち合いに映るかもしれない。だが、アンカハスが序盤からかなりのストレスを抱え、苦し紛れの攻撃を必死に繰り返しているように感じた。本人、陣営にとって、最も望むべき展開を、井上があっさりと瓦解させていたからだ。
その最大のポイントは、長い左ストレートを全くヒットさせることができなかったことにある。そして、対する井上と陣営は、これを徹底的にかわす(スカす)ことを戦略の大前提に据えていたはずだ。そうして井上は見事にこれを遂行した。ステップバック、スウェーバック、ヘッドスリップ……。井上拓真のボクシング、その中心にどっしりとそびえ立つ、巧みなディフェンスワークを駆使して。
アンカハスも左ストレートを当てるための“前フリ”を、切なくなるほど一所懸命繰り返した。強引な左右フックを井上のガードに叩きつけ、サイドを意識させようとした。その迫力に飲み込まれた第三者(観戦者)は多数いたのかもしれないが、力み、焦りが明白に表れる以上のものではなかった。
その上、中間距離でも井上の右ストレート、左フックのカウンターを喰らってしまう。井上の入り際に左右アッパーを合わせる策も、リング外からの目には判じかねる井上の細かいフェイントや、クイックだったりタイミングをすらしたりするステップインに打ち壊された。
アンカハスは、しかたなくプランBを目指すしかなかった。接近戦である。
中・長距離のアンカハスに比べると、レベルは一段下がる。それは、まるで天敵のように連敗を喫したフェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)戦でも明らかだった。マルティネスの攻撃力は一級品だし、スーパーフライ級終盤は減量に苦しんでいたとはいえ、決して得意とするものではない。おそらくマルティネス戦を参考にした真吾トレーナーが進言し、対アンカハスとして用意周到、準備万端、整えた戦術だったのだろう。つまり、井上拓真はアンカハスを接近戦に引きずり込んだのである。
松本好二トレーナー、北野良トレーナー、太田光亮トレーナー。井上拓真のミット打ちを見る機会は何度かあったが、その度にミットの持ち手は変わっていた。それぞれのタイミングが異なることは、選手にとってはやりづらいかもしれないが、より実戦に近い感覚を養えるという利点がある。本番の戦いでは、相手は決して合わせにはきてくれないからだ。そして、どのトレーナーとも共通して行っていたのが、執拗なボディ打ちだった。特に、最後に試合を決めた、左肩を入れながら重心を移動させて打つ右アッパーを何度も繰り返し打ち込んでいたのははっきりと憶えている。
これほど長時間にわたって井上が接近戦を演じたことは過去にないだろう。が、決して彼がそれを不得手にしていたわけではない。あれだけの至近距離で、アンカハスの強烈なスイングをかわしまくる技があるのだから。必要だったのは「覚悟」と「決意」だけ。そして彼は、アンカハスが「過去最強」の相手だからこそ、肚を括ることができたのだ。
接近戦からパッと離れ、足を使うシーンもあった。ロープを背負い、アンカハスの連打にさらされる場面もあった。だがそれらはアンカハスの圧を感じての“後ろ向き”なものでなく、あくまでも井上拓真主導の戦術だった。スタミナやペース配分を考慮してのものであったり、リズムを整えたりするためのもの。そもそも、距離を取るボクシングやロープ際の攻防はお手のもの。今回は「打たせず打つ打ち合い」を演じた井上拓真だが、試合後に「だからといって、本来の自分のボクシングのベースを変える気はない」と語ったが、そこにこそ、井上拓真の、そして兄・尚弥も含めた兄弟の強さがある。それを地道にコツコツと長年にわたって、彼らの体に染み込ませてきた真吾トレーナーの凄みがある。
井上=20戦19勝(5KO)1敗
アンカハス=40戦34勝(23KO)4敗2分
曲者サンティアゴにも“右足”機能させ圧勝した中谷潤人
WBC世界バンタム級タイトルマッチ12回戦
○中谷潤人(26歳、M.T=53.3kg)1位
●アレハンドロ・サンティアゴ(28歳、メキシコ=53.4kg)チャンピオン
※使用グローブ=WINNING白(中谷)、REYES黒(サンティアゴ)
TKO6回1分12秒
距離とポジショニングの名手サンティアゴを、難なく自分の距離にハメ込んで圧勝した中谷。苦戦する想像をしていただけに、ただただ脱帽するしかない。
今回に限らず、中谷のボクシングのポイントは「右足」にある。サウスポーの中谷が前に出している足である。彼は長い足を大きく前方に出し、これの調節によってボクシングを作っているとみる。ヒザやつま先でリズムを取るというわけではなく、一見するとドンと置いたままに思えるが、向かい合う相手からすると、これが気になってしまう。障害物のように佇んでいるような感覚かもしれない。
これに加え、長身にもかかわらず、重心を低く落として上体を沈めたり、かと思えば後ろ重心になったりする。向かい合っていると、きっと中谷が近くなったり遠くなったりと、目が幻惑されてしまうのだ。さらに半身姿勢から右ジャブをインサイドに打ち込んでき、強烈な左ストレートとアッパーがそこに被さって飛んでくる。わかりやすく説明すれば、中谷の右が、彼の左の出どころを隠しているのである。
対峙する相手からすると、中谷は懐が深いはずなのに浅く見え、しかしやっぱり深いという前後の奥行きと上下を駆使した複雑な構造の持ち主。これらの組み合わせで幻惑された相手は、見えない左ストレートの恐怖から逃れようと、中に飛び込んでいこうとするしかなくなる。この日のサンティアゴもそうなった。そこにあっさりと追い詰められてしまった。
だが、常に中谷に纏わりつく不安がひとつだけある。それは、この日、同じリングに登場した井上拓真や田中恒成のように、ヘッドムーブをともなったリズムの取り方をせず、基本的に前後動で作る選手だという点。あくまでも、我の強いカウンターや攻撃を主としており、決死の相打ちや2ラウンドにサンティアゴが仕掛けたような二手三手攻撃を喰らう可能性が拭えない。
どの試合でも、危険なタイミングが1度はある。こうなると、偶発的な事故ではなく必然だ。
いま現在は、それを覆い隠して余りあるスケールがある。だが、ここからの戦いは、それを許さなくなってくるかもしれない。より完璧を求める中谷のこと、当然、課題として取り組んでいることと思う。
中谷=27戦27勝(20KO)
サンティアゴ=37戦28勝(14KO)4敗5分
相手の心を読み、タクトを揮い続けた田中恒成
WBO世界スーパーフライ級王座決定戦12回戦
○田中恒成((28歳、畑中=52.0kg)1位
●クリスチャン・バカセグア(26歳、メキシコ=52.0kg)2位
※使用グローブ=adidas銀・黒・緑(田中)、REYES黒(バカセグア)
判定3-0(116対111、117対110、119対108)
相手が何をしたいか、何を考えているか。日常では先読みしすぎるほど先読みし、相手が気づかぬうちにさりげなく事を終えているような田中恒成の繊細さが、余すことなくリングに曝け出された。リングの外では気遣いだが、中ではその逆。相手が嫌がることを徹底してする。
これまでは、スピードやフィジカルの強さといったストロングポイントを全力で押し出して相手を蹂躙してきたが、向かい合う相手の心を読んで、ほんの少しずつ先を行く。一気に置き去りにするのでなく、指揮棒を振って誘導し、相手が気づいたときは、無数の糸で体をぐるぐる巻きにしてしまっているような感じだ。
個人的に特に印象的だったのが、左フックからつなぐバカセグアの左アッパーのかわし方と、田中の右のオーバーハンドを打たせまいと、バカセグアが上方から打ち落とした左フックのよけ方だ。いずれも小さなステップバックとボディワークで難なく空振りさせたが、反応というよりも、必然を心得た先読みと感じた。
後に登場する井上拓真と同様に、田中も近い距離、空間で戦えるようになった。この“戦える”というのは単純な接近戦をできるということでなく、ガードやブロッキングだけに頼らないディフェンスができるということ。そして、かわしながら、次の攻撃への動作に移行でき、瞬時に攻撃を仕掛けられるという意味だ。バカセグアの右を、頭の左側に流すヘッドスリップから右アッパーをボディに差したのは、そのひとつだ。
バカセグアは、そのヘッドスリップを追いかけるような右を打ち始めたが、すると田中はバックステップや、右サイドへのターンで対処した。そういう一つひとつを流さずに、丁寧に上書きしていく。高い防御力がなければ実現できないこと。だからこそ、攻撃の幅も広がり、たくさんある引き出しを開けていくことができるのだ。
手負いのバカセグアが、苦し紛れの果てにクリンチやボディアタックからの連打を仕掛けてきた。もちろんこれも想定していた田中は、決して慌てるようなことはなかったが、防御をしながら思考する時間がやや長かったようにも思う。引き出しが多いがゆえに、どれを開けようか迷っている風でもあった。器用だからこそ陥りやすい逡巡だ。
選択ミスをしたくない。丁寧に戦うことを第一とした田中だからこその“空白の時間”で、それは決して間違ってはいない。けれども、求めていたストップに持ち込めなかったのは、バカセグアのタフネスと頑張りがあったとしても、落ち着いているがために生じた逡巡に拠るところが大きいとみる。
そしてもうひとつ。彼のウイニングショットである左ボディブローが思いのほか少なかった。バカセグアのブロッキングがどうこうでなく、田中の打ち方自体が、普段とは違ったように感じた。拳なのか腕なのか定かではないが、打ちづらい理由があったのかもしれない。この戦力をいつもどおりに使えていれば、きっと倒せていただろうが、フルラウンドにわたって、新たな姿を堪能できたことがよかった。
村田大輔トレーナーをはじめ、チームがひとつになって目指してきた方向性の正しさ。そこに、父・斉さんと培った“ストロング・スタイル”がミックスされればとんでもないことが起きる。そういう大きな期待を抱かせる戦いぶりだった。
田中=21戦20勝(11KO)2敗
バカセグア=29戦22勝(9KO)5敗2分
古き良き色気放つ増田陸のボクシング
バンタム級8回戦
○増田 陸(26歳、帝拳=53.4kg)日本3位
●ジョナス・スルタン(32歳、フィリピン=53.3kg)WBO6位
※使用グローブ=REYES黒(増田)、EVERLAST赤(スルタン)
KO1回2分21秒
山中慎介が纏っていた“色気”を継承したような、ゾクゾクさせる増田のボクシングだった。大先輩・山中への尊敬はもちろんのこと、「昭和のボクシング、会場の雰囲気に憧れている」と聞き、合点がいった。昔懐かしい香りがプンプンと漂うのはそのためだ。
しかし、「昔はよかった」などという懐古論者では決してない。当の増田も強打に隠れがちだが、リードブローやフェイントと、現代ボクシングに即した多彩な右の使い方をこなしている。足運びも実になめらかだ。強打者特有の“縦方向限定”の動きといった課題にも取り組んでいる様子が窺えた。
この勝利でバンタム級世界ランカーの仲間入り濃厚で、トップ争いはますますおもしろく、混迷を極めるが、バンタム級としては大きい体だけが、現状では心配だ。こだわりが強いあまり、過度な減量等が生じてきたら、思いきってクラスを上げてほしい。
増田=5戦4勝(4KO)1敗
スルタン=26戦19勝(11KO)7敗
《両国国技館・現地取材》