職業・ヒコロヒー。
お笑いが好き、というわけでもないわたしが、ヒコロヒーさんにはまったわけをつらつらと。
うつ病がひどくなり、テレビも活字も見られなかったわたし
ここ数年うつ病がひどく、テレビも見られない、活字も読めない状態が続いていた。何にも興味が持てず、集中力が持続しないのだ。
当然のように世間一般の流行りごとなど全く知らずに過ごしてきていた。
そんなわたしの前に、ヒコロヒーさんが現れた
何とか新聞が読めるようになり、 NHKのニュースくらいは見られるようになったのは今年に入った頃だと思う。
ふとつけたテレビに、セットアップ姿の「きれいなお姉さん」が写し出された。きれいな長い髪、涼しげな二重の目元、聡明そうな口元、白い肌にナチュラルなメイク、折られた袖からのぞく過剰すぎないアクセサリー。少し色気のある軽やかな佇まい。新手の文化人か?と思った。
初めて見るその「お姉さん」がしゃべり出した途端、もう本当に何年かぶりに、テレビの前でわたしはげらげら笑っていた。少し鼻にかかった低めの声、独特の口調、ツッコミを入れる時の絶妙な言葉の選び方に一発で魂を掴まれた思いがした。
遅ればせながらヒコロヒーさんを知った瞬間である。
今さらだが、ヒコロヒーさんとは?
ヒコロヒーさんのプロフィールはこちら
たばこと酒と麻雀をこよなく愛していること(このひとのたばこの吸い方はきれいだし、お酒の飲み方も見ていて気持ちいい)、借金ネタの動画があることなどから「やさぐれキャラ」と称されているらしいヒコロヒーさんだが、趣味や特技が半端ではない。CMでは弾き語りも披露していた。
Instagramを見ると英語、韓国語以外に中国語でもキャプションがつけられている。それはきっと彼女の発信力の高さに繋がっているのだろうなと思う。
その時の様々な感情、様々なできごとを、日本語以外の言語でも伝えられることは大きな武器である。ヒコロヒーさんは身につけた語学力を駆使して、その場にふさわしい発信を続けているように思う。
5月に放映された「アナザースカイ」で見せた、恩人の留守電へのメッセージを流暢な英語で吹き込む姿も印象的だった。こうして、このひとはいろいろなひとと繋がれるのだなと感じた。
こころにするりと入ってくる、ヒコロヒーさんの文章
芸人という職業柄、言葉には敏感だろうと勝手に思っているのだが、ヒコロヒーさんが綴る文章はするりとこころに入ってきていろいろな感情を揺さぶりに来る。
Webで読める連載やブログ、note、エッセイ「きれはし」で見せる言葉の選び方や使い方、構成力の高さ、読ませる力には目を見張るものがある。地頭のよさなのか、持って生まれたセンスなのか。
何度でも読み返したくなる中毒性のようなものを孕んでいて、本当に好きだ。
芸人の枠を超えたマルチな活躍ぶり、ひかりを放つ唯一無二の存在。
このひとの職業は、「ヒコロヒー」だ!
芸人としてコントを披露するだけでなくバラエティー番組にも引っ張りだこだし、NHK短歌のMC、ラジオのパーソナリティ、ドラマへの出演、ライブグッズのデザイン、CONVERSE TOKYOとのコラボなどマルチな才能を発揮しているヒコロヒーさん。そして、そのどれもが「ヒコロヒーさんじゃないと成り立たない、代わりがきかない」ものである。唯一無二の存在なのである。
肩書きは芸人だが、もう芸人という枠はとっくにはみ出した活躍ぶりである。芸人以外の仕事のひとつひとつのレベルも高く、俳優と名乗っても司会者と名乗っても文筆家と名乗ってもデザイナーと名乗っても何ら違和感がない。
このひとの職業は、もう「ヒコロヒー」でいいんじゃないか。かの寺山修司さんが発した、「職業は寺山修司です」みたいなものだ。
そんなことを思いながら、コントのライブDVDを見てまたげらげら笑っているのである。
わたしのこころに、ヒコロヒーさんがもたらせてくれるものは
こころの病気を持っていると日常から「笑う」ことが欠落しがちだ。すっぽりと暗いベールに覆われ、こころが真っ暗なところに吸い込まれてしまい、こころが揺らぐことすらなくなってしまう。
今、わたしのこころはヒコロヒーさんが放つ光のおかげで少しずつ暗いところから脱出しつつある。
特にお笑いが好きでもないわたしが、ひとりの芸人によって救われるなんて想像したこともなかった。
ふらふらしながらでも生きてみるものである。このひとのおかげで、まだわたしなりに生きていけそうだ。