【ひとりごと】トラウマとの向き合い方
わたしは毎日夢を見ます。いつもは汚いトイレの夢なんですが(トイレから水が漏れている)、たまに仲たがいして絶縁した友人、元恋人がでてきたりします。
でも、夢のなかではわたしたちの問題が解決され、彼らに許されている。わたしが安心すると、その夢から覚めます。目が覚めた瞬間、なんともいえない寂しさが残ります。
結局のところ、わたしは寂しいんですよね。本当はみんなと仲良くなりたいと思ってもうまくできないから。
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今日はメンタルの病院でした。母とのことがトリガーとなって、今までの疲労が溢れて3~4日泣きまくってしまい、救急で診察をしてもらいました。
ここ数年症状がうつだったため、「今までの症状(発作)から変わったのではないでしょうか(うつ病になった)?」と聞いたら、先生は否定しました。
「エネルギー切れ(うつ病)というよりも、何か外的な要因でトラウマが刺激され、うつ症状になっているんですよね」
とのこと。
トラウマ。今まで強く意識したことがあまりなかったのですが、わたしにはトラウマがあるようです。
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意識しなかったというのは、入院した頃、相当ひどい環境下で育ってきた子たちを見たから。いわゆる虐待ですね。ここには書けない、一歩間違えればニュース記事になりかねないような体験を彼らはしていました。
それと比較して、わたしはあまりひどくないから、自分が勝手に深刻に受け止めている(深く傷ついている)だけなのかもしれない、と思っていました。これまで。
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でも、ある本に書かれてあったのですが、人の脳は刺激に対する感度が個々で違うようです。これが何を意味しているかというと——。わたしが思うに、"ストレスを受け止める器の大きさの違い”なのではないか、と。
たとえば、いじめ体験があってもそれを乗り越えて大人になったら普通の対人関係を築ける人がいる一方で、そのいじめ体験が自分にとって死に関わるほどの衝撃だった場合、大人になっても人との距離感がうまく掴めなかったりする。普通の人より気を遣いすぎたり、距離が遠かったりとか。
HSPというバズワードがありますが、あれと同じですね。いわゆる繊細さん。でもそれを脳の仕組みで考えれば、「刺激に対する感度が高い」と言える。
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それで、わたしは「人と比較してたいしたことない」と思っていた、過去の傷ついた体験も、わたしという当事者にとってみれば「トラウマ体験」になりうるのかな、と思ったりしました。ストレスの衝撃(感度)が強かったんだ、と。
極論すれば、「まったく傷つかない人」なんていませんよね。ストレスの受け止める程度は違いますが、あまり傷つかない人は少し何かが鈍いのだと思います。共感力が低いとかね。
わたしも大人になってだんだん鈍くなってきたというのと、自分のトラウマ体験を人に話せるようになって、だいぶ自分の心との付き合い方ができるようになりました。たまにうつ症状を引き起こすけど。
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「過去の体験の言語化」ってかなり大事です。いろんなインフルエンサーさんが言っていますが(もちろん海外の心理学サイトで裏もとりました)、過去の傷ついた体験を言葉にする、物語化にすることによって、トラウマが昇華されていくようです。わかりやすくいえば、過去のとらわれから手を放すことができるようになるんですよね。
発達心理学の本で書いてあったのですが、女子児童のほうが男子児童より暴力性(相手を殴るとか)が低いようです。暴力性に性差がある、というか、女子児童のほうが言葉によるコミュニケーションが多く(手紙のやりとり、おしゃべり)、男子児童と比較して言語能力が高い。だから暴力という手段を使わなくても、言葉で解決しやすい、みたい。
ほんとうに本を読んだほうがいいね。
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わたしは子どもの頃、本をまったく読まなかったので、感情の対処能力が低かったです。怒りがあっても抑圧したり。本を子どもの頃読んでいれば、自分の感情がわかるようになるし、相手の攻撃性も俯瞰してみれただろうなあ、とちょっと後悔しています。
大学生になって必死に読書して、今があるわけですが。
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最近、文章を書いていないので、リハビリ感覚でとりとめなく書いてみました。この記事読んで「ふーん」「そういう考えもあるんだ」と思ってくれたら、幸いです。
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