VUCAの時代は本当か(2)
VUCAの根拠を検証する
次に、VUCAの時代が到来した根拠になっている事象をいくつか取り上げて検証していきましょう。
戦争
まず、ビジネス以前に、人々の人生に最も大きく影響するものとして戦争が挙げられます。
ウクライナ戦争は何の前触れもなくロシアが一方的にウクライナに攻め込んだことからVUCAの時代の象徴のように感じますね。
しかし、20世紀には第1次世界大戦、太平洋戦争を含む第2次世界大戦だけでなく、様々な戦争が勃発し、数千万の単位で人命が失われています。
ざっ内戦を除く戦争を振り返ってみても、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン侵攻、湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争、イラク戦争が挙げられます。2014年にクリミアが占領されたウクライナを加えることもできます。
どれくらいの死者が発生したのかはっきりしない場合がほとんどですが、数十万人以上の戦死者も珍しくありません。
ですからウクライナ戦争は、被害の規模という観点では、20世紀の戦争に比べればずっと小さいことになります。
ウクライナ戦争が特に注目された要因は、SNSで被害状況がリアルタイムに共有されたこと、そしてウクライナが欧州の一員とみなされていたことにあるでしょう。2011年に始まったシリア内戦は、ウクライナ戦争と同じようにロシアが参戦し、大量の死者と難民を生みましたが、おそらくイスラム圏に属していたために、日本で大きなニュースになりませんでした。
それよりも、突然ロシアがウクライナに侵攻したことの方が、VUCAの時代を感じさせるでしょう。
ですが、太平洋戦争末期、日本と不可侵条約を結んでいたソ連が突然攻め込んできた事例があります。また、大量破壊兵器が存在しないにもかかわらず始められたイラク戦争も同様です。特に攻められた国にとっては、予測不可能か、間際になってようやく察知できた例がほとんどです。
太平洋戦争の終結以降、自国が戦争に巻き込まれる恐れを抱かずに済んできた日本にとっては、ウクライナ戦争はとてもショッキングですが、世界の歴史を顧みれば、このくらい突然に戦争が勃発することが繰り返されており、最近になって不確実性が増したとはいえないはずです。
感染症
大量の死者を招くということなら、戦争以上に感染症のインパクトが大きいといえます。
何より忘れてはならない感染症はペストです。
ペストは歴史的に重大なパンデミックを引き起こしました。14世紀のパンデミックはユーラシア大陸を席巻し、正確な数値はわかりませんが、数千万人以上が死亡したとされています。欧州全体で人口の30%から60%に及ぶ数です。
スペインが南米大陸に進出した際、持ち込まれた感染症が先住民族に壊滅的な影響を与えたことは広く知られています。最も重要なパンデミックは、欧州から持ち込まれた病原体によって引き起こされた「新大陸への征服者」とも呼ばれる病気です。
主な病原体は、天然痘(smallpox)や麻疹(measles)などの伝染病でした。欧州やアフリカの人々はこれらの病気に対する免疫を持っていましたが、南アメリカの先住民族にはほとんど免疫がなかったため病気が広がり、壊滅的な影響をもたらしました。
具体的な数字は不明ですが、南アメリカ全体で数百万人以上の先住民族が感染症で死亡したと推定されています。一部の地域では、人口の90%以上が死亡したという報告もあります。
スペインが銃をはじめとした強力な武力を持っていたからだと考えがちですが、感染症の方が、はるかに影響力が大きかったのだとわかっています。
2019年に始まったコロナウイルス感染症は、これらと比較して影響がはるかに小さく抑えられています。ウイルスが人間に対してさほど悪質でなかったという事情はあるにしても、パンデミックの早い段階でワクチンを開発・大量生産するなど、科学の進歩が抑制に大きく貢献したことは間違いありません。
そういった観点で、歴史的に見れば、感染症は影響が小さくなりつつあるといってよいでしょう。
気候変動
気候変動は人類が直面する最も重大な課題の一つであり、抜本的な対策が急務です。しかし、気候変動への対応は政治的に優先されにくく、先送りされがちです。その理由の一つは、気候変動が緩やかに進行するため、目の前の課題として実感しにくい点にあります。異常気象や自然災害は徐々に頻度や規模を増していますが、短期的な視点で見れば、大きな変化がないように見えることが多く、選挙における得票にはつながりにくいと考えられます。
さらに、二酸化炭素の排出と気候変動との因果関係は科学的に示されているものの、一般市民には直感的に理解しづらく、政治家や政策立案者が優先すべき課題として取り上げにくい面もあります。企業や産業に対して温室効果ガスの排出削減を義務づける政策は、短期的には経済的な負担や競争力の低下につながるため、反発を招くことも少なくありません。そのため、選挙対策としても取り組みが後回しにされる傾向が強まります。
また、気候変動対策には長期的な視点が必要であり、現行の政治システムが持つ短期的な成果を求める性質と相容れない面もあります。これにより、気候変動の危機が深刻化しているにもかかわらず、実質的な進展が見られない状況が続いています。政治的な意識改革と社会全体での理解が進まなければ、抜本的な気候変動対策の実施は難しいままであるといえるでしょう。
私は、気候変動こそ、急いで抜本的な対策を講じるべき人類全体の課題だと考えていますが、不確実でも曖昧でもなく、「今そこにある危機」なので、VUCAとは違っているように思います。問題は、危機を直視したくないから直視しない、ということです。
経済
VUCAを持ち出して将来の不安を煽り、それをビジネスにつなげる人たちがいるということは、すでにお伝えしました。
多くの人が不安に思い、ビジネスにつながる出来事として、雇用の不安が挙げられるでしょう。
「ある日突然、職を失う可能性がある。それは大変なことなので、今のうちから備えておきましょう」という主張がよく見られます。
保険をはじめとした金融商品や、転職を前提としたスキル獲得支援など、さまざまな業種がこの分野に参入しています。
雇用を失う原因として、まず考えられるのが経済の急激な下落です。
予想もできず、ある日突然不幸な出来事が訪れるという点では、株価の急降下を思い浮かべる方も多いでしょう。過去にはブラックマンデーやリーマンショックなど、株価が上昇するには時間がかかる一方で、急激に下がるのはほんの1日という出来事が何度も起こっています。これは今後も避けられないことかもしれません。しかし、最も大きな株価の下落は1929年の世界大恐慌であり、それ以降、似たような事態があっても小さなインパクトで収まっています。これは、人類が多少なりとも学んできた知恵が活かされている証拠ではないでしょうか。
もう一つの大きな要因が技術革新です。蒸気機関の発明やそれに伴う自動車の普及、コンピューターの進化など、新しい技術が導入されることで従来の仕事が失われるリスクが常に存在します。個人レベルで見れば、自分の仕事がなくなるリスクを抱えることになります。しかし、新しい技術が生まれることで、新たな仕事も同時に創出されています。
直近では、人工知能(AI)の急激な進歩が人々の不安を掻き立てています。現在のAIブームを生み出した深層学習(ディープラーニング)は、2012年に画像認識のコンテストでトップの成績を収めたことから急速に広まりました。ただし、それ以降は10年以上かけて徐々に進化してきたのが実情であり、VUCAが問題にしているように、ある日突然、目の前の景色が変わるという性質のものではありません。
現在の不安については、金融リテラシーを高め、いざという時に備える必要がありますが、必要以上に不安になるのも意味がありません。
技術革新に関して言えば、いかなる大発見や大発明であろうとも、それが実用化され、人々の生活を変えるには相応の時間がかかることを考えれば、パニックにならず備えることが適切な対応と言えるでしょう。
AIの台頭が人類を危機に陥れる可能性については、さまざまな言説が飛び交っており、無視するわけにはいかないでしょう。
ノーベル物理学賞を受賞した、AI研究者として著名なヒントン氏は、
「AIが人類よりも賢くなれば、人類に代わって社会を支配する恐れがある」
「私の推測では、それは早ければ5年後、遅くとも20年後に起こる可能性がある」
と語っています。
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20241009-OYT1T50301/
映画『ターミネーター』で描かれた未来が現実のものになる可能性もある、という指摘です。
私自身、不安はありますが、具体的になっていない段階で心配しても仕方ない、と考えるようにしています。