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「男の日傘」と、転職活動|びす

この夏、日傘を買いました。

なぜ買ったのかは、うまく説明できません。街頭で日傘を差す男性の姿が増え、ふと「日傘って男も差していいんだ」と思った程度です。酷暑が日を追うごとに厳しくなり、「これは命にかかわる」という切迫感も手伝って、7月初旬にネット通販で購入しました。

僕は、夏がずっと苦手でした。日光がまぶしくて、目がチカチカして、体調も崩しやすい。少し日なたにいただけで頭がボーっとして、目が回るような感覚に襲われながら原稿を書いたことも一度や二度ではありません。

ところが、今年の夏は日傘を差しただけで、その症状はパタリと止まりました。夕方になってもグッタリとせずに働いていられる。たった数カ月で「体調管理上も欠かせないもの」と認識を改め、常に持ち歩いています。

「なんで今まで差さなかったんだろう?」。今では、そんなふうに思うことすらあります。

日傘を差す男性が増えていることについて、ニュース記事では「抵抗感が薄れている」「周囲の目よりも実用性」といった取り上げ方をされています。「恥ずかしくない」といった使用者のコメントも、よく引用されていました。

当事者の一人として振り返ると、男性で日傘を差すことへの「気後れ」があったというよりも、単純に「自分は日傘を差さないものだと決めつけていた」だけのような気がします。

考えてみると、奇妙な話です。

家族を含め、日傘を差して過ごす女性の姿は、昔から見てきました。もっと夏を快適に過ごせる可能性は、目の前に転がっていた。しかし自分はそれを試さずに、何年も「暑い、暑い」と顔をしかめていました。意味のない先入観で、ずっと損をしていたようです。

変化とは、得てしてそんなもののような気がします。

オンライン会議やキャッシュレス決済も、いざ使い始めると、あっという間に定着する。しばらくすると、「なんで今まで使わなかったんだろう?」と思うようになります。

これは「変化を恐れてはいけない」というお題目よりも、もう少し根の深い話のように思います。僕らは、よりよく生きられる可能性や手段があるのに、往々にしてそれを「他人事」だと思っている。ともすれば、視界から無意識に外してしまっているような気がします。

変化を恐れる前に、そもそも、変化の兆しがあることを自覚すること自体が、とても難しいのかもしれません。

「なんで、もっと早く転職しなかったんだろう」

転職経験者のインタビュー中、取材相手から、そんな思いが漏れる瞬間があります。「転職はしなくても、転職活動はしておいて損はない」という言葉も、何度か耳にしました。

決して、転職すること自体が正しいとは思いません。ただ、自分とは無縁に思えても、可能性や変化に対して「いちおうオープンでいる」ことは、個人の勝手で、構わないとは思います。周囲の目を気にしたり、後ろめたく感じたりする必要はない。

転職活動と、男の日傘――。かけ離れた対比ではありますが、両者に対する心の持ちようには、意外と通底するものがあるのかもしれません。

9月の残暑も、厳しいそうです。僕はもう少し、日傘に頼るつもりです。