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新卒入社は「あの年」の東京電力 「人生の迷子」から34歳で自治体ナンバー3に

※本記事は過去にビズリーチに掲載したもので、掲載当時の内容となります

2022年、大手商社の豊田通商から、縁もゆかりもない新潟県加茂市のCSO(最高戦略責任者)に就いた市川恭嗣さん。市長、副市長に次ぐナンバー3のポジションです。若いころから行政に興味があったものの、実家は「医師一家」。ここにたどり着くまでには「人生の迷子」となる時期もあったそうです。東日本大震災直後に東京電力に新卒入社するなど、激動といっていい歩みをご紹介します。

市川 恭嗣(いちかわ たかし)
2022年、3年間の任期付きで新潟県加茂市のCSO(最高戦略責任者)に就任。2011年、新卒で東京電力入社。その後海外留学、国会議員秘書を経て2015年に豊田通商入社。2022年10月から現職。京都大学経済学部卒、愛知県出身、35歳。

医師一家に生まれて

生まれは、いわゆる「医師一家」だった。地元の愛知県豊橋市で比較的名の通った総合病院は、祖父が開業して、父とその兄が継いだ。父方の親族は医師ばかりだ。
10代の途中まで、自分もやがて医師になるのだと思っていた。地元の名門進学校に通い、自身の背景を知る教員も、自分が医の道を志していると当然視しているようだった。だが高校2年生で文理選択を迫られたとき、市川さんは志望を「文系」で提出した。
「確固たる思いがあったわけではなかった」と、市川さんは当時を振り返る。事実、高校2年は文系クラスで過ごしたものの、その後3年への進級時に「理転」している。だが、周囲が当然視していた医学部進学の道に、市川さん自身は疑問を抱いていた。

物心ついたころから、父は車いすで生活していた。20代のころ、首にできた原因不明の腫瘍で父はいっとき、生死が危ぶまれる状況になった。幸い命はとりとめたが、後遺症をもたらした。それでも医療者として患者に向き合い続け、病院経営もする父の背中はまだ若い市川さんの目には「偉大過ぎる」ように映った。

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