教養への誤解が哲学を墓に埋める~現代的リベラルアーツ論
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。
御覧いただき、ありがとうございます。
さて、最近、ある勉強会の場で、リベラルアーツについてのお話があったのですが、そこに参加されていた方の感想で、いくつか気になることがありました。
もともとのお話としては、過去の様々な思想家や人文社会系の研究者の様々な理論や説を紹介して、これらが現代のわれわれにいかに役立てるか、といったようなお話だったのですが、そのお話への感想が、「自分は知識がないので難しかった(消化しきれなかった)」「自分は教養がないので知らないことばかりだった」というような声が多かったように感じました。
ちなみに自分の専門は社会学ですが、大学のときの学部は哲学科であったこともあり、ちょっとこれらの声に反応して、リベラルアーツとは何か、というお話をコメントとしてさせていただきました。
その話が割と整理されていたので、書き残そうと思って、この記事を書いています。
そもそもリベラルアーツとは何か?
まず整理しておきたいのが、そもそも「リベラルアーツとは何か?」ということです。
桜美林大学の整理がわかりやすかったので引用しておきます。
イギリスの場合については、こちらの記事がわかりやすかったです。
イギリスという国の成り立ちを見れば、もともとはケルト人が住んでいたところに、中世にゲルマン民族のアングロサクソン諸部族が入り込み、建国した国です。文化的ルーツをたどればギリシアやローマに行くわけではないのですが、自分たちの歴史の正当性を担保するためにも、エリートが歴史や哲学を学ぶ、ということが重視されたようです。
アメリカの場合については、こちらの記事がわかりやすかったです。
ちょっと長くなりましたが、注目したいのは、こちらはリーダー教育である、ということと、「ただ単に知識があるだけではなく、その中で人と議論をし、多角的な視野で諸課題に取り組み、クリエイティブに発想する力」を養うために、リベラルアーツが始まった、ということです。
そしてその素材はやはり、歴史のないアメリカですから、ギリシアやローマの古典を学ぶ、ということが中心になっていったのですが、これは先述のイギリスのプログラムを取り入れたからなのでしょう。
教養は知識ではない
それでは話を教養に移していきましょう。名古屋大学の新入生向けのコンテンツの中のコラムがわかりやすくまとめてありましたので、こちらも引用してみます。
さて、ここで、リベラルアーツと教養がつながりました。このコラムでもいろいろな定義が書かれていますが、無理やりに共通項を探すと、自分がどのように生きるべきか、ということに答えを得るために学ぶこと、ということが言えそうです。
ここまで話してきて、最初の「自分は知識がないので難しかった(消化しきれなかった)」「自分は教養がないので知らないことばかりだった」という言葉への違和感の正体がわかったような気がします。
つまり、昔の誰々が何を言った、という情報を知っているか知っていないか、ということは、この教養やリベラルアーツの目的から言って、意味のないことである、ということです。
教養やリベラルアーツにとって重要なことは、今、あなたが自分の生き方に照らして何を思い、何を考えたか、であって、そのネタになっているものを知っているか知らないかはどうでもいいのです。しかし、なぜか日本の教育を受けた人は、知っているのがいいこと、知らないのは良くないこと、と思ってしまう。ここに問題意識を持った方がいいのでは?と思ったのです。
古典を学ぶのではなく、古典から学ぶためのテクスト論
この問題を払拭するためには、まずは、テクスト論という考え方を知らなければなりません。
これもわかりやすくまとめている記事がありましたので引用してみます。
考えてみましょう。古代ギリシアやローマの古典が書かれているのはギリシア語やローマ語です。その言葉の意味を本当に理解するためには、その時代に存在していたものを知らないと完全に理解することは難しいでしょう。従って、良くも悪くも私たちは、自分たちの常識に照らして古典を読むことになります。そこで解釈が入ることになります。
さらに、多くの場合、私たちは翻訳されたものを読むことが多いでしょう。それは、例えばラテン語から英語に翻訳され、それがさらに日本語に翻訳されたりしています。そうなると、誰かが解釈したものにさらに解釈がされ、それを解釈する、ということになります。そこに正しく著者の意図が理解できているかどうか、という問いを立てても、これは確かめようのない問いになってしまいます。
実際には、私たちは既に当たり前に「テクスト論」的な立場を受け入れています。例えば、国語の問題で、「作者の意図を答えよ」という問題は、出題側も回答側も、この「テクスト論」の立場に立たないと成立しません。
極論を言えば、既に文字と化してしまったものは、誰がどんな風に読もうと自由なわけです。その前提に立つと、結局、リベラルアーツにとっても教養にとっても、あるテクストを読んで何も思い、何を感じたのか、ということが重要であり、そのテクストについて知っているか、知っていないか、ということを言うのは、そもそも意味のないことである、ということができます。
ですので、これまた極端な話、リベラルアーツは別に古典ではなくても、漫画でも絵本でも成立する、ということが言えるのではないか、と思うのです。
間違った教養感が哲学を殺す
さて、リベラルアーツや教養の目的について考えていくと、自分はどう生きるのか、ということを自分で考えるためのヒントとして、様々なテクストを使っている、という本来の姿が見えてきます。
しかし、世の中にはまだまだ、教養=知識である、と思っている人も居て、知識の量のあるなしを、教養のあるなしと思ってしまっている人も多いような気がしています。
私が大好きな本に、鷲田清一さんの『聴くことの力』という本があるのですが、この本の中で、鷲田さんは、「哲学はこれまでしゃべりすぎてきた」とおっしゃっています。
哲学者が何かを思い、それを文字化するのは、まあ、お仕事なので、哲学者を責めるのは間違っているとは思いますが、古典から始まり、いろいろなことを言っている間に、いわゆる市井の民にとって、哲学が難しい、よくわからない、と思うようになってしまった、そういう問題意識を鷲田さんは持たれていると思います。
結果として、例えば、理系の科学者であっても、社会に影響を与える存在になるのであれば、その根底には、人とは何か、幸せとは何か、人の倫理とは何か、といった、哲学的な問いを考えておいて欲しいわけです。しかし、現在の教育はそうなっていない。その結果、人や世界を不幸にする科学の発展が起こってしまうかもしれない。そういう危機感です。
教養=知識、と考えると、知識が多い人が教養がある人、になってしまう。実際には、様々な人の考え方に触れ、自分なりに、生きるとはどういうことなのか、自分はどのように生きるのか、といったことを考えて、大人になるまでに何らかの答えを自分の中に持っておいて欲しいわけです。それが教養であり、様々な哲学者もそれをやってきたわけですし、哲学者の価値は、人々が自分で考えるきっかけを作ることにあるのです。そのとき、まさに古典であっても、哲学が生きている、活動している、活躍している、と言えるのです。
しかし、哲学者の言っていることってよくわかんないよね。難しいよね。自分は教養がないからわかんないや。となったらどうでしょう。この時、哲学者の言っていること、書いている文字群は意味を成さず、重い固い書籍という棺桶に閉じ込められ、図書館の奥や古本屋の隅といった墓場に、そっと埋められることになります。哲学の死、というのはまさにこういう状況です。
今こそ、哲学の復活が必要なとき
大学生と接していても思うのですが、現在のわれわれのまわりには、ものすごくたくさんの情報が溢れています。すべての情報をキャッチすることなど、とてもとてもできそうにありません。それでは断片的な情報からどのように世界を判断していくのか、ということを問われることになるかと思うのですが、そのとき、重要になってくるのが、自分の中での哲学的な対話の経験です。
人とは何か、社会とは何か、自由とは、愛とは、正義とは、、、、、
こういったことをあらかじめ考えていない人は、容易に他人の言説に自分の思考を流されてしまいます。さらには最近ではAIも誰でも使えるようになっています。私は大学生には、AIは使ってもいいけど、AIに洗脳されないように、とよく言っています。自分の考えとは合わないけど、AIのアウトプットの方が賢そうだから採用しよう…としていると、いつまでたっても教養ある人間にはなりません。そうするとAIにも人間にも、いいように使われる人になってしまうかもしれません。
最後に大事なことなので繰り返しますが、教養というのは古典について、あなたが知っているか知っていないか、が問題なのではありません。古典で書かれていること、言われているとされていることに対して、あなたがどう感じ、何を思うか、ということの方が重要なのです。そこに正解はありません。ただ、あなたがあなたとして生きるとはどういうことなのか、そのスタンスを明らかにした方が、あなたが幸せに生きることができるのではないですか?と哲学は問うているのです。これが、哲学を生かす、ということだと思うのです。
現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。
ご意見・ご感想・記事で取り扱って欲しい話題のリクエストも専用フォームより募集しております。