他人の視線を気にしても仕方ない
『他人の視線を気にしても仕方ない』
そんなこと言われても気になってしまいますよね。
しかし、他人の視線(評価)は所詮、その他人自身の価値観から見えた評価でしかありません。そんな他人からの評価に振り回されてしまうと、あなたが本当に達成したい目的が果たせなくなってしまいます。
ここからは他人の評価がいかに不確定で気にしても仕方ないものなんだという主張を裏付ける、こじつけ理論を展開していきます。
例えば、
『40歳男性が実家暮らしを続けている。』
この男性に対して、あなたはどんなことを思いましたか?
『親の介護で実家暮らしをせざるを得ないのかもしれない』と思った人もいるかもしれないですね。
でも多くの人は、
『良い歳して親のすねをかじっている自立できていない人』と思ったのではないでしょうか?
結婚相手から無意識のうちに除外する女性の方もいるでしょう。
では、この人が『時価総額100億円の会社を立ち上げた』という条件が付いたらどうでしょうか?
『親のすねをかじっている自立できていない人』という評価は消え去るでしょう。
ここまでの条件ではないとしても、『医者』『弁護士』といった職業だったり年収1,000万円以上を稼いでいるといった条件であっても、同じように『親のすねをかじっている自立できていない人』という評価は消えるのではないでしょうか?
『年収500万円くらいの普通の会社員』という条件であれば、『親のすねをかじっている自立できていない人』という評価はされるかもしれないですね。
これらの違いは、多くの人にとって『年収500万円くらいの普通の会社員』という存在は、自分も努力すれば実現できるレベルであり、『弁護士・医師』『年収1,000万円』『会社の創業者』といったことは努力しても実現できないレベルだと無意識に思ってしまうかどうか。
実現できないレベルだと思ってしまうと、自分と同じレベルではないから侮蔑・嘲笑の対象にはならないのです。
『40歳男性で実家暮らし』という事実は変わらないのにです!
年収500万円の人は侮蔑・嘲笑の対象として評価するのに、『弁護士・医師』『年収1,000万円』『会社の創業者』は侮蔑・嘲笑の対象とならないのは、そういったレベルの人に対して自分が負けていると思っているから、侮蔑・嘲笑した結果、ブーメランで自分が言い返せない侮蔑・嘲笑をされることを恐れてしまうから。
また、自分と同じレベルであると『自分はこんなに苦労して、やりたいことも我慢して家賃とか払って頑張っているのに、あいつは実家が職場に近いだけで自由に使えるお金が多いのは理不尽だ。』といった自分に都合の良い解釈をして、自分と同じ苦労を味合わせようと思ってしまうのが人間です。
『出る杭は打たれる』と言いますが、これは自分だけ取り残されるのが怖いという心理が一人一人に働き、それが集団心理へと発展して、起こる現象でしょう。
これまでの話を踏まえた上で、もう一度、主張してみます。
『他人の視線を気にしても仕方ない』
どうでしょうか?
最初に感じた思いと異なった思いが芽生えましたか?
最初と同じ思いですか?
最初と同じように『やっぱり他人の視線が気になって仕方ない』場合は、あなたにとって重要なのが、「他人からどう見られているか?自分はどう見られたい」ということなので、『他人の視線を気にしても仕方ない』という主張を気にしないようにしていくことをオススメします!
違った思いが芽生えた人は、『自分にとって果たしたい目的の為に行なっている現在の行動が他人からどう見えるのか?どう思われているのか?』といったことを気にせず、目的達成だけを見据えて行動することをオススメします!