読書感想:「友達・棒になった男」(安部工房)①(友達)
あらすじ (wikipediaより)
一人暮らしの男のアパートに突然と闖入してきた奇妙な一家が笑顔で隣人愛を唱え、親切心の連帯で孤独の思想を駆逐し殺してしまう物語。 男の部屋を侵略する一家の疑いを知らぬ善意が、怪物化してゆくブラックユーモアの中に、現代社会の人間の生の構造や他者との関係性が描かれている。
得体の知れない気味悪さで重心が崩れた心に正拳突きを浴びせてくる本
読書後の率直な感想は「わからない」「なんだこれ」である。
どう解釈すべきなのか。そもそも解釈を加えず、ただ内面に立ち現れる感覚を味わうべきなのか。
他人の家に大挙して押しかけ我が物顔で立ちうるまう一家に気味の悪さを覚えるが、彼らの会話のやり取りには少し抜けたところもありその可笑しさに少し油断してしまう。しかし油断も束の間、その場に生じている異様な事態をふと思い出し、緊張感が再び頭をもたげる。そのような心情の往復で、読み進めるうちに心が揺らされ崩れ、生身になっていく。
そしてぐずぐずになった心の状態に突き刺さったのが、三男のこの言葉である。
観光ポスターとは、現実を解決しない慰めを提示するに過ぎないものということだろうか。
「君は意気地が〜」の部分は、自分より強そうな人を避け、どちらかというと1人で内面に閉じこもる傾向のある自分にはとても深く刺さった。確かにこの傾向のせいで、道を自ら狭めている自覚がある。
逃げずに、周囲の人間に対して開き、「戦士としての自分が求められる」という予感がどのようなものかはまだ想像がしづらいが、その時を待とうと思う。
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