『吾輩』の主人は謡をうたう
こちらに持ってきた本は100冊にも満たない。
この場合の本というのは日本語で書かれた本のことである。
今住んでいる町に日本語の本屋さんはない。
でも、私は日本人だからやっぱり日本語で本が読みたい。
なので、必然的に同じ本を繰り返し読むことになる。
日本語の本がいつでもどこでも買えるというのは
とても贅沢なことだったのだなあと思う日々。
そんなわけで、先日再び手にとったのは『吾輩は猫である』だった。
何気なく読み始めたら、11ページ目で手が止まった。
止まったどころではなく、思わず本を放り出してわあわあと叫んでしまった。
本の中に謡の記述があったからだ。
『吾輩』の主人についての描写の中で、謡が出てきた。
この主人は謡を習っており、後架で謡をうたうのだ。
だから後架先生というあだ名までついている。
興奮収まらぬまま読み進めると、
なんと後架先生は『熊野』を習っている(?)ではないか!
「これは平の宗盛にて候」と繰り返して、そら宗盛だと皆に笑われているのだという。
これまで「なるほど能を習っているんだな」ぐらいで読み進めていたものが、今回はそうはいかない。何度目かの再読で、今回初めてこの5行にわたる描写に心を動かされまくっている私がいる。それも数ある中で、今習っている『熊野』について書いてあったならなおさらである。
「これは平の宗盛なり」を「これは平の宗盛にて候」と言い間違えているなんて、私みたいである。一気に親近感がわく。
昔は能がもっと身近にあったのかもしれないなあ。
能を習い始めて5カ月、習い始めたからこそわかった嬉しい気づきであった。
そして、次のお稽古は『熊野』の試験になったので、合格を目指すことにする!
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