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一休さんの幸福論


一休さんの幸福論

とんちでお馴染みでアニメにもなった一休さん。私も子供の頃よくアニメを見たものだが、実在した一休宗純はかなり破天荒でアニメの一休さんからは想像もつかないどちらかと言うと怪僧と呼ぶにふさわしかったそうである。

正月早々、新年を祝う人々の前に棒の先に髑髏を突き刺して現れたとか、晩年は愛人と暮らしたという逸話が残っているが、筆者曰くこれらの奇行において一休さんが伝えようとしたことについて多くの解説が出ているが、それだけではなく、そこから更に一歩踏み込む必要があると言っている。

先の髑髏の話。「誰もがいつかは髑髏になることは知っているが、毎日無事に済んでだことに慣れて、先が見えないにもかかわらず今日も明日も無事だと決めてかかっている人に用心せよ。」と解説しているものが多い。これはこれで正しいのだが、一休さんが本当に伝えたいのは更に一歩進んで、仏教でいう「空」の真理を知れ。「空」の真理を知ろうとしない限り、本当の幸せは得られないということである。

つまり「一度死んで髑髏になれ、空になれ」と言っているわけだが、ここでの「死」とは禅の思想の「死」である。これは肉体的な「死」ではなく、地位や財産だけでなく物事を考えるときの拠り所である発想(常識)を超える(捨てる)こと、全ての執着心を超えることが禅の「死」だそうだ。肉体的な「死」と区別するため禅の世界では「大死」という。

また「空」とは「むなしさ」ではなく全ての物事や事がらはそれが孤立して存在するのではなく、様々な事物との関わり合いの中で生じ、存在する原理を「空」という。(仏教用語でいう所の縁起。)
このことから「全ての執着、常識を捨て去って、自分と言うものは色々な物事の関わり合いの中で生まれ、存在しているということを知れ。」と言うことだと理解した。

また更に一歩進めると大死からの再生を、肉体的な蘇生と区別するため「大活」と言うそうだが、禅の言葉に「大死一番 大活現成」と言う言葉があり「一度徹底的にものの考え方や執着を捨てきり、それを乗り越えたら、その刹那に目の前の事象(物事や現象)が、みな真理や真実であることに気付くだろう。目に見えるもの、耳に聞こえるものから必ず何かを教わって、新しい人生が始まるだろう。」と言う意味だそうである。

「大死」と「大活」は別物ではなく、「大死」になれば即「大活」になるということで捨てきることがそのまま与えられることになり、その人の身についたものになると言う教えだと言う。
一休さんが髑髏を見せたのは死に切って(すべてを捨てきった)象徴としての髑髏であり単なる「人は必ず死ぬという虚しさ」ではないということである。

では晩年を愛人と暮らすことで何を伝えたかったのだろうか。
男女の性交など仏教の十善戒でも不邪淫として殺生、窃盗に次ぐ三番目に戒められているではないか。
禅の高僧の言葉に男女の愛欲を取り上げた言葉があり「男女の性交が煩悩であれば、性交を不潔なものとして忌み、すまし顔で聖人ぶるのもまた煩悩である。どちらかにでも執らわれたら無明・煩悩に他ならない。」と言っている。筆者の解釈は「愛欲の行為をしながらも、これの虜にならないのが正しい人間の性生活であり、これは獣のすることだとお高くとまって、裏でこっそりと愛欲にふける方が醜悪だ。」

所が一休さんの時代は特にそうした偽善行為が多かったようで、一休さんはそれを苦々しく思い、一見破戒僧と思われるような行動をとって偽善者、偽悪者を痛烈に批判した。

仏道には決められた修行の道順を外さずに実践していくオーソドックスな行き方を「順行」という一方、あえて戒を破り、修行を否定することで仏教思想を明らかにしようとする「逆行」というのもあるそうである。
ただしこれは仏道の修行を完成してから、順なり逆なりの実践があるわけだが「逆行」は実際は難しい。

修行を修めた僧が戒を破るのだ。社会や組織の体制や倫理観、社会通念に逆らって逆行を言葉だけではなく実践するのだから、勇気が必要などと言う甘いものではないだろうと思う。一休さんが愛人と暮らし始めたのは七十歳の頃で、人生のほとんどを厳しい順行を積み重ねてきたからこそ、逆行に身を投じれたのだ。

一休さんが逆行に至らざるを得なかったほど、当時の腐敗ぶりが目に余ったのだろうと推測する。またいきなり逆行からと考えた私は人としてもまだまだであると思った。順行を積み重ねた後でそのまま順行を続けるか、批判を覚悟で逆行に身を投じるかである。

そうして考えると現代はまさに一休さんの教え、批判に耳を傾けないといけないのではないか。物質的には豊かで情報も虚々実々溢れているが、それに我々は溺れていないか?きれいごとばかり並べて、裏で何をしているか分からない政治家や財界人…一休さんの時代よりもむしろ今の方が酷くないか?
もしかしたら一度、全てリセットすべき時に来ているのかも知れないと感じずにはおれなかった。


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