【掌編】祝福の光としなびたはんぺん
黄昏時、恋に落ちた。
薄く暮れた空、コンビニを出てアパートまでの道を歩く。
今年初めてのおでんがレジ横に並んでいて、思わず購入した。
ちくわ、こんにゃく、玉子、はんぺん、大根。定番のものばかり選んだそれを、大事に抱えて店を出た。
実を言うと、はんぺんは煮込まれていない方が好きだ。長時間ぷかぷかとだしの上に浮いていたような、茶色く染まったものは論外。
熱が通り、ほのかにふわっと膨らむ程度に軽く煮ただけの真っ白いはんぺんが好きだ。
かじるとしゅわっと音がして、舌の上で泡のように消えていく。
だからなるべく急いで帰宅して、何はともあれはんぺんをかじりたい。
足早になるのは仕方のないことで、ふたのされた容器の中、まだ新しく乗せられただけの白いはんぺんが、蒸気でどんどんふにゃふにゃになっていくのは耐えられない。
急げ。
そして、部屋に着いたらすぐにかじるんだ。
この、ふわしゅわとしたはんぺんを。
角を曲がったら、西日が差し込んで、思わず目を細めた。そのせいで、一瞬、前から歩いてきた人に気付くのが遅れてしまった。
出会い頭にぶつかりそうになったけれど、すんでのところで手にしていたおでんの容器をひっくり返さずに済んだ。
「すみません」
同時に口にしたらしく、相手の女性の声が、俺のそれに重なる。逆光で顔が見えなくて、再び目を細めたら、その女性の顔がようやくはっきりと見えてきた。
──Everyone is a look and something to fall in true love falls in love.
なんで英語だよ、と心の中で自分にツッコんだ。
多分、混乱していたのだと思う。
恋に落ちた。
落ちちまった。
彼女の背後から差す黄金の光は、まるでスポットライト。
きらきらと輝く光を背負った彼女は、とても美しい。
ああ、シェイクスピア。
確かにお前の言うとおりだ。
誠の恋をするのは、みな一目で恋をするんだ。
目の前の女性を見つめる。
相手も俺を見ていた。
しばらく見つめ合っていた。
おでんのはんぺんのことを、忘れた。
そんなもの、どうでもいい。この奇跡のためなら、しなびてへにゃへにゃになったはんぺんでも我慢しよう。
「──あの」
女性が、口を開いた。
どのくらい見つめ合っていたのだろう。
俺ははっとする。彼女が続ける。
「何か?」
「え? あ、いや、その」
「黙ってこちらを見ているので、何かあったのかと」
あなたに恋していました。
とは、言えなかった。
「いえ、別に何も」
「そうですか。急に動かなくなったので心配しましたが、何もないなら、これで」
彼女はぺこりと頭を下げて、あっさりと歩いていってしまった。
──え?
恋に落ちたの、俺だけ?
輝く光に包まれ、見つめ合っていた時間は一体?
俺がぽかんと彼女を見ていたから、単にどうしたのだろうかとこっちを見ていただけ?
あの光は、祝福の光じゃなかったのか?
恋に落ちた。
黄昏時、出会い頭に。
──俺だけが、な!
アパートの階段を上り、鍵を開け、部屋に入る。
ただいまと言う気力もなかった。
小さなテーブルの上、おでんのふたを開けた。
しなびたはんぺんをかじる。
ふにゃり。
冷めてぬるくなってしまったおでんは、なんだかとてもしょっぱく感じた。
了
snowで『黄昏時』、『おでん』、『見つめ合う』にまつわるお話を作ります。言葉はそのままだったりアレンジしたり匂わす程度だったり。
#shindanmaker#CP三題噺
https://shindanmaker.com/873785
CPではありませんが、お題は「診断メーカー」様の診断から。
見出し画像は「ぱくたそ」様(www.pakutaso.com)からお借りしました。
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