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コロナにかかったお話

 人は平熱よりも4℃高い熱を出すと、歩けなくなる。
 人は、などと書いてしまったが、実際のところ他の人がそうなのかどうかは分からない。
 私が今まで経験した一番の高熱は、20年以上前のインフルエンザで42℃を突破した時。
 私の平熱は普段から35℃。時期にもよるが34,8~35,3℃辺りなので、低体温と言われる部類になる。
 そんな人間が42℃、つまり平熱プラス7℃などという高熱を出したその時は死を覚悟した。
 あの時に比べたら今回は平熱プラス4℃の39℃。
 うん、まだ大丈夫。
 そう思うしかない。

 初めは父が風邪をひいた。
 3~4日で症状が落ち着き、本人も「治った」と口にしていたその翌日、朝起きたら私と母の体調がおかしかった。
 母の体温は38℃を超えていて、私は熱はないものの喉が異常に痛かった。ところがその後、夜からどんどん私の熱が上がり始め、その日のうちに38℃を突破。
 翌日熱は39℃近くまで上がっていて、立てない、歩けない、頭が割れるように痛い、身体中の関節という関節、筋という筋、全てが痛くて横になるのすら辛かった。
 前日にPCR検査を受け、お昼に陽性判定を受けた母と同じ病院に、私も検査をお願いできるかと訊ねたら、断られた。午後から休診になるので無理です、とのこと。
 人生で2番目くらいの高熱を出して、身体中痛くて、もしかしたらこのまま死ぬかもと思うくらいの辛さだったけれど、冷静だったのはおそらく頭がやたらとはっきりしていたからだ。
 熱を出すと何も考えられなくなって、頭も目元もぼうっとしてふらふらになるはずなのに、何故だか今回は思考だけがはっきりしている。ただし身体はボロボロだから、頭に身体がついて行かない。
 トイレに行く数歩の間に、壁にごちごち身体をぶつけたり、ふらついて倒れそうになる私を見かねて、親が勝手に緊急連絡先にかけてしまった。余計なことはしなくていいと言ってあったし、起き上がるのさえひどいと言っているあるのに、起こされて、家の電話がある場所まで必死で身体を引きずっていかなければいけなかった。
 電話の向こう側で、係の人が症状を訊ねてくるが、喋るのすらおっくうだった。
 なんとか説明して、散々体力も気力も振り絞ったのに、返ってきた言葉は「明日になったら、かかりつけのお医者さんにお電話で相談してみてください」という死ぬほどありがたくて涙が出るような(棒読み)お言葉だった。
 ……緊急ってなんなんだろうな。
 慇懃なほどに丁寧にお礼を言って切っておいた。
 頼むから、余計なことはしないでくれ、家族。
 来たときよりしんどい身体をひきずって、部屋に戻った。もう指一本動かせない。

 苦しみながら翌日まで我慢し、なんとか朝を待って再び病院に電話し、検査を、とお願いしたら、また、断られた。
 高熱なうえ、話すのも無理なほどに息切れして、身体中痛くて、3歩歩けば足元から崩れ落ちるほどの状態で、さらには基礎疾患を持っているんですが、と訴えても、どうしても無理だと言われた。
 のらりくらりと無理です無理ですと繰り返す看護師は、つまりは「今日検査しても明日が祝日なので駄目」「明後日検査しても、翌日が日曜なので駄目」ということらしい。
 今日検査して、明後日結果を出してもらうというわけにはいかないのかとも思ったが、らちが明かないので分かりましたと行って電話を切った。
 持病の方でお世話になっている病院は検査をしていなかったが、すがるような気持ちで電話をかけてみることにした。
 そして、それが正解だった。思わず感動するくらいの対応の速さだった。
 名前と、家族に陽性者が出たこと、私に今現在も高熱があることを簡潔に伝えただけで、全て理解して素早く今後のことをお話してくださり、ほんの30秒くらいで先生に報告、決断、ととんとん拍子で話が進み、直接保健所に連絡してくださるとのこと。
 わああああ、ありがとうございますううう、と感謝しつつ電話を切って、しばらくののちに保健所から電話があり、翌日に検査キットを届けるとのこと。主治医から「絶対に検査は必要です」との一言があったのが決め手だった。
 主治医素敵すぎて惚れる。ありがとう主治医、ありがとう受け付けのお姉さん。
 そんなわけで、発熱3日目にして、ようやく検査にこぎつけることができた。
 持病で通ってる個人病院は、有能過ぎて自慢したくなるレベルだった。

 保健所の話では、まず、委託している業者から電話が行きます、とのことだった。
 何時頃伺いますという電話が来て、そのあと検査キットを玄関前に起きましたという電話、そして検体を取って玄関前に置いたら、電話して回収。
 検査の30分前からは飲食をしないでください、とのこと。
 結果は翌日の夕方以降に出る。検査結果の連絡は夕方から夜、いつになるか分からない。電話ではなくショートメールになるかもしれない、という説明を受け、最後に連絡先はこのおうちの電話でいいのかと問われた。
 部屋からリビングに移動することすら全体力を使って力尽きそうなので、携帯の方へとお願いした。電話番号も伝え、しっかり復唱してもらった。
 「では、明日業者からの連絡などはこちらの携帯番号にかかります。知らない番号から電話があっても無視しないでください」勿論です了解です。
 そういうやり取りがあったのだ。
 確実に。
 携帯に、と念も押した。
 しかし委託業者からかかってきたのは家の電話にで、キット到着の20分ほど前に「今から伺います」とかかってきたその電話のことを、電話を受けた家族は私に伝えてくれなかった。
 電話が来ないなと思っていた私が、引きずる身体で歯を磨いていたら、家族が玄関からキットの入った箱を持ってきて、「今置いたって電話があったよ」と言う。
 ……歯を、磨いたが?
 なんで携帯にかかってこないの? なんで到着20分前に受けた電話のことを私に言わないの??
 その時点で保健所と家族を罵倒したいような気持になった。
 飲食も駄目だが、歯磨きも駄目だ。
 もってのほかだ。
 しかし、キットを回収するために、業者さんがどこかで待機している。
 ギリギリまで粘って、5分~10分待ち、唾液を採取した。
 歯磨き後は1時間は時間を置かないと行けないらしいので、完全にアウトだ。
 終わったことを告げた時に、歯を磨いてしまったことを告げたら「それは駄目です」と言われてしまった。
 ……はい、知ってます。
 30分前には「携帯に」連絡をくれると言われていたのですが、と言ったら「保健所さんのミスですね。これはあるあるです。保健所あるあるです」とのこと。
 ……うん、多分、みんなコロナ疲弊。
 お忙しい保健所さんの伝達ミス、抜けミスなんだろう。そして、この業者さんは、いつもこんな状況になるのだろう。
 言い方が軽い。思わず力なく笑ってしまった。
 「あるある」ですか……。
 力が抜けて、溜め息しか出なかった。
 上手く検査の結果が出ないと思う、と言われて、そうなったらまた後日再検査になりますということでキットを回収してもらった。
 陰性陽性の判定どころか、検査自体が無効になる可能性が出てしまった。
 この時点で4日目。
 熱はまだ下がらない。
 平熱プラス2、5~3、5℃をうろついている。

 5日目、前日の夜から鼻詰まりが酷くなって、嗅覚が奪われていたが、今日からは味覚まで奪われていた。
 ブルーベリーヨーグルトの味がしない。冷たい何かを口に入れている。そんな感じだ。
 飲み物などで確認もしてみたが、甘さが特に鈍いらしく、何を食べても甘みが感じられない。
 なんだかおかしくなってきてチョコを食べたら、全く甘くなかった。
 チョコなのに。
 そして検査の結果が出た。
 どうやら、歯磨きした私の唾液でもなんとかなったらしい。
 めでたく陽性判定が出て、私はコロナ患者になった。
 なぜかほっとした。
 うん、これで陰性だったら発狂してるよ。
 ありがとう、心おきなく休める。

 元気な時、毎日「県で新たに○人感染確認」というツイートを、TwitterでRTしていた。
 その日、数日ぶりにそれをRTした。
 そう、今日のこの人数の中の一人は私なのだ。
 そう思うとなぜかとても感慨深い。いや、感慨深くなっちゃ駄目なんだけど。

 症状が出た日から、食事がほとんどできていない。
 お腹は空くのだが、胃に物が入って行かない。
 食べたいけれど食べられない。
 そんな感じ。
 アイスやゼリーで一日を過ごし、3日目にしてようやく食べれたのはランチパック。
 荒れに荒れた口の中に、耳のないふわふわのランチパックは優しかった。
 4日目はお昼にあったかいお蕎麦。口の中が地獄のように痛かったけれどおいしく食べられた。
 夜はオムレツ。バターで焼いたふわふわなやつ。

 体力がない。
 初日からフルスロットルで高熱が出て、まともに食事ができなくなって、身体中痛くて辛くて、全体力を使い果たした。
 部屋からほんの5歩のトイレにさえ行けない。
 というか、寝ている布団から起きることすら辛い。
 日に日に体力を奪われ、身体が動かせなくなっていく。
 食事をすれば多少踏ん張れるが、食べられなくなると完全にアウト。
 高熱の間は頭も痛いので平衡感覚すらない。
 ペットボトルが重い。
 ペットボトルのふたを開けられない。
 オムレツを食べるスプーンが重い。皿と口を上下するのすらだるい。
 このまま何もできなくなったらどうしよう、と不安になるくらい、体力がない。
 一日に何度も、極寒の中に裸で放り出されたかのような寒さに震えたり、暑すぎて頭のてっぺんから流れるような汗をかいたりするほど自律神経もおかしくなる。
 身体がべたべたで、シャワーを浴びたいのに、水圧に負ける。
 たかがシャワーの水にすら耐えられないほど足元がおぼつかない。
 それでも何とか汗を流せばすごくさっぱりして、なけなしの体力が空っぽになってしばらく動けなくなっても、浴びてよかったと思ったりする。

 人は、高熱を出すと何も考えられなくなる。
 はずだ。
 確かに体力ゲージはマイナスになり、腕一本、指一本動かすのもしんどくて、一歩も歩けない。
 けれど頭だけは、症状が出た日からやたらと冴えていた。
 普段よりも脳が働いて、24時間ものを考え続けている。
 まるでニコ動のコメントのように、右から左へと流れていく文字列を、止めることができない。
 動きの描写、心理描写、目に入るものすべてを文字にしているかのような錯覚。
 今この文字を、残らず全部書き記しておけたら、完璧な記録ができるのに。
 そう思いながら脳内を流れていく文字をただ見送っていた。
 頭が冴えている。
 だからこそ、身体が動かない現実が辛い。
 やらなきゃいけないこと、やりたいことが何一つ満足にできない。
 一度布団に横になってしまえば、身体を起こすことすら億劫で、たかが数歩先のトイレにも数分かけてたどり着く有様。
 なのに脳は考えることも、描写することも止めない。
 多分、熱で何処かの回路がショートした。
 そうとしか思えないくらい頭が働いている。
 それを言葉にして口から発してみても「喋る」という行為すら疲れて途中で諦める。
 だから、仕方ない。
 ただただ、流れていくその文字列を、夢の中でまでひたすら追っていた。
 膨大な、無駄の多い記録は、私の脳内で完璧に記述され、そして完璧に消えて行った。
 ただし、熱が平熱に近付いて行くにつれ、そんな現象も消えた。

 症状が出た日を0日として、そこから7日間の療養期間、そこで症状がなくなればそれから3日後に外出できるようになるらしい。
 もちろん症状が続いていればまだ要観察。
 6日目(実質)にして、私の熱はようやく平熱プラス1~1,5℃で落ち着き、失っていた嗅覚も完全にではないが戻ってきた。
 暑い、寒い、の繰り返しはまだ続き、咳はどんどんひどくなってくる。
 寝ていようが起きていようが関係なく、一度咳が出るとしばらく止まらなくなる。
 乾いた咳が、こみ上げるように出て来て、息が苦しい。
 咳のし過ぎでみぞおちの辺りが筋肉痛で激痛だ。
 熱のせいなのか、咳のせいなのか、頭痛は全く治まらない。
 こめかみの少し上、きりきりと音を立てるように痛み、眠れない。
 どこからどこまでがコロナのせいなのか、もう判断ができない。

 ワクチンは結局2回しか打たなかった。
 3回目以降のワクチンを打たなかった理由は、こちらに書いてあるので、興味があったら読んでみてほしい。

基礎疾患を持っている。
 発病したのは10年ほど前の事だが、主治医には「インフルエンザになったら最悪死ぬ」と言われている。
 そして、コロナが流行りだした時、同じように「コロナにかかったら確実に重篤化するし、最悪死ぬ」と言われた。
 まあつまり、油断すれば手遅れになって取り返しがつかなくなるということだ。
 免疫力も低く、病気と闘う力のない身体を手に入れてしまったのだから仕方がない。

 けれど私は今のところ生きている。
 おそらく、運が良かったのだろう。
 コロナはどんどん変異し、今では罹患しても無症状で気付かないままの人も多い。
 それでも、悪化する人間はいるし、それが原因で亡くなる人もいる。
 一歩間違えば私もその中の一人になっていた。
 運がいい。
 咳が止まらなかろうと、未だ体力の回復ができなかろうと、ちゃんと生きている。
 味覚はまだ完全に戻っていないから、治ったら絶対食べてやるー! と意気込んでいたレアチーズケーキも、デミグラスソースのハンバーグも食べられていない。
 ひとまずこの二つを食べるまでは意地でも頑張る。
 ああ、もつ鍋食べたいな。
 快気祝いに誰か美味しいもつ鍋ごちそうしてくれないかな。
 勿論味覚が戻ってからにしてもらうけどさ。


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