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人生には、買い戻すことのできない時間がある。

夏休み。
小6の息子さんがいる友人がこんなことを言っていた。
「一緒に過ごせる夏休みはもう最後かもしれないから、仕事をセーブしてでも子どもとの時間をつくろうと思う。」

心から賛同しました。
我が家はもう長男は巣立ち、長女は大学4年でバイトで忙しく、次女は高3の受験生。

家族でワンボックスに乗って、海や山へ出かけた時代はもうすっかり懐かしい思い出になってしまったから。

人生には、取り戻すことのできない時間がある。
子どもとの時間はその最たるもの。

そして子育てが終わる頃には、老いた親との時間も。

何百万払っても買うことのできない時間

大好きで尊敬する人生の先輩がいる。
彼女は去年、ご病気のお母さまと過ごすために、仕事をリセットして生活の基盤を実家へ移した。

その時、彼女が言っていた言葉が忘れられない。
「母との時間は、後になって何百万ってお金を払ったって買うことのできない時間だから。」

問題に振り回されるのではなくて、「返ってこない時間だから」と、生活基盤を移した彼女の選択が眩しかった。

お母さまを看取って今、彼女は、力強く再始動している。

もちろん、彼女のように仕事もいったん辞めて、介護に100%時間を注ぐ選択が正解だという話ではありません。

正解なんてないわけだから。

自分の100をどこに注ぐのか?を見極めて生きていく。

人生の時計は、止めることはできない。
子どもは育ち、親は年を取る。
もちろん自分も。

小さな子供たちとの毎日は、今、振り返れば、愛おしくてたまらない。
長男のイヤイヤ期と長女の乳児期が重なった頃など、「この長いトンネルはいつ抜けるのだ」くらいに思っていたけど。

どんなにお金を積んだって、買い戻すことの出来ない時間だった。

そんな時間に、自分のエネルギーの100%を投下していたら、人は、後悔することなく、その時間を振り返ることができるのだろうと思う。

もちろん、そうは言っても、仕事もあれば、自分のやりたいことだってある。

そんな時は、人の力を借りる、お金を使うなど工夫をして、100にする必要があるのだろうな。と思う。

あぁ、私はどうだろう。
買い戻すことのできない時間に、100を投下してきただろうか。
後悔がないなんて、言えない。
もっと一緒に過ごせば良かったと、胸が痛くなるシーンも思い出せる。

でも最近思うのです。
その時、その時、自分、一生懸命だったって。
うまくやれないこと、子ども達を泣かせたこと、人を傷つけたこと、たくさんあったけど、悪意なんて、1ミリもなかったって。
未熟だったし、バカだった。
でも、その時の自分には、それしかなかったんだと。
それ以上も、以下の選択も、できなかったんだと、そう思うことが出来て、やっと自分を許している。

子育てがひと段落した今、思うこと。

子育てがひと段落した50代の今、私の100の投下先は、子供たちではないのは確かだ。もう、10くらいしか求められていない!笑

幸い両親は元気で、二人仲良く暮らしている。
もし何かあれば、私は前出の人生の先輩のようでありたいと思う。

今は、仕事が楽しくて、お客様の変化が嬉しくて、100に近い自分を投下している。
でも、仕事は何かあれば、いつでもセーブできる。
そう思えるようになったのも、50代に入ってからかもしれない。

自分の人生、その時々、自分の100をどこに投下するのか、見極めて生きていきたいと思っている。

起きることに振り回されるのではなくて。

今年の夏は、二度と繰り返すことはない。
実家に帰ろう。
子どもたちとも一緒に過ごせる時間は、美味しいものを作って、いっぱい一緒に笑おう。
そう思っている。


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