詰め込む愛。
久しぶりにお弁当作りをした。自分自身の学生時代から始まり、子供達の離乳食から、幼稚園児の小ちゃなお弁当まで、それはそれで歴史でもある。"不慣れ"だったり、"不器用"だったり、"不恰好"だったり、"質実剛健なお弁当"キャラ弁は時間が無理、でも"彩りと旬はモットー"に、お腹が減ってる時は"スタンダードが一番"なんだから、とばかりに、唐揚げ、ウインナー、玉子焼きなどがメインの至って普通のメニュー。手先は器用な方だから、ネットや料理本、時々で変化球のカードも使いながら、食材のバランスやカットを"試行錯誤から創意工夫"してみたり、ピックやバランに凝ってみたり、お弁当の世界は、実にクリエイティブな世界であると知った。
一から手作りもするけれど、冷凍食品を使用しても構わない。最近の冷食業界の躍進は、お見事なものが多いし、何にでも時短を求めるのは嫌だけど、暮らしと時間は上手く回す。全てはバランスで、一食で栄養を網羅するのではなく、一日、一週間、一ヶ月、一年、で調整すればいい。
目に見えない心にとっての栄養も存在するんだから。
「○日は、給食が無いので、お弁当を持って来て下さいだって」息子が、嬉しそうにお便りを渡して来た。そうなんだね、久しぶりだから、脳内でシミュレーションする。姉弟のどちらかがお弁当の場合は、2人分用意するのは、自然で暗黙のルールになった。作業、調理工程あらゆることを一度シミュレーションして、その段取りを記憶装置にインプットする。今回も先週から、頭の片隅に置いてあった。にも関わらず…あたふたした。何処まで擦り合わせるか?慣れは怠慢にもなるけれど、ずっと続けていないと鈍る。川の流れが滞ると濁るように、ルーティンしている物事の本質に触れる。日々、給食を作ってくれている人達にも感謝する。
「ママの作るお弁当は美味しいよね、ママは手際がいいんだよね〜」と、息子が励ましてくれた。実際には、そんな筈はないのに…それでも思いは込めた。優しさを伝えてくれるのが何より嬉しい。"戦意喪失"しなくて助かった。褒められて成長するのは親も同じ。
娘が午後に帰宅して、オンライン授業の前に、お弁当を食べている。「今日の給食は苦手だったから、あんまり食べられなかった」と。「好き嫌いしないで、有り難く食べなさいよね」と言いながらも、お茶を煎れた。
それから、しばらく、懐かしいお弁当箱のキャラクターや、定番の好きなメニューや、お友達とのお弁当の記憶の、あれこれを話した。
ぎゅうっと詰め込んだものが、だんだんと空になる程に、見えない空気に溶け込んで、「ありがとう」と胸に降り積もる気がした。
〈品書き〉
五種のチーズインハンバーグ(冷食)
玉ねぎとベーコンのケチャップスパ
白出汁の玉子焼き(マヨネーズを隠し味に)
さつまいもの甘露煮(はちみつとメープルシロップとひとつまみの塩で)
胡瓜の塩麹漬け、プチトマト添え
岩塩の海苔お結び、悪魔のお結び風(揚げ玉と青海苔とめんつゆで)
王林りんご
そして無形。写真はない。