ほわほわの幸せ。
「あの、禿山まだある?」
久しぶりにSNS上で再会した彼に聞いてみた。
彼は、幼稚園と小学生の頃の同級生。サッカー少年。実家は代々続くお寺さんで、帰り道を並んで歩く途中で、竹藪のしなりを確かめながら、パノラマのように広がる禿山を眺めた。
「あの山は、うちの山なんだ」と彼はよく言っていた。
「じゃあ、何で天辺がハゲなの?」と聞いたら、
「あれは杉って言う木で、杉の木は売れるんだよ。お父さんの知り合いに買ってくれる人が居る」と。
売らないで、そのままにしておいたら、絵本みたいな「お山の大将、俺ひとり」みたいな狸が住めるかもしれないのにね。と絵を描いたり、歌を唄ってみたり、妄想を二人で話し合った。
東京に上京した年の夏、里帰りをして、些細なことで父親と揉めて家を飛び出した。かんかんに照る太陽と、その奥から近づいてくる黒い雲の気配に、程走る熱と汗を全身に受けながら、お寺まで走った。緑色の光のシャワーを浴びて正気に戻り、つっかけのサンダル履きだったので、舗装されていない道の砂利が足裏を、ちくちくと刺激し、到着する辺りで、急に雨粒が大量に落ち始めた。
「何でこんなタイミングで…」
それは、さっき、父親にもぶつけた言葉だった。
軽のバンと外車の間を抜けたら、縁側に座る彼と目が合った。
「おばけかと思った…」
「まだ生きてる…」
と妙な挨拶して、濡れたままバタっと倒れるように座り込んで、タオルやら、足洗いやらを促されても全部断り、
「昼ごはん、食べたか?」という台詞にのみ反応した。
「朝どころか、昼もまだ…」
「じゃ、ほら」と渡された白いお皿には、三角形に正しく切り揃えられた黄色のたまごサンドが並んでいた。
手を伸ばして頬張ったら、思わず笑顔になってしまい、
「マジで美味いだろう」と言いながら彼は、タオルで頭を拭いてくれた。
たまごサンドの、たまごを優しく包み引き立てるマヨネーズとの良いバランスを味わう。食パンのふんわりな食感と香ばしさ。隠し味はマスタードをちょっと混ぜることらしい。がっついて咽そうになって、渡された麦茶を慌てて飲んで、鼻に入ってしまい、そのまま可笑しくて吹き出した。
笑うことは解決にはならないが、悩み事の鬼ごっこの鬼を確実に遠ざけてくれる。
このたまごサンドは、彼が作ったものだ。作ったものは、作った人のエネルギーが宿る。
さっきまで騒がしかった蝉が嘘のように遠ざかり、竹藪から光る雨空を見上げて、並んで座り込んでいた。雨が落ちる響きだけが打っては戻り、時々遠くから鋭い音を轟かせていた。
彼は何も聞いて来なかった。
翌年の晩秋に帰省した時、「嫁に来ないか?」とプロポーズされた。
地元に戻るつもりはない。
「ムリ。結婚なんてしたくない」
「それは誰とも?…」
「うん、誰とも」
「…そっか…」
「もう帰る」
勢いよく走って帰り、部屋の荷物を纏めて、父親の帰りを待たずに、継母を無視して東京へ戻った。
Instagramの彼のページには、白いお皿に美しく、美味しそうに盛られた、たまごサンドがアップされていた。「#懐かしい想い出 #覚えているか 」のタグと共に。
今日は、土曜日に登校した息子が振替休日で、お昼に、たまごサンドを作った。
「ほわほわで最高!」と頬張る顔を眺めて、(ほわほわ?ふわふわって事?)と霞めながら、教えてもらったワンポイントで、きちんとマスタードを入れるのも忘れずにね。
ありがとう。いま、
ほわほわ。
#エッセイ #記憶 #想い出 #たまごサンド #禿山 #お寺 #竹藪 #雨 #結婚 #優しさ #お久しぶりね #ありがとう