2023 0814 石仏拝観と帰り路
前日の睡眠不足と運転疲れは相当なもので、寝慣れないホテルのベッドでもストンと眠りに落ちた。いつも通り朝5時すぎには目が覚めてしまったが、就寝が23時と少し早かったことを考えると睡眠時間は十分と言えた。
帰りのフェリーは12時40分発。午前中は自由に使えるが、昨日のような遠出はできない。というわけで臼杵市内で観光ということになる。
臼杵は城下町であり、大友宗麟によって築かれた臼杵城址(石垣と櫓は残っている)を中心に数多くの史跡が残っている。日本前近代史に明るい人であれば、臼杵市内散策は楽しめるのではないかと思う。
自分はというと、そこまで日本史に熱心ではなかった。そちらに興味が湧けば、当時の友人たちのように大河ドラマやらで武将や家臣の名前を覚えたりしたのだろうが、あの頃はとにかくファミコンが強すぎた。ファミコンにだって『信長の野望』はあっただろと言うかもしれないが、あれは事前にどこかで戦国時代をかじってないとあれだけやったのではなんもわからんのだ。
ともかく、今回の目的地は臼杵市内中心部の史跡ではない。臼杵のメインストリートから西に車で15分ほど。臼杵ICへの信号を越えたあたりにその史跡はある。
国宝と煎餅
「臼杵石仏」。臼杵市の史跡の中でも特に歴史が古く、平安後期から鎌倉の作と言われるが作者やその経緯などの史料は一切残っていない。
岩壁から掘り出された磨崖仏(まがいぶつ)で、総数61体が確認され国宝に指定されている。
臼杵の地元民の方々にとって実際どのような位置づけにあるのか、詳しく聞いたことがないので分からないのだが、自分のように盆と正月に里帰りする者にとっては、臼杵みやげの「顔」として馴染み深い史跡である。
「臼杵煎餅」。小麦粉・砂糖・卵・膨張剤を原料とした煎餅で、生姜味の糖蜜を刷毛で塗って焼いてある。生地はピーナツ煎餅とだいたい同じの甘い系だが、この生姜味の蜜がよいアクセントになっている。
煎餅を手で曲げたタイプと、まっすぐ平べったいまま焼いたタイプの2種類あるが、自分は手で割りやすい曲がりの方が好み。
この臼杵煎餅のパッケージには、臼杵石仏の大日如来像がプリントされている。かつては贈答用サイズの缶入りも存在し、缶のフタにも大日如来像がプリントされていた。
臼杵石仏の駐車場横に、臼杵煎餅の製造元・後藤製菓の工場直売店がある。残念なことに現在はSDGsとかそういうので缶をやめてしまったらしい。紙箱入りのものを実家用と友人用で2箱購入。今思えば自分用が勘定に入っていない。もう少し多めに買っておいてもよかった。
臼杵煎餅は他にも何軒かの菓子店で製造されており、後で調べてわかったことだが村上煎餅本舗の臼杵煎餅は今でも缶入りの形態を継続しているようだ。次に臼杵へ行くときは、それぞれの店の臼杵煎餅を食べ比べてみるのも良いだろう。
臼杵石仏の拝観料は大人550円。駐車場は無料。
もともと岩から掘り出して出来たものなので昔は雨ざらしだったのだが、国宝に指定されるにあたり屋根が付いた。
材質が水気に弱く風化しやすいので、石仏の中には一部剥がれ落ちたものも見受けられる。これはもはや自然にそうなるのを止めようがないので、あるうちにあるままの姿を写真に収めるより他にない。
小さい頃に連れてきてもらった覚えはあるが、自分から訪問して写真まで撮るのははじめてだった。何も言わなくてもうまいこと写真になってくれるのでありがたい。
展示の前に立ててある看板も写真に撮っておいたのだが、撮影順が一貫していなかったため、写真を見返してもどれがどの仏だかわからなくなってしまった。ばかだ。判別つく範囲でキャプションは入れるが、興味が湧いたら自分で現地へ赴いてほしい。臼杵煎餅も買うように。
石仏公園と蓮園
線香を上げてから振り向くと、公園の中央に蓮園が見えた。
蓮は早朝に開花するのだが、時刻はすでに10時を回っていた。おいおい蓮園があるなら先に言ってくれなきゃよ。いやそりゃあるわな。仏と蓮だし。
石仏堂からは回り道をしないと蓮園には入れず、その道沿いに置かれた真新しい石碑には歴史上の偉人が発したとされる「急がば廻れ」的な名言が彫られていた。御高説もっともだが今はあまりのんびりはしていられん。
強い日差しの中でも萎れずに残っているのを見つけて写真を撮っていると、蓮の葉の下からキュワッキュワッという声が聞こえた。最初はカエルかなと思ったのだが、よくみるとそれはアイガモ?だった。調べたけど鳥類の見分けがつかない。くちばし黄色いし。カルガモなのやらアイガモなのやら。
地元の味
帰りのフェリーは12時40分発。車での乗船は先着順なので、遅くとも11時半に臼杵港に着いていないと乗船が遅れて客室が埋まってしまう。名残惜しいが石仏公園を離れて臼杵市街に戻る。
昨日からずっと車で移動するばかりで、現地のうまいものを食ったりということがなかった。覚えているのはローソンが地元の醤油蔵フンドーキンとコラボした焼きおにぎりくらいだ。一緒にプラカップ入りの唐揚げを買ったが、中津風味にでもしてあるかと期待した唐揚げは香川で売ってるのと全く同じ味がした。
臼杵市街を流れる臼杵川、その河口中洲にフンドーキン醤油の本社工場がある。帰る前にここは写真に撮っておきたいと思っていた。
1861年(文久元年)に小手川商店として創業。製品の確かさ・偽りのなさを象徴する分銅に、創業者である小手川金次郎の金を採って、戦後の高度成長期にフンドーキン醤油と改名し以来ずっと九州の家庭の味を支え続けている。
帰り路
臼杵港に着いてみれば、すでに20台ほどの車両が乗船待ちの列を成していた。少々のんびりしすぎていたかもしれないが、早く港に着きすぎていたらあの酷暑のなかで暇を潰しようもなく参っていただろう。
宇和島運輸フェリーはインターネット予約をして「現金で」支払うと往路5%引き、復路10%引きになると書いてあった。クレジットカードを使用した場合は割引が適用されない。確かに会社としては面倒が増えて困るのだろうが、やや時代遅れ感。一方、佐賀関港と三崎港を結ぶ国道九四フェリーはインターネット予約&クレジットカード事前決済で往復10%引きになる。会社の規模が違うのだろうがこちらは随分と開明的だ。
定刻通りにフェリーは臼杵港を出港した。船が波とミズクラゲをかき分けていくのを見ているうちに、臼杵港が遠のいていく。
自分より先に乗船した車の台数からわかっていたが、2等客室はすでに埋まっていた。ロビーの座席もいっぱいで繁忙期らしい乗船率だ。子供の頃は松山港からダイヤモンドフェリーで大分に帰省していたが、搭載車両数に対して客室面積が追いついておらず、ゴザを敷いた床へ案内されたこともあった。
OM-1は荷物になるので、装備をOLYMPUS Tough TG-6に切り替え。IP68、防水15mの超高性能コンパクトデジカメだ。マクロモードで顕微鏡のような写真を撮ったり、秒間120/240/480コマのハイスピード動画を撮ったりもできる。海水に浸けても問題ないためダイビングなどでも活躍できる。最近生産が終了したとの報せを耳にしたが、このカメラは後継機種を作って続けてもらいたい。
屋上デッキで普段やらない自撮りの練習をするなどした。自分が写っている写真を撮るという発想がないのでやったことがなかったが、難しいなこれは。手の伸ばせる範囲でしか撮れないし(だから自撮り棒というものがあるのだとよくわかった)、光源を逆向きに考えないといけないし、そもそもカメラが逆向きなので持ってる角度があってるのかまったくわからない。シャッターボタンも保持したままベストの画角を維持してシャッターをきるのだ。できるか。変な角度から取った自分の顔が量産されて1枚も使えなかった。撮っては再生して失敗を確認してまた撮る。完全に苦行でしかない。なんで自分ひとりででこんなことやってるのか。誰かに撮ってもらったほうがよほどいい写真になる。
2Fデッキの硬いベンチで昼寝。潮風で肌がベタベタするかと思いきや、からりとした風が通り抜けていくのが実に心地よかった。
15時にフェリーが八幡浜港へ到着、それからまた車での長い道のりが始まった。往路とは逆に夕やけこやけラインを抜けて松山市内へ向かう。松山市駅近くに駐車するものの、松山市内は盆の1週間前に模型店巡りをしたばかりで今改めて寄るところもない。愛媛県美術館で海洋堂展を見られればと思っていたが、月曜日は愛媛県美術館の休館日。加えて、日本列島に台風が近づきつつあった。海を渡るまでは天気もよく安全だったが、だんだんと空のねずみ色が濃くなってきている。松山観光はまた今度にして、早めに引き上げることにした。
高速道路、往路は深夜だったので邪魔する車もなかったが18時過ぎはヘタクソドライバーが多い。追い越して距離を空けずに大型トラックの目の前に出る軽ワゴンとか、SAから無灯火で合流してくる軽ワゴンとか、意味不明なタイミングでブレーキランプを点灯する軽ワゴンとか、バックミラー越しに顔面確認できそうなくらい近い後続の軽ワゴンとか。なるべく近寄りたくないのでクルーズコントロールONでぶっ飛ばし、2時間弱で府中湖ICに到着。実家でお土産の臼杵煎餅を渡して、8月14日午後22時頃にようやく自宅へ帰着。
日付が変わってから、自宅周辺にも強風と激しい雨が降り出す。
天気に恵まれた良い旅だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?