石垣島、莫大なる現象とぽっちの自我。
うちは何線もの鉄道の線路に囲まれた14階建てのマンションが3棟建つ場所で育った。新幹線も見える、山も川も無い都会とも田舎とも言えない場所だった。
学校が終わってエントランスに行くと誰かしら友達がいた、ゲームボーイでポケモンを遊んでいる。ミニ四駆の改造をしている、このマンションには通称「大きい公園」と「ゾウさん公園」と「ウォーターランド」と呼ばれる噴水と人工の小さな川の流れる公園があった、沢山の子どもが住んでたので遊ぶ場所がなければその公園に行く、地面に目を凝らして歩くとミニ四駆のパーツやポケモンカードが落ちている。お小遣いの無い子はみんなが帰った夕方に地面を捜索するのが宝探しみたいで楽しかった。
この大きなマンションの中でうちらの生活は完結していた、お菓子屋さんもあったし、みんなここが家だったし、ここを出て遊びにいく理由はなかった。
そのような環境で育ったから基本的に自分の目の高さより上を見る事はなかった、友達の顔とゲームボーイ、地面を見ていた方が良いものが落ちているしね。
見上げるのは誰かが「隕石が落ちてきた!」と空を見上げて白く燃える火球を見る時くらいだった。夕方のこの火球が落ちてくる空模様が良く思い出にある。
それまでは空は空でしかなかった。
石垣島に来て最初に空の大きさに気づいたのは友達のクニちゃんの漁船に乗せてもらって釣りをしていた時だった。
うちがクニちゃんに「空デカくない?!」と言うと「そう?いつも通りだよ」と返す。いつものように人生魚ファーストおで目当ての沖縄三大高級魚アカジンを釣る為にリールのハンドルをしゃくりげるように巻いていた。
うちはこの時、空の大きさが普段の8倍空がデカイ!!と思った。
そして魚があまり釣れなく冗談で「ヨウちゃんがアカジン釣り上げたらガソリン代半額にしてあげるよ」とクニちゃんと話しているとなんとまぐれでアカジンを釣り上げてしまったのだ。
高村光太郎著、『智恵子抄』より「あどけない話」の書き出しに「智恵子は東京に空が無いといふ」という詩がある。
これはうちの中だけの解釈で共感で、時代背景も今の自分の生きる東京での事なのだが「東京には高層ビルが多くて見る空の面積が少ない、スモッグも多いし思い出も少ないしね」と思っていたのだが、空というものは本当に伸縮自在な圧倒的な自然で記憶で宇宙なのではという疑問が出てきた、ここから空への関心が高まった。
元々空と言うものは好きだった、青い空に白い入道雲、入道雲が生き物のように変形していく過程が好きだった。夏限定ではある。
石垣島は通年暖かいとはいえ冬もあるのだが、基本的に12月から2月以外は夏かもしれない、20度を下回る事はこの3ヶ月以外はほぼ無いだろう、下回るのも本当に寒い時だけだ。
石垣島は空を見るのにとても適している、高い建物もないし飛行物も「新石垣空港」に発着する以外は海上自衛隊のヘリが街の上をたまに通過するくらい、最近はヘリコプター遊覧があるそうだが街の方には来ない。
ぼんやり煙草を吸う時、自転車で移動をする時、うちは空を良く見るようになった。
特に去年の石垣では良く空を含む外界で起きている出来事を記録していた。
それは友達に動画や写真を送る一つの目的があったからだった、その友達は病気で寝たきりだったので少しでも気が休まればと沢山の自然や出来事を撮っては送っていた。だがその必要はもう無くなってしまった。
今は自由に空を飛んでもっともっと大きな世界を見ているだろう、彼は天使になったのだから。
うちとその友達が見た石垣の景色を時系列で見て頂きたい。
大きくてうちのような小さな人間はちっぽけであり、個人的な宗教なんてその目の前では無力で無意味でどうしようもなく綺麗で、意思なんて溶けて飲み込まれてしまうのだから。
9月20日「来島」
成田から飛行機に乗り直行便で「新石垣空港」へ、3時間強空を飛んでいる。
石垣に行く時は右側の窓側の席に座る。富士山が見えたり石垣が近くなると旋回して綺麗に島全体が見えるからだ。
この写真は17時8分に撮った、まるで人工衛星に居るみたいな、宇宙と空の狭間のようだった。空は深い青色で下には鏡の上を滑るように雲が漂ってる。海に雲の影が出来ている。
夕方の石垣行きの飛行機は日が落ちるのが遅い、日の入りが東京より1時間ちょっと遅いので飛んでいると中々日が落ちない。
夏至になると石垣の日の入りは19時36分くらいだ、20時だってまだ明るい。
太陽を追いながら石垣島へ帰る。
9月21日「親友と遊ぶ日」
親友イケちゃんとお昼を食べる約束をしていたのでイケちゃんちの家の玄関から。
煙草を吸いながら空を見ているとロケットのような雲がにょんと伸びていた。
入道雲の赤ちゃんなのではないかと思いながら、見守る。
イケちゃんが子供の頃から行ってる食堂「なかよし食堂」で八重山そばを食べる、安くてボリュームがある、地域の方に愛される食堂のようだ、家族が多くて喋り言葉も方言が飛び交う。うちはシンプルな八重山そばが大好きである、チャーハンも追加でもりもり食べる。
イケちゃんとお散歩、「一休食堂」へ向かう道をひたすら上がっていく。
イケちゃんはバイクを引いて、うちは自転車を引いて。うちが体が弱すぎるのでしきりにイケちゃんが「ヨウタさん!大丈夫ですか!お水ばんない飲んで!休みます?!」と心配してくれる。
うちは「大丈夫だぜー!心配するなー!」と楽しくお喋りしてたらものの数分で夏バテし白い目で見られる。イケちゃんいつもごめんね、うちいつもそうだよね、道端の休憩所で暫しの休憩。そしてイケちゃんの原付を借りて先に「バンナ公園」へ
この大きな木は「オオギバショウ」といい通称「旅人の木」と言って石垣だと防風林として何百メートルにも渡って植えられている。
11月から4月には青い種子を付けるのでこの時期に見かけたら扇の部分を眺めて見てください、鮮やかな青色の種子の花が咲いております。
大体種子は鳥が食べてしまうのですが種子の外皮が花びらのような造形でこれもまた美しい。
「バンナ公園」でお喋りしているとすっかり夕方になっていた。
この雲が天に散布した「竜の巣」みたいでかっこいいなと思った。雲の中に太陽が隠れているような幻想的な「竜の巣」だった。
この雲から徐々に線状のオーロラのような光が伸びていたが少し不思議だった、西から東の空まで真っ直ぐに空全体に伸びていた。
「これって光?雲?」と聞くと「これはなんでしょうかね?」とイケちゃんも首を傾げていた。「これを確かめに行こうぜ!」と急いで坂を下る。
下って西側にある友達のマンションの屋上に登って空だけを眺めると初めて見る空にワクワクが止まらなかった。
「オーロラってこんな感じかもしれないね!てかこれ何?」
「こんな南の島でオーロラですか?マジなんなんですかね?」
うちとイケちゃんは無いものねだり、東京より石垣が良い、石垣より東京が良い。
本当はどっちも素敵な所だと思うよ、今日この空を誰と見てどんな話をしたかが思い出には大切だと思っている。楽しいな。
9月23日「白保」
イケちゃんとバスで白保に行った。
うちはこの時、次に出したい本の原稿のシナリオを書いていた、舞台は石垣だ。
その話をイケちゃんにしたら「是非見てほしい景色があるんです、ヨウタさんの絵に何かお役に立てたら」とイケちゃんのルーツである白保に連れて行ってもらった。
商店でじゅーしーのおにぎりと飲み物を買い、白保の町を案内してもらった。
真っ直ぐ真っ直ぐ道を進んで行くと大きな物が大きな物にぶつかる音がする、道の先に見える真っ青な出口。歩いていくと目の前に海が広がっていた。
水平線に白い波が立つ、あそこがリーフだ。光の加減で何色もの青と緑が混ざって宝石に変わるとても美しい海だった。
イケちゃんの子供の頃の白保の思い出話を聞きながら海を眺めたり泳いだりした。
「そういえばさ、ずっと飛行機飛んでないのに飛行機飛んでる音しない?ジェット機みたいなさぁ、これ何?」
「そうですね、なんの音ですかね?」
と二人長い時間原因を調べているとリーフに波が当たる音だと気づいた。
リーフとは珊瑚で出来た海の中の壁のような物なのだがそこに波が当たる音がずっと聞こえてるとは思わなかった、大自然の中の心臓の音みたいだ。
「なんで小さい頃から聞いてるのにわからないの!」
「気にした事なんてないですもん!」
当たり前にこの美しい景色と生きてきたんだもんね、うちは羨ましいよ。
帰りに「塩川商店」でローカルパンを購入し帰路へ着く。
イケちゃんには定番のパンだがうちにとっては初めて手に取るもので気がついたら両手いっぱいのパンを購入していた。ローカルパンは安い、そして羽のように軽い。
路地の石垣に座り布袋寅泰を熱唱し爆笑しながらパンを食べる、夏休みたいだ。
10月3日「日暈」
目を覚まし、外に出るとスコールが降っていた。台風が遠い場所に出来たんだよね、雲の流れが早い。
東側の空は雲ひとつなく晴れていてそれをなぜか伝えたくて動画を回した。
東側の空と大川の空を伝えて、太陽にカメラを向けると真上には光の輪っか。突然の事にびっくりして「おお〜、ひかりのわっか」としか言えなかった。
調べたらハロ(日暈)という現象なのだが、太陽を見上げなければ見る事が出来なかっただろう、もっともっと広い視野で空を見なければ。
この後お昼を食べてもう一度外へ出るとハロは消えて、夏の空になっていた。
10月8日「キャンプ1日目」
友人5人とキャンプをしに行った。
場所は殆ど人が来ないプライベートビーチである。
寝床の準備をしたり、焚き火の用意をしたり、食材を切ったり、泳いだり。
夜は明かりがないから今のうちに夜に備えておく、うちはもっぱら泳いでは食材をつまみ食いしていた。ピータンばっかり食べていた。
何故石垣の空が広く見えるのかというと雲のレイヤーが沢山あって奥行きが分かりやすくなるからなのかな、と思った。
うちはこの木を「レモンツリー」と名付け可愛がっていた。
夜になると焚き火に取り憑かれた友達に全部燃やされてしまい、「うちのレモンツリー!!」と大絶叫するのだが、焚き火が楽しすぎて一緒にありとあらゆる枯れ木を取りに行っては燃やすマシーンと一緒に化した。
焚き火に大きな蛾が飛んできた。
羽が少し焦げている、助けた後手に止まって休憩していたが暗闇へ帰っていった。
海の中から灯りを見た。
波に掛かる道が綺麗だった、みんなの話声が遠くから聞こえる。良い日。
見上げると数えいれない星と天の川、流れる星。
光が頼りで温かい海に腰掛けて揺れる、背を向けて浮かぶと何も聞こえなくなった。
10月9日「キャンプ2日目」
蝉の声で目を覚す、視界はジャングルだ。八重山の蝉は内地と違って無限チャック見たいな音がする。
テントとハンモックと車、どこで寝るか選べたのでうちは車で寝た、暑くて汗だくだった。起きてすぐ海に飛び込んで泳ぎに行った。
ひかりの網目を潜って泳ぐ、毎秒形が変わる物はずっと見ていたい。
気づいたら東に1kmくらい泳いでいた。
自然に出来た窓、お土産を拾って基地へ帰る。
みんな帰りが遅いよおと心配していた、友達特製のカレーを食べて片付けて帰る。
もう一泊したかったな。
10月12日-11月18日「デカい物」ダイジェスト
新川から見た「竜の巣」
大川で煙草を吸ってる時に恋の駆け引きをするヤエヤマオオコウモリ
ピッピと「耐えろ」「攻めろ」と甘酸っぱくなりながら見守る。
ピッピとうちの抜け殻、水が美味しい事
大川の「竜の巣」
「弓月菓子店」のカステラ(小)サイズ展開は大まである。
カステラの大きさとふわふわさにびっくりするもイケちゃんはそれが普通なのでお互い「えっ?」「えっ?」となり対話。
石垣のカステラのルーツは長崎ではなく台湾カステラのようだと結論。
距離は本島より台湾のが近い。
シードーの向かい側の旅人の木の種子の抜け殻、子ども一人分ある。
竹富島にピッピと「ヨウちゃんの野生を取り戻す旅」を2泊3日で探しに行った。
これはいずれ書きたい、西桟橋から見る夕陽。
西桟橋で野生に帰り落ちかける。
ピッピに「落ちたら即死じゃあ、座れ」と坂本龍一の「Merry Christmas Mr.Lawrence」を永遠に聴く。
カイジ浜で4時間泳いだ帰りとぼとぼ歩いていると島のおじーに「乗ってけ、宿まで送るよ」と乗せて頂く、ピッピとの集合時間は12時。
おじーが「島を案内してやるよ」と車で3つある部落を回ってくださり色々な事を教えて頂く、何故か20分の遅刻。また是非お会いしましょう。
コンドイ浜、ピッピ曰くコンドイ風呂。
この後ピッピが泳いでいくのだが「アッ」と声を上げ海に消えた。無事。
西桟橋で野生になる、月に光の輪っかがかかっていた。月暈も見れた。
石垣島祭りの最後に上がる花火。
「魚仁」でカイさんと夕ご飯を食べていたらすごい音がしたので食事を中断し眺めに行く。「イエメン」のマスターと「ここが見やすいよ〜」と言いながら楽しむ。
新栄町から「BARうるべ」に向かう途中に見た「天使の梯子」この光はよく見られる。長袖を導入した日。
この動画だけ送れなかった、返信を待つ日々に少しの後悔。
「シーサー農園」入場無料。
この日は実はやった事のない石垣島一周を原付でしていた。日が落ちそうで街に帰る時間の計算をして、ながら見。夢の国。これはなんて夢なのか。
石垣島における個人的宗教
石垣は普段側にあって、でも気づかない大切な事を教えてくれる場所だ。
自分の武装を解いて知り得る事が沢山ある。心を開かないと踏み込んでもらえない踏み込めない場所だ。ギョサンと煙草ケースの赤色があれば十分。そして好奇心の赴くままに追いかけて行く。
それが私の宗教前夜の大切な部分なのだろうと一人原付を飛ばして「電信屋」の浜をぶらつく。何処まで自分で決めてきた事を無しに出来るか、他人に言われた言葉を考えるか大切な事は自我の芽生える、人間が知恵をつける前にあるんじゃないかと思ったりする。
大切な物はちょっとやそっとでは傷つかないし無くならない。
本当は野生でそれでも一緒に生きてく人を思い遣ったり自分の核の部分を強くしたり出来る事が名前や言葉をくっつける前に必要だと思うのだ。
この大きな自然に何れかは自分も飲み込まれるくらい外皮を希釈したい。
終活に近い部類の断捨離というのはそういう事なのだろう。
久喜ようた
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