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赤色宗教信仰者新宿普段歩き。

自我の成長と記憶、発達障害当事者が好きな色が決まるまでの出来事です。
そして新宿を歩く、今の自分の週末の新宿での生活。

生まれてからの最古の記憶

うちの最古の記憶はハイハイからようやく歩けるようになった頃、千葉県松戸市にあった父親の社宅の外を散歩している記憶だ。
社宅の2階からの階段をテディベアのぬいぐるみのように母に肩を持たれふわ〜と降りていく、自分の意思で足を動かすのが難しく真っ直ぐ歩きたくても左右によろよろと歩く、歩くのって難しいなと思ったのを覚えている。うちに話しかけている母の声が後ろから聞こえてくる。今では膝上ぐらいのブロック塀が大きな壁に映っていた。

おじいちゃんたちとグアム、歩くよりハイハイのが楽なのを覚えている

小さい頃の記憶がわりとしっかりしている為、幼稚園の頃の記憶もハッキリとある。今と変わらず朝に弱く起きれない。うちは半分寝たまま母に服を青いスモッグを頭から無理やり着させられる、頭が小さいのでスポン!と入る。
黄色い帽子を頭に被せられ黄色い幼稚園バックを首にかけられる。時間がないので朝ごはんは食べない。
そのまま手を引かれ自転車のリヤチャイルドシートに座る、12分程の道のりを夢現で走る、少ししか開かない目をたびたび開けてはビルの上の看板が変わったなぁと思ったり、いつも歩いているお婆さんが散歩させている焦茶の雑種を見て「こわいなぁ」と思ったり、冬には石焼き芋の車の「石焼き芋100円」ってなんて書いてあるんだろうと夢現のまま幼稚園に到着する。

母に手を引かれて門を潜るとピロティで担任の先生が立ってお出迎えしてくれる、うちは幼稚園に行きたくなくて毎日泣いてピロティで不動を貫きごねていた。年少の最初の頃は教室に入るのは授業が始まってる時間だった、みんなを待たせていた。
母に今日授業で使う道具袋を渡され「みんな困ってるから早く行きなさい」と怒られる。担任の先生も困っていたに違いない、うちは号泣してここから一歩も動かないを貫いていた。
いつかの日に「寂しい気持ちは先生とても分かるよ、お友達と楽しい思い出を作ってたのしい幼稚園にしようね、どうかな?」と説得され泣き止んだ。先生の後ろに隠れながら教室に向かったのを覚えている。パンジーが花壇に咲いていて暖かな日だった。
初めての幼稚園は家族以外の他者と初めて集団生活をする場所だ、自分の全ての世界だった家から何も分からず朝叩き起こされ引きづられて外の世界に出されるのが怖かったのだろう。発達障害でこの頃から人の顔と名前が覚えられなく教室の中のこの人たちみんな誰状態であった。
たのしい幼稚園という言葉に誘われて、迷惑や他人の事は一切考えられなかったけれども、それがいいなぁと思った。何だか妙に納得したのを覚えている。
そして幼稚園生活はお友達にも恵まれ「ヨウタちゃんは私と遊ぶの!」と友達に両腕を引っ張られて「みんなで遊ぼうよ〜!!」と打診しながらまたまた泣いていた。
漫画みたいな状態であったが、おかげで引っ込み思案で恥ずかしがり屋の自分でもたのしい幼稚園生活を送った。

作った雪だるまの前で無表情

好きな物が分からない幼稚園生

幼稚園で好きな物を先生に教える授業があった。
真四角の小さな本で「自分の好きなものを見つける」という内容の絵本だった。
「私の好きな食べ物」という頁があれば本に付属している食べ物シールを3枚貼るという物だ。「私の好きな野菜」という頁があれば付属している野菜シールを3枚貼る、そこに該当しないものがあれば空白のシールに物の名前を書いて貼れる物だった。
うちはこの授業にだいぶ苦戦した、偏食家なので野菜はどれも好きではなかった。そして好きな物も明確に言えなかった。
教室で先生がオルガンの椅子に座って「出来た子から先生に見せてね」と言う、子供たちは楽しそうに並んでいた。うちはシールを睨みながら「好きな物ってなんだろう」と思っていた。
気づいたらみんな先生に見せ終わっていてうちはオルガンの前に呼び出される。「分からない所があるの?」と聞かれたが内心「全部分からない」と思いながら先生の横に俯きながら立っていた。先生は「好きな食べ物」の頁を開いて「ハンバーグは好き?」「カレーは好き?」「スパゲッティは好き?」とシールを1つ1つ指差して「好き」か聞いてくる、うちは生返事で「う〜ん」と言っていた。食べ物に興味が薄く小食で偏食だった。お昼の時間のお弁当も280mlのアルミ製のお弁当箱の半分もいつも食べられなかった。
最終的に誘導尋問に近い形で2つのシールが貼られた。最後の1枚はもうわからないと「あと1つ何が好き?」に対して「これ」と適当に指を差した。
次の頁を捲られると「好きな色」という頁だった、「まだあるんだ」と思ったのを覚えている。
先生は早いペースで「桃色は好き?」「青色は好き?」「緑色は好き」とシールを指差して聞いてくる。うちは「これが桃色なんだ」「これが青色なんだ」「これが緑色なんだ」と思いながら俯いていた。
特に反応のないうちに先生は「ここにない色が好き?」というのに「とうめい」と答えた。友達と飛ばしたシャボン玉の事を思い出していた。
それに対して先生は「透明は色じゃないでしょ」と言った、この言葉がショックで覚えている。うちは恥ずかしくなって適当なシールを3枚指さした。
幼稚園生の時は食べられない物以外は明確に「好き」と「嫌い」が無くて「楽しい」「悲しい」「痛い」に対しても泣いたり笑ったりぐらいで新しい体験に対しても「そうなんだなぁ」と思っていた。
最近仲良くしてくださる方に「久喜さんて無表情性がありますよね」と言われたのに吃驚した。自分は昔から目の前で何か予期せぬ事があっても反射的に驚いたりはしないし喜怒哀楽に表面的に乏しいのを理解してたので社会に出るようになってからは常に少しの笑顔を作っている。何かあったらリアクションスイッチを自分で押して相手の求めるリアクションをしている。社会生活は共感と距離が大切だ。
馴染んでるつもりだったのだがこの方にはまんまと見破られていた。

バレエの発表会も無表情

赤色宗教信仰者になった小学1年生

クラスの遠足で「色占い」の催しがあった。主催の女子が「色占いをして今月の運勢を発表しますー!」と盛り上がっていた。うちはそこでもまだ好きな色ってなんだろうと悩んでいた。
特に個人が好きな色を口頭で言う事はなく「水色が好きな方は〜」と発表してくれる形式だったので助かったのを覚えている。
特に持ち物や洋服にも興味がなかった、この色だから嫌と言うのもなかった。
この頃も引っ込み思案で恥ずかしがり屋であり、授業で前から縦机一列分の人数のプリントを配る場面で、後ろのうちの所までプリントが来なかったら「先生!プリントが足りません!」と言って前の先生の所に取りに行くのが出来なかった。
発言が出来なくどうしたらいいのか分からず恥ずかしくてただただ泣いていた。先生が「久喜さんどうしたの?」と聞くと周りの友達が察して「ヨウちゃんの所までプリントが回ってないです」と伝えてくれるような子供だった。

ご飯を片手に無表情

そんな自分はテレビっ子だった、家に帰り16時からアニメの再放送を見て、17時はNHKの教育番組を見て、18時はテレビ東京のアニメを見て、19時にアニメを見て、20時にバラエティを見て、21時にドラマを見て、22時もドラマを見て、23時にニュースを見て、最後にテレビのクロージングを見て寝る生活だった。
ほっとけばずっとテレビを見ていた、昔から夜型の人間だった。
小学1年生の10月17日新しいアニメが始まった。そのアニメを見ようと始まるより早くチャンネルを変えると「ストリートファイターII V」のエンディングが流れていた。その次に始まったのが「魔法騎士レイアース」だった。
「魔法騎士レイアース」のあらすじは3人の14歳の少女が東京タワーから召喚され異世界に飛ばされてしまう、召喚された異世界「セフィーロ」は柱を失い魔物が蔓延る世界と化していた、東京に戻るには柱である「エメロード姫」を救い悪である「ザガート」を倒さなければならない。
という話なのだが、少女が剣を奮い魔法を使い戦う姿が衝撃的だった。
主人公の獅童光ちゃんは3人の中でも身長が一番低く小学生にしか見えない少女なのだが大きな魔物にも強い意志で立ち向かっていく強い少女だった、単行本のおまけ漫画でで男の子っぽい振る舞いを指摘され「へんか?」と言う場面があるのだが、「お兄さんたちの影響ね」とさらっと終わる。そういう所も「いいんだ」と思い好きだった。

何万回と繰り返し読んだ「魔法騎士レイアース」とBDBOX

うちは初めて漫画本を買ってもらった「魔法騎士レイアース」の本だ。塗り絵も買ってもらった、その塗り絵の後の頁には主題歌の歌詞が載っていた。
度々塗り絵を持って住んでるマンションに併設されている「ウォーターランド」と言う噴水や流れる人工川のある場所の木のてっぺんに登り風にふかれながら歌唱していた。うちは何をしていたんだ。
うちとは真逆の、純真で誠実で真っ直ぐで明るく元気な光ちゃんになりたいと思った。将来の夢は漫画家で光ちゃんだ。「魔法騎士レイアース」の世界では「意志」が全てを決める世界であり「信じる心が力になる」と言う台詞が度々出てくる。
小学1年生のうちは自分もそうなる。と心に決めた。そして光ちゃんのカラーである「赤色」が大好きになった。
ここからうちの赤色宗教信仰者としての生活が始まった、身につける物も食べ物もなんでも赤色が良かった。単純で極端である。
相変わらず引っ込み思案で恥ずかしがり屋ではあったが人を楽しませるのが好きであり笑わせる為なら何か変な事ばかりしていた、奇行のせいで先生に良く怒られるようになった。
漫画家になりたいという夢も持った。毎日毎日絵を描く事が当時どうにも辛い家庭環境で疼くまる自分の心の支えだった。

夢は物理で叶えた、うちです

赤色宗教信仰者新宿の歩き方

このような経緯で赤色宗教信仰者になったのだが、光ちゃんは14歳で東京タワーからセフィーロに召喚されるので、うちは誰にも言えなかったが「14歳になったらセフィーロに召喚されるんだ」と本気で思っていた。中学の体育の授業で剣道を選択し、クラス2位の成績を収めた、1位は剣道部のシマダ君だった、シマダ君は素人に対しても容赦無く面を打ち込んで来る人だった、脳が揺れた揺れた。
剣道未経験者が2位を収め準備は完璧だったのに東京タワーに行けど召喚される事はなく、ただいま週末は決まって新宿を歩く。

週末の新宿歩きは大体決まったルートがある、都営線の新宿三丁目で降りて改札を出る。地下迷路を「HUNTER×HUNTER」のサトツさんになりきってE2出口に向かい人々を抜かしながら真っ直ぐ歩いていく。
E2出口の階段を登る途中に熱帯魚屋さん「パウパウアクアガーデン」がある、ここで赤色のカーテンを翻して泳ぐベタをさらっと眺めて地上に出て左折する。

推し神社「花園神社」

左折して新宿歌舞伎町の裏通りを歩いていくと左手に「花園神社」が現れる。正門から鳥居を潜ったら即右手側に行く、うちのご贔屓にしている「芸能浅間神社」が境内の端に建っている。よく見ると井戸や二宮金次郎像や藤圭子氏の歌碑も建っていてこの神社をぐるりと芸能関係者の名前が入っている奉納札が結界のように建っている。
まずは御祭神である木花之佐久夜毘売様にお参りをする。
10代の頃芸能事務所に所属していた時のマネージャーに「芸事をするならここでお参りしなさい」と連れてきてもらってからずっとお参りするようにしている。
ご挨拶が終わったら花園神社の拝殿にお参りをする。最後に必ず言う言葉がある、それは赤色が好きになってからずっと神社でお参りする時に言っている言葉なのだがきっと小さな所で叶っていて、これからも変わらず言う事を諦めなくて、秘めているような実現したらいいような事を30年近くお伝えしている。

うちは初詣も「花園神社」である、御神籤は大吉が出るまで一年かけて引くタイプだがここ最近は一発「大吉」引きでやったー!と境内で一人で喜んでいるのだが今年は「末吉」であった。方向は南が良い。今年はなんとなくここで辞めとくか。
そしてお守りも新年にお迎えする。「授与所」の事をうちは「物販」と呼んでいる。神社の物販でお守りを迎える、「芸道成就守」と「融通守」だ。
「融通守」はとてもいい。物事に万事融通が利く様に祈願したお守りなので融通を利かせたいうちには打って付けである。何でも融通は利かせたい!
酉の市には出店の熊手屋さんではなく花園神社のオフィシャル熊手を迎えている。
「花園神社」は寛容な神様がいるのだと思っている、歌舞伎町、ゴールデン街、2丁目が周りにあり夜分の酔っ払いが階段で寝ているのも受け入れる神社だ。
女性の本厄のお祓いの相談をしに来た時に「自分は女性で生まれてきたんですが戸籍上は男性に変えまして、性別的にはどちらでもないのですがどの性別で受けたらいいでしょうか?」と聞いた時に「自分の好きな方でいいですよ」と言ってくれた、考えた末、人より2倍厄年が来るようになったので、即厄払いを受けた。
とても懐の広い神社です。
新宿に立ち寄って時間があれば「花園神社」にお参りに来ます。
一通りお参りが済んだら拝殿の裏口から鳥居を抜けて階段を降りる、するとそこはもう「新宿ゴールデン街」だ。

お酒の飲めないうちの「新宿ゴールデン街」

煙草、ライター、鍵、名刺、ジュース

うちはアルコールアレルギーなのでお酒は一切飲めない。
だが高校生の頃からずっとライブハウスに入り浸っていたのもあり、打ち上げやら集まりやらお酒の場は大好きである。
大体20時くらいにゴールデン街に着くと1軒目に昨年秋に紹介して頂いた場所に行く。ここは絵描きの方も来るので紹介して頂いたお店だ。
お通しがとても充実していて2枚の大きなお皿に8品くらい乗せて出してくれる。
「好き嫌いある?大食漢って言ってたから量大丈夫よね」とママ手作りの美味しい料理を頂きながらマンモスジュースを飲む。
マンモスジュースとは何かというと「マンモス菌」というマンモスが眠ってる永久凍土から生きて発見されたバクテリア菌の事で、そのマンモス菌で発酵した炭酸ジュースである。体にいいらしい。
うちは1つ決めるとずっとそれを食べたり飲んだりする癖があるのでいつもマンモスジュースを頼む。
お腹もいっぱいになり楽しいお話や弾き語りのセッションをさせて頂いたら2軒目に向かう。

2軒目は文芸書がたくさん置いてある静かな場所だ、日によって海外観光客の方で満席になっている事が多いのだが空いてる時は本を読んだり他のお客さんとお話をしながらゆっくり出来る、ここではジンジャエールを飲む。
偏って小説を読んできたのでここで名前を知ってても手に取った事がない本を読むのが好きである、気に入ったら後日、本屋さんで購入する。
1杯飲み終わったら3軒目に向かう。

3軒目はとても居心地の良いお気に入りの場所だ。
ドアを開けると「ヨウタちゃんここ座りや!いつものでええか?」とママが迎え入れてくれる。
いつものというのはブラッディシーザーのウォッカ抜きである、ママのスペシャルなレシピで作ってくれるのがとても美味しい。赤色だから尚更大好き。
ここでは色々な職業の人のお話や趣味の話、最近見た映画や音楽や絵や土地や落語や様々な話題を話す、うちは知らない話を聞いて質問をするのが大好きなので永遠と話を聞き続けてしまう、自分の知らない色んな事を知れる温かくて素敵な場所なのだ。無教養のくせに知識欲は強い。これいかに。

そうこう話してるうちにスマホの時計は3時くらいになっている。
うちはお酒が飲めないのでお店の売り上げにならないので、迷惑にならないように帰るのだが、帰ろうか迷っている時にママが気を遣って下さり、目の前に素早く温かいお茶を置いてくださる。「まだ居てもいいんやで」と無言で愛を置いてくれる。
いつもいつもお世話になってばかりでお返しできるように頑張らなくては!と「お代わりください」と言ってしまう。そして始発コースは多々ある事である。
今日は始発かバイクシェアかどっちで帰るのか?

新宿から帰る「バイクシェア」

終電を逃したらタクシーか歩いて帰る生活をしていたが「バイクシェア」で自転車で帰るのを去年の春に導入した、何故最近まで気づかなかったのか?
Suicaやクレジットカード、決済アプリの導入もそうなのだが友達に言われるまで知ってるけどその手があったか!という場面が多い。使うととても便利である。
「バイクシェア」も飲み屋さんで話題に上がりその場で登録し、自転車を借りて帰ってみた。なんと言っても飲み屋の帰りでも365日シラフであるから成せる技である。
電動自転車は坂も快適であるのあっという間に我が街中野に着いて感動した。それからは極力終電を逃すし聴覚過敏症で電車に乗りたくない時は「バイクシェア」で帰るようにしている、20代前半に住む家を失って居候で転々としていた時期が一年あるのだが「道を一回で覚えられないと野宿」というのが染み付き、道を覚えるのは比較的得意になった。居候する図々しさはあるが帰り道を繰り返し聞くのには遠慮をする。
冬の野宿は花壇の中が暖かいという知恵を得たがやっぱり屋根のある所で寝たいしお布団で寝たい。

今日2:42新宿区役所本庁前
今月気付いたのだが0時回ると区役所二ヶ所に自転車が補充されているのか余裕で借りれる

なので飲んでいるお店で「バイクシェア」の予約をしてからお会計を済ませみんなにお別れをしてポートまで向かう、大体歌舞伎町の「バイクシェア」は終電後には全部借りられてしまうので東新宿のポートまで歩く、徒歩8分くらいだ。
予約でキープできる時間は20分あるのでゴールデン街のファミマで煙草を買ってから向かうのも間に合うのだが気持ち早足で歩く。
「バイクシェア」の自転車の良い所は赤色な所である。赤色自転車は3倍速いのだから!電動自転車だから。
いつも頭にしているヘッドホンをボディバックに掛けて自分だけが聞こえる音量でかけて走り出す。
中野方面に向けて歌舞伎町を自転車で突っ切って行くのだが、自分はマキシ丈スカートや変形の動きにくいパンツを履いてる場合が多い。
これは夏の話なのだが流石にマキシ丈のスカートで自転車には乗れないなぁそうだ!とスカートを脱ぎトランクス一丁で歌舞伎町を駆け抜けて帰った。
不思議な話なのだがパンイチなのに右足だけ長ズボンを履いているように見えるといった冗談はさておき、それ以降終電を過ぎる飲みにはスカートは履かないようにしています、大変申し訳ございませんでした。
歌舞伎町を抜け百人町を抜け家に帰るのですが、帰った後の「バイクシェア」の楽しみがあるのです。
それが、走行距離と消費カロリーが見える事である。
これを見る為に乗っていると言っても過言ではないのです、家の近くのポートについて自転車を施錠する、アプリに返却完了しましたと出たら利用履歴を開き今回の消費カロリーを確認する、今日は何かなぁ。

今日はおせんべ

醤油せんべい1枚だぁ!わーい!と喜んで自分の家の玄関を開ける。
今までにあん串団子、アップルパイを出した。アップルパイは1時間乗って出たので中々の消費カロリーだったのではないだろうか。
新宿三丁目から花園神社でお参りしゴールデン街で飲みバイクシェアで帰路に着くこの流れるような週末の過ごし方がうちの新宿の歩き方である。

赤色である事身に纏う事

いつも身につけている物持ち物

うちにとって赤色は出会った時と変わらずに特別な力を持ち続けている。
今の自分と会う人がうちを引っ込み思案で恥ずかしがり屋だとは思わないだろう、顔から釘が飛び出てぼんやりとニコニコして悩みのなさそうな人間だと良く言われる。
でも何かを纏う時着飾る時その人の本性は隠れる、ブランド物、大きな指輪、奇抜な服装、髪型、顔面に釘、やっぱり引っ込み思案で恥ずかしがり屋だ、本質は変わってないし今後も変わらないのだと思う。
光ちゃんには遠く及ばない人間になってしまったけど、本気で真っ直ぐに信じた事をやるのは変わらないし、誠実でありたいと思っている、好きな事に嘘は付かない。それだけは変わらない。
純真であるかはもう分からないけれども14歳まで召喚されると思っていた自分は単純で純真だったと思う、扉に手をぶつけたら「痛い」の前に「ごめんなさい」を言うのもいまだに変わってない。
「魔法騎士レイアース」に出会って赤色を好きになって漫画家になる事は諦めてしまったけれどもまだ絵を描けていて、好きなものに好きと言えるようになったのは光ちゃんのおかげである、私の人生のバイブルである。
いつまでもいつまでも心の中に光ちゃんがいる。赤色の物を身につける、それが向かって行く一歩を踏み出す為の魔法になる。

昨年夏に東新宿を歩いているとビルの花壇に水やりをしている社員さんとすれ違った。散水栓からホースを5m以上伸ばして、長いビルの花壇に沿って水を撒きながら社員さんはうちの進む逆方向へ歩いていく。
ふと散水栓付近に歩いた自分の足元を見るとホースが捻れて絡まっていた。
「これはゆゆ式〜」と小さく独り言を言いながら絡まったホースを解いていると社員さんが遠くから駆けてきて「すみません!有難うございます」と言って下さった。
うちは「あっ大丈夫ですよ〜失礼します」と手で「お水を引き続きおやりください」とジェスチャーをし会釈をして新宿方面へと歩いた。
絡まったホースを助けるくらいには素直に正直に優しくはいつまでもありたいと思う。うちが地獄に堕ちたら助けてね。

「あの時東新宿で助けていただいたホースです!」

久喜ようた。

詩画集、エッセイ発売中です。

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