石垣の胎譚
かいです。
今回の記事は昨年敢行された石垣島探訪について。ようたさんにおんぶにだっこだった3日間の、乳臭い記事を書く。
はじまりは2023年8月の新宿。ようたさんと喫茶店で新宿の撮影についての打ち合わせ中、ようたさんがふと顔を上げる。
「うち9月半ばから石垣なんですけど、かいさんも来ます?石垣。」
私は石垣童貞で、石垣島の知識といえばようたさんのInstagramを介して見た島の風景くらいだ。関東にうまれたようたさんの心を、かくも惹き続ける不思議な島。
「いいんですか?」
「ぜひぜひ、来てくださいよ。」
スコールが降るかもしれないけど暑さが落ち着くから、というようたさんのアドバイスを受けて、石垣撮影は11月の初めになった。あれよあれよという間に、わたしの石垣童貞卒業が決まる。
2023年11月4日。
成田発新石垣空港行きの早朝便がわたしを乗せて離陸する。ZARAのベロアジャケットじゃ全然寒い。搭乗時に毛布を借りて、席につくやいなや毛布かぶって即爆睡。せっかく窓際を取ったのに、離陸の瞬間すらも覚えていない。それもそのはず、まだ7:30。
11:25。新石垣空港到着予定時刻。
iPadに落としていたバイオレンス映画の最後が見たくて、到着が少し惜しい。機体の降下が始まり、しぶしぶ窓の外を見ると、ひょうたんのような可愛い島の形が見えた。(石垣島の形状は瓢箪とは似ても似つかないんだけど、この時マジでひょうたんに見えた。)山の緑。ぽつんぽつんと街がある。
空港のレストランで海藻がたくさん入った沖縄そばを注文する。
空港には、寝起き即バイオレンスの私の身にこたえる南の島特有の浮き足立ったバカンス感が漂っていた。
食べながら映画の続きを観ようと思っていたのだが、バカンス雰囲気を無視できず、ひとまずやめる。大きな雲、じめじめ蒸し暑い空気。デカくて鮮やかなヤシの木。半袖ビーサンで歩く家族。観察を始めると次第に2000kmにも及ぶ大移動の実感が湧いてくる。GoogleMapで現在地を確認すると、画面の端に台湾が見切れている。台湾は好き。たのしくなってきて、急いで目の前のそばを掻き込んで、空港を飛び出す。
空港から市内に向かうバスは観光客で満員だった。道沿いには名前も知らないデカい木が鬱蒼と茂り、ところどころ「パイナップル売ってるよ」みたいな看板を見た気がする。車窓には意外とすぐに飽きちゃって、また映画を見始める。わたしがわざわざ石垣で睡眠時間削って観ちゃったくらい面白かった映画をここでお披露目することにする。
デヴィッド・リンチ最高
宿の最寄りのバス停で降りると目の前に八重山博物館がちょこんと佇んでいた。本当はそのまま宿に入る予定だったんだけど、暗い館内が気になって、スーツケースを持ったまま博物館に吸い込まれる。
「よかったら荷物預かりますよ」
キモい姿勢で扉をこじ開けていたら、職員が気を遣って声をかけてくれた。荷物を預けて入館料を支払おうとすると、入館料はいらない、とのことだった。何か理由をつけてくれた気がするけど、まだ石垣の言葉が耳慣れない私には聞き取れなくて、大丈夫かなと少し不安になるが、まあなんかニコニコしてるし大丈夫だろう。
中に入ると人形や農具、祭事の道具などが所狭しとディスプレイされていた。先客の老夫婦と若干の距離を取りながら見て回る。
八重山歴史年表に目を遣る。一行目には「714年 奄美、信覚、球美の南島人、大和朝廷に入朝する。」とある。「信覚」とは石垣のことである。大和朝廷があった奈良から石垣まで、約1,600km。およそ1,300年前に編纂された続日本紀に石垣島が登場する事実に一人胸熱だった。
近代部分に目を移すと、「1967年 断髪騒動」という文字を発見した。八重山高等小学校の生徒が修学旅行先の竹富島で一斉に断髪されたというのだ。なんてこった、かわいそうに。そういえば今ようたさんは竹富島にいるんだっけ。
さらっと一周して博物館を出る。ようたさんが手配してくれた宿は博物館のすぐ近くにあるらしいことをGoogleMapが教えてくれる。南国特有の赤茶色の瓦にいちいち感動しながら宿に向かった。
ゲストハウス童貞、卒業。
今回泊まるのはゲストハウスだ。長期滞在者が多いのだという。初めて泊まる旨伝えると、店主さんが慣れた様子で説明してくれる。一泊1,800円の激安宿。女性部屋は定員4名で、ちゃんと鍵が閉まる。共用の風呂、トイレ、リビング、キッチンがあって、有料の洗濯機、乾燥機もある。棚の上にある牛乳瓶に100円玉を入れたら支払い完了。一回分の洗剤が脇に置いてあって、これも使っていいらしい。洗面台からはほんのり潮の匂いがする。
ついに2泊3日の寝床と対面。一つの部屋に4つのベッドが入るように店主自ら階段と仕切りを作ったらしい。意外としっかりしていたが、飛んだり跳ねたりはしないほうがいいだろう。薄布のカーテン、昔「大奥」で見た帷みがある。共有スペースの物干し竿には、隣に寝ている先客の上着が掛かっている。郷に行っては郷に従え、ZARAの上着を隣に引っ掛ける。お邪魔しますね。
原付童貞、卒業。
ようたさんから、石垣は原付で移動するのが楽だよ!と聞いていたので、事前に原付をレンタルしていた。店の人に宿まで迎えにきてもらって、2泊3日お世話になる赤い原付と対面する。動かし方を教わるも、教習所以来原付に触っていないので、運転の感覚を覚えているはずもない。庭で少し練習させてもらう。おい右のグリップちょっと捻っただけでめちゃくちゃ唸るなめちゃくちゃ怖い。ていうかこれ、運転中どうやって地図見るの。
「運転中は地図見れないから、事前に地図見てある程度頭の中に入れていくんだよ。」
店員のおばちゃんが教えてくれる。が、私は地図が苦手なので、ああどうしよう、地図なんか覚えてられるはずもない。
「どこに行きたいの?」と助け舟を出してくれた。
「海に行きたいです!」
「そしたらここを右に曲がってずっとまっすぐ行って。突き当たりを右に曲がったら海沿いに出られるよ。インターコンチネンタル石垣の駐車場に入って原付とめて、海に向かって歩いたらビーチに出られるよ。」
めちゃくちゃ速い。震える手をなんとか押さえつけ、言われた通り30km/hの速度制限を守り、死ぬほど車に抜かれながら一本道を直走る。3分ほど走って信号で止まっていたら、後ろを走っていた原付がゆっくり近づいてきた。ミラーで確認すると、原付に跨りながらちょこちょこ歩いて近づいてきている。
原付に乗っていたの小柄なお爺さんを目視で確認すると、お爺さんもこちらを見ていた。
「ずっとウインカー出てるよ。」ぼそっと爺さんが言う。
え、と慌てて確認すると、おっしゃる通り右方向のウインカーが出っぱなしだ、あわあわと慣れない手つきでウインカーを切って、緊張しすぎましたとヘラヘラ笑って、青になって、お礼を言って走り出した。お爺さんはすぐ先の信号を曲がって行った。声かけてくれてありがとう、怖がってすいません。
結局迷ってインターコンチネンタルホテルの駐車場に着いた。原付を止めると緊張で腕と肩がバキバキになっていたことに気がついた。
体を伸ばしながら海に向かって歩く。生い茂る木で出来たトンネルを通過すると、急に視界が開けてビーチが現れた。潮の匂いがする。
インターコンチネンタルでトイレを借りる。豪華絢爛。いい匂いのするトイレ。これが石垣の表側なのね。店員のおばちゃんも、原付のお爺さんとも関係しない、表側。
帰り道は行きよりもずっと迷った。30分ほど走って不安になり途中で地図を確認すると、目的地のゲストハウスとはかけ離れた場所にピンが立っていた。「具志堅用高モニュメント」が近い。悔しいので現物は見ない。
予定到着時間からゆうに30分は遅れてゲストハウスに到着した。16:00。
穴ぐら、いえ、私の城に戻ると部屋がエアコンでキンキンに冷えていた。腰を下ろしたらめちゃくちゃ眠くなって、そのまま1時間ほど寝た。というか気絶した。あとから気づいたことだが、おそらくこれは熱中症の初期症状だった。東北生まれはこれだから。
気絶から生還したタイミングでちょうどようたさんからLINEが来た。ようたさんもようたさんで、無事竹富島から生還したらしい。よかった。
ヤギ汁童貞、卒業。
酒を求めて18番街へ。石垣島指折りの歓楽街で、かつて赤線として浮名を流した一帯である。色街特有のタイル張りの建物があちらこちらで目につく。
竹富島で相当無理したのかフラフラのようたさんとフラフラ歩き回る。石垣に来る前、ようたさんは石垣には30年前の風景が残っている、と教えてくれたんだけど、なるほど、ここは確かに1990年代で時が止まっている。
歩きながらようたさんが、ヤギ汁が美味しいからと連れてきてくれたのは、こぢんまりとしたスナックだった。ようたさんに続いて入店すると、店内は真っ赤だった。景気がいい。
ママが一人切り盛りするこの店に、先客は関西弁の小娘が4人組。とにかく元気だった。キャハハと高らかな笑い声が響き、間髪入れずにキャー!!と悲鳴が上がる。ようたさんと私が席につくかつかないかくらいのタイミング。彼女らに目を向けると、どうやらピッチャーのお水をこぼしたようだ。
「コラ!!!何やってんのあんたたち!女の子だけで来てこんなに馬鹿騒ぎしてんのあんたらくらいだよ!」
おそらくママの年齢は私の祖母より上だろう。小柄な背中は丸まっている。通ってた保育園の園長先生に似ている。聡明そうな切れ長の目に丸いメガネ。家庭的なエプロン。貫禄ある体格。怒鳴り声に驚いてこちらがチビる。
娘たちはシュンとして「ごめんなさい〜」と一生懸命テーブルの上を拭いている。ママは「めんどくさい、ああめんどくさい!」とキレながら、テキパキと床をモップ掛けする。これがママとのエンカウントである。
なんとも落ち着かない気持ちで、ママの手が空いた頃合いを見計らいハイボールとさんぴん茶、ヤギ汁を注文する。
しばらくしたらヤギ汁がドーンと目の前に置かれた。牛刀でそのままぶった斬ったであろう、ヤギの骨や髄ごと煮込まれている。白い野菜のかけらが全てにんにくだと気がついたのは、ヤギ汁を口に運んでからのことだ。
私は中学に上がるまであまねく全て肉が食えなくて、いまだに肉偏差値がかなり低い。骨とか髄とか食べたことがない。不安である。
ようたさんが肉を口に放り込み、骨の部分を出したのを見て、ああ骨は食わないんだと安心する。右に倣って、骨や髄以外の部分を選り分けて口に運んでみると、ヤギらしき肉の香りと、塩味と、それに対抗するにんにくに、頭部の大半を支配され、かなり混乱した。それに加えて混乱したことは、ママが「これは島唐辛子で作ったこーれーぐーすだよ。あと少ししかないから、これだけしかかけないよ。」と言って、ヤギ汁に明らかに辛そうな液体をぶっかけたことだった。ヤギ汁は2人で一つ。ようたさんは辛いものが食えないのだ。ああ可哀想に、と隣を見ると、ああ・・・ここは食べられない、と液体のぶっかかった部分を確認していた。私は元来辛いもの好きの星に生まれたサケなので、なるべく混ぜないように液体がぶっかかった部分を掬い取る。食べ物は辛ければ辛いほどうれしい。ようたさん、ここは私に任せてね。
結論から言うと、謎の液体「こーれーぐーす」がかかったヤギ汁、信じられないほど美味くなっていた。ヤギうまい。一気にさわやか汁。感謝汁。島とうがらしを泡盛に漬けた調味料らしい。多分これ、カップヌードルシーフードに入れるとうまい汁。ようたさん、ここは私に任せてね!!
しばらくして、先の騒ぎがひと段落したママが声をかけてくれた。一発で聞き取れなかった私を察して、ようたさんが通訳してくれる。「ねえね、どこからきたの?」。
島の人は、妙齢の女を「ねえね」と呼ぶらしいのだ。実際に私は3日間の滞在で何度も「ねえね」を観測した。
東京から来ました、ようたさんを撮りに、と返事をすると、ああすごいね。仕事で?と聞かれる。
いえ、仕事は別で、と会社名を告げる。私が今いる会社は、おそらく本州にいる人なら老若男女誰にでも通じる著名性を獲得していた。
しかしながら、全く通じなかった。キョトンとしたママの顔を見て、ああ、昔の名前は〇〇です、と告げる。
やっとピンと来たようだった。会社が改革を起こしたのは約30年前。悪名高い国の一機関であったことを、ママは覚えていた。でも全然興味なさそうだ、それもそのはず、ほとんど馴染みがないのだ。
島の人にある価値観に会社の肩書きは存在しない。お面を外した素っ裸の人間、そのものである。
この恥ずかしい感覚に酔いが覚めた。早く打ち解けたいと思って、ようたさんに「私一発芸を習得したい。」と言ったら、人間性を見ているだけだ、別に変わった特技を欲しているわけじゃないよ、島の人は。と諭されて、いよいよ恥ずかしかった。
泡盛トリプルのロック童貞、卒業。
ここから、私の記憶がかなり怪しい。
というのも、ママにとびっきりのお酒を勧められたのだ、その名も「八重泉バレル」。
人気でなかなか手に入らない酒がちょうどある、思い出になるよ、とママのお墨付きを受けたこの酒は、一杯2,000円だという。結構。ママのおすすめなら、飲まない手はない。
八重泉のメインラインは泡盛だが、このバレルという酒は、直火蒸留の泡盛を長期間熟成させ、ウイスキーのような味わいに仕上げたネオ・泡盛だ。
一杯、二杯、三杯。シングル30mlを計るメジャーカップを三周して、並々コップに注がれた八重泉バレル。40度。私はこの世に「泡盛トリプルのロック」という飲み方があることを知らなかった。
ママの「はいさい」という掛け声とともに手渡されるコップ酒。琥珀色。知ってる泡盛とは似つかない蒸留酒の香り。一口含むとその香りの強さにびっくりする。お花畑飲んでるみたいだった。
店を出たのは23時過ぎだったと思う。私は八重泉バレルにすっかり持って行かれて超絶怒涛の前後不覚だ。いつの間にかいたカップル客とママにおやすみー!と声をかける。
次の日ようたさんは、「スナックでかいさん途中からご機嫌でベロベロだった」と言って笑っていた。
断片的な帰り道、一つ忘れられない事件が起こる。
ハンドル喉に突き刺さり童貞、卒業。
18番街を抜けてでかい道を渡り、住宅地へ入っていく。私は前述の通りご機嫌で、千鳥足だった。
ようたさんはチャリを引いていて、そのチャリを挟んで二人、狭い歩道を歩いていた。ようたさんが「ここを右ね」と言った、気がする。
私は元々右とか左とか東西南北とかそういう位置を表す言葉の認識が遅く、酔ってるからなおさら遅く、言葉の意味を全く認識できないまま足を前に出したら、同時に右に曲がろうとしたようたさんおよびチャリにぶつかって転けかけた。まもなく、曲がったハンドルは私の喉仏に突き刺さった。
悶絶である。首が取れたと思った。触ると患部がありえないくらい熱くなっている。表面はピリピリ、首の骨はギシギシと痛んで、それを必死に抑えつけようと力んで瞬きが止まらない。ようたさんは「大丈夫か、大丈夫ですか」と声をかけてくれ、それに必死になって応答する。大丈夫だ、大丈夫です、余裕です、いや結構痛いです。
宿に帰り、首を見ると変な跡がついて赤紫になっていた。丸くなって首をいたわりながら寝て、目を覚ましたら、何かが排出されたのか、患部はかさぶたになっていた。
後日談だが、この赤みは1週間ほど取れず、「何か」を察されまいと、私は東京に戻ったあと、しばらくはタートルネックを着て過ごすことになる。
石垣島探検の長い1日はここで閉幕。1日で5つの童貞を捨てることに成功した。
この後、
2日目「石垣島を原付で北上、森で全裸編」
3日目「石垣島撮影記録 ギリギリのビル、廃イス、全然取れないひっつき虫編」
と旅は続いていく。さていくつの童貞を捨てることになるのだろうか。
乞うご期待ください。またね〜