「しょうがない」というおまじない
末っ子が花粉症になった。
「花粉症になった」なんて言っても、今や2人に1人が花粉症を発症していると言われる世の中で、それほど驚く人もいないはず。
ありがたいことに、我が家はみんな病気知らず。熱を出したりするようなこともほとんどない。
薬を飲んだ経験があまりない末っ子は、たぶん1回か2回何かで服用したことがあったのだろう。普段買ってもらえないスーパーカップのバニラアイスに薬を混ぜて飲ませてもらった、という話が、14年の人生の良き思い出のトップ10に入っている。「隣でお兄ちゃんが、いいなぁって見てたよね~」と目を細める。そんなこともあったんだっけ。
その末っ子が、このところくしゃみを連発する。隣の部屋にいるとは思えないような豪快なくしゃみが止まらない。
―え、もしかして、花粉症?
ちょっと驚いた。漫画の描写で言うなら、私の額に縦線が入った、そんな感じ。
いやいや、まさか。うちの子に限って、そんなことはないでしょう。誰もが認める健康優良児だし。季節の変わり目。このところ、寒暖差が大きいし。
それだったら、花粉症ではないな。
すると、愛犬が突然吠え出す。珍しいので、何かと思って吠えた先を見ると、末っ子が水泳の黒いゴーグルに水を入れて目に押しあて、目をパチパチしている。(←水で洗うのは×です。)そのウルトラマンのような顔に、我が家の臆病犬は尾を垂らして吠える。
「え?何々?私に吠えてんの~?ごめんごめん。 だって目がちょ~痒いんだもん。」
―えぇぇ、やっぱり花粉症じゃん!
漫画なら、私の目は白目になり、背景には衝撃を表す効果線が描かれていたはず。
まるでミルクボーイのネタみたいになった思考がおかしいのに、一切笑えない。それほどショックだった(この思考パターン、違う状況でまたあればいいのに…)。
まさか、うちの子に限って、である。無意識のうちに、花粉症とは無縁の勝ち組だと思っていたのだろう。突然、ドンと両手で胸をつかれ、谷底へ落とされたような、そんな衝撃だった。
―いやいや、まさか、ね。
念のため、ネットで調べてみる。
誰でも花粉症になる可能性があります。
8割の人は遺伝的に花粉症やじんましん、ぜんそく、アトピーなどのアレルギーを起こす体質なので、今は花粉症でなくても、突然、花粉症になることがあります。
―はぁ~、これは、間違いない。末っ子は花粉症だ…。
今は花粉症でなくても、突然、花粉症になることがあります。
この一文に恐怖も覚えた。
確かに。敵は突然やってくる。地震や台風のような自然災害、交通事故、大病、詐欺被害。今、世界を震撼させているコロナウイルスだってそうだ。まさか、私に限ってないだろう、私の家族は大丈夫、とどこかで呑気に構えている私がいる。
私に限らず、人ってなぜそう思ってしまうのだろう。誰にでも起こる可能性はある。そして、それは不意にやってくる。わかっていることなのに。
明日、地震がきたら…
明日、心臓発作を起こしたら…
明日、犬の散歩中に車に引かれたら…
明日、宇宙人がやってきて寝ている私をさらって行ったら…
明日、地球が…
100万通りくらい妄想できる。その妄想が現実になった時、私は、普段は小さな不満のつきないこの平凡な日常を、花が咲き誇り小鳥がさえずる楽園だったかのごとく嘆くのだろう。
―なんと恐ろしい。
「備えあれば憂いなし」とは言うけれど、無数にある起こりうる禍のすべてに備えていけば、逆に気が滅入ってしまう気がする。
「とりあえず、病院行って、薬もらっておいで」
定期試験で昼前に帰ってきた末っ子に、水泳のゴーグルのゴムで目の周りがパンダのようにかぶれた時に行ったことのある近くの小さな病院へ行くよう促した。
「え、花粉症ぐらいで病院行くの?薬局で薬買えばいいんじゃない?」
という末っ子に、
「花粉症かどうか、お医者さんじゃないとわからないよ。
ちゃんと診てもらわないと。」
と保険証と診察券を持たせた。試験勉強が気になるも、さすがに試験中のくしゃみはいやなのだろう。末っ子は大急ぎで着替えて、正午で診察が終わる病院に駆け込んだ。
***
「これ、目の周りの痒みをとる時に飲んだやつと同じなんだって」
病院から戻った末っ子は、嬉しそうに自分の名前が書かれた袋から錠剤を取り出す。同封の点眼液のキャップを開けて天井を向き、さっそく右目に垂らして、きゃっきゃっと声を上げる。
「先生はなんて言ってたの?」
「久しぶりだね。ついに花粉症デビュー?って言われたよ」
「どんな検査したの?」
「してないよ。受付の人に、今日はどうされましたか、って聞かれたから、くしゃみが出て目が痒いって言っただけ」
「え、先生は何も診てないの?」
「うん、今年は花粉が多いからね~、って言ってた」
そして、今度は左目に点眼液をさそうとして失敗して、また甲高い声をあげる。
たぶん、漫画なら、私の下顎は外れ、床に落ちていただろう。大きな石でできた「やぶ医者」という文字が頭の上に落ちているかもしれない。
―今年は花粉が多いから、「しょうがない」ってことか。
そう口にしてみると、なるほど、しょうがないな~っとも思えてきた。確かに。がんばって防げるようなことでもなかったよな。そう思うほど、体の力が抜ける。だって、もうなってしまったんだからしょうがない。
世の中には、防ぎようのないどうしようもないことがたくさんある。自然災害や巻き込まれる事故、突然の病気など、自分や身内に起こってほしくないけれど、祈る以外どうすることもできないことが。運命としか説明できない出来事。起こってしまったことをなかったことにすることはできない。誰のせいでもない。しょうがないことなんだ。
望まない運命に負けたくないなら、「しょうがないな~」ってその暴れん坊の運命にまたがって、コントロールできるようがんばるしかないってことか。
「しょうがない」って言葉、どうしようも術がなくて、諦めるときに使うものだと思っていた。けれど、違うね。「しょうがない」って、潔く負けを認めて、受け入れることだ。そして、そこからまた前を見る言葉。
―なんだ、いい言葉じゃん。
”やぶ医者”は撤回。お医者さんは、知識と経験を生かして、末っ子に薬と「しょうがない」という励ましのおまじないを処方してくれたんだね。
先日の地震以来、悪いことばかり想像してしまう私。実際に何か大変なことが起こったあとに、「これは運命だったんだ」と言える強さが私にあるかどうかはわからないけれど、もし、負けそうになったら「しょうがない、しょうがない」ってこのおまじないを呪文のように唱えよう。深呼吸しながら、何度でも運命を受け入れられるまで言い続けよう。
そうだね、まだ起こらないことを心配しすぎてもしょうがない。運命に怯えてたまるか。私の人生に降りかかる運命は、しょせん私のもの。私がコントロールするべきものだから。
イ~~~~クション!!
実はかくいう私も、このところやけにくしゃみが出ている。
まさか、ね。
ま、でも、しょうがない、しょうがない。
よっしゃ、運命、かかってこい!
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