トキのイロ ~創造性とは~「鶏」授業では出せない色を出させる
見ていた景色が、ふわふわっとパステルカラーの空気に包まれていった、そんな体験をしたことがある。
あれは、末っ子が転入したばかりの小学校の、図工の授業だった。
夫の海外駐在先から、子どもを連れて帰国した年のこと。日本の小学校の授業を参観するのは久しぶりだった。校舎に足を踏み入れた途端、「日本」という感じがする。何だろう、この感覚。壁の色や机の配置、掲示物、校内にあるあらゆるものから、どこか地味な色やニオイが滲み出てくる。まるで墨汁のような。これが嫌なわけではなく、むしろ落ち着くのは、私もそんな環境で育ったからだろう。
海外のインターナショナルスクールは、一言でいうとポップな感じ。色もニオイも、そこにいる人たちも。朝、学校に子どもを連れてきた保護者と友達のように話し、「じゃあね」と鮮やかなプリントスカートを翻しながら、コーヒーを片手に教室に向かう先生。リンゴを齧りながら体育の授業をしていた先生もいた。子どもたちは、ガチャガチャと個がぶつかり合う騒がしい空間の中で、のびのびと過ごしていた。
私は、行儀や学業の遅れに不安や焦りを感じつつも、この「のびのび」が、子どもの創造性を育てているという事実を認めざるを得なかった。なぜなら、明らかに子どもたちが違うのだ。インターの放任主義が、やんちゃだが自信に満ちて生き生きした子どもたちをわんさか放出するのを、目の当たりにしたのだ。
逆を言えば、「日本の教育は創造性を育てない」。これは、日本と海外の教育現場をみた私の率直な感想だ。その創造性を育てない日本の小学校の、創造性が大事な図工の授業を覗きに行った。
当時、娘は小学4年生。図工は、教室ではなく、図工室に移動し、専科の先生が指導した。30代前半くらいの女性。細く、控え目な感じ。
先生は、子どもたちに水彩絵の具を用意させ、大きな画用紙を一枚ずつ配り、「空のペンキ屋さんになったつもりで色を塗りましょう」と言う。黒板には、白のチョークで、『時の色』と題されていた。取り立てて説明もなく、作業は開始された。
娘の姿を探す。もちろん親だからでもあるが、すぐに見つけた。育った環境のせいか、彼女もどこかポップなのだ。そんな我が家の超ポジティブ陽気娘は、いきなり画用紙をスカイブルーで塗り始めていた。なんのためらいもなく。なんの工夫もなく。
あちゃー
私だったら絶対ああはしない。私だったらまず仕上がりをイメージする。そこにいちばん時間をかける。塗り始めるまでには勇気がいる。きっと下書きもするだろう。娘はそういう教育を受けてきていないのだ。
先生は回りながら一人ひとりの作業を見ているが、特に何かアドバイスをしているふうでもなかった。時々、「いい色だね~」などと声を掛ける程度。娘の横に来た時も何か話していた。内容は聞こえなかったが、どちらもニコニコしていた。
豪快に塗られたスカイブルーでたわんだ画用紙と、頬をピンクに染め、始終笑顔の娘を交互に見ていると、一見何の工夫も個性も見られないと思われたその色が、だんだん彼女らしい色に見えてくる。
「この先生になってホッとしましたよね」
隣にいたお母さんが、その隣にいたお母さんにぼそぼそっと耳打ちしたのが聞こえた。どこか気になる言い方だ。「初めまして」、と新参者であることを伝え、その訳を教えてもらった。聞けば、昨年までの先生は、ベテランの女性で、とにかく厳しかったという。話を聞かない、指示通りにできない子どもは叱りつけ、教室から追い出していたらしい。
なるほど。体育の先生ならまだしも、図工の先生が怒りん坊だと、子どもたちもリラックスして良い作品を作れないだろう。
***
「良い作品」と言えば、忘れられない幼稚園がある。長男が1年通ったある日本の幼稚園だ。綿密な指導計画、園長を中心とした統制のとれた教員。非の打ちどころがない幼稚園だった。特に年度末の学習発表会を見た時は、度肝を抜かれた。完成度がものすごかった。一体どんな大人になるのだろうと誰もに思わせる衝撃的な仕上がりだった。一方で、その徹底した統一ぶりに、空恐ろしさを感じたのも事実である。
発表の合間に教室に展示された絵画を見て、そこでも度肝を抜かれた。みな同じ色、形、向きをした鶏の絵がずらり。プロの画家を呼んで指導を受けた時の作品だったそうだ。確かにどれも仕上がりのいい「よい作品」だった。
***
また「鶏」授業なのだろうか、そう偏見をもって参観に訪れた私だったが、この「時の色」授業は違った。子どもたちは自由に描き、先生はぐるぐる巡回。ここという見所やクライマックスのない授業に、親たちのおしゃべりの声も次第に大きくなっていた。
先生が教壇の右上に掛けられた時計をちらりと見上げた。
最初のひと筆がなかなか出なかった子は、焦り始めた様子を見せる。
塗る時の筆の運びを工夫してみたが思うようなものにならなかった子は、全面をべた塗りにしていく。
「人とは違うものを」と意識しすぎてしまった子の作品には、子どもの持つ純真さが失われているように思えた。
さて、我が家の超ポジティブ陽気娘は? 見ると、真黄色の絵の具をたっぷり染み込ませた筆を持ち、今にも大胆に塗られたスカイブルーの上を覆う勢いで腕を振り上げたところだった。
あちゃ~
思わず生唾を飲み込んだ私。同時に、「きゃ~」という女の子の悲鳴が聞こえた。
なにやら娘のふくらはぎに小さな虫が止まったらしく、その声に驚いた娘は振りかざした手を止め、顔だけ後ろに向けた。
何の騒ぎかと先生がやってきて、娘の足の小さな虫を払い、
「はい、じゃあ今日はここまで~」
と小走りに教壇へ戻った。
スカイブルーの上に流し込まれようとしていた向日葵のような黄色は、ひとまずお預けとなり、ほっとする。
子どもたちが一斉に動き始めた。教室脇の流し台に行く子。友達の作品を見に行く子。椅子を引く音、上履きが床を鳴らす音、おしゃべりの声や音が教室中に溢れた。この時だ。この時の景色が、私の脳内でパシリと一枚の絵になった瞬間があった。それは子どもたちが薄いパステルカラーの空気に包まれたような景色。墨汁のようなグレーが薄いパステルカラーへと変わった瞬間。
その絵は、実は少し引いて見ると、フワフワの弾力のあるパステルカラーの大きな気泡の中に子どもたちがいるのではないか、と想像している。気泡は環境を整えればどこまでも大きく膨らむが、外から圧迫すれば簡単に壊れてしまう。
その気泡の正体は、人が生まれながらに持っている創造性。創造性を教えることは難しい。そもそも教えるという行為が、創造することを邪魔するではないか。基礎を教わることは大切だけれど、一度基礎を知ってしまうと、そこからはみ出すことが容易ではなくなってしまう。自分の感性に従うことに勇気が必要となる。
『時の色』は、その時感じているその子の色を出させる授業だったのだろうか。その色や色を出すまでの過程を、あの先生は観察していたのだろうか。創造性は教えるものではなく、また育てるものでもなく、「見守るもの」なのかもしれない、そんなふうに考えさせられた授業だった。
脳内に残るあの1枚の絵は、あの日あの時の私の色。常に移り変わる時の色。中学生になった娘は、今はどんな色を塗るのだろうか。描かせてみたくなった。もちろん、私の見ていないところで。
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