いま思う私の気持ちメモ。

私の知るお年寄りはだいたい、自分の身の上話が大好きだ。苦労話がほとんどだし、同じ話何度も聞かされる。短時間で同じ話をしてくれることも(笑)いつか自分も年を重ねたらこんな風になるのかと、ぽけーっと考えることがある。その前に自分の両親がそうなるのかもしれない。

何度だって聞いてあげなくちゃいけないかもしれないが、私があまり心地よくないのは『いいわね、お宅は何もなくて!』がだいたい話の途中に入ってくることだ。苦労話や噂話(あまりよくない方の)を好き勝手話しながらぶっきらぼうに言い放たれると、ムッと来るものがある。こういう経験って結構よくあることかもしれないが。私だって苦労話の一つや二つありますよ!と言いたくなる。誰かに話したくて聞いてほしくて苦しいこともたくさんあったし、逆にわざわざ曝け出すほどでもないなと冷静に考えることもしばしば。だけど『いいわね、お宅は何もなくて!』に見えてしまうんだ。

私は、人それぞれ人生劇があると思って接するようにしている。長いこと百貨店で勤務していたが、上記のようなお客様は一日に何度も出会う。共感や共有と発見と様々なニュアンスでリアクションするのはとても苦労した。自分よりも遥かに年上に知識や経験は敵わない。ある意味セラピストの役割のような、ゆっくりと話しに耳を傾けることも。赤の他人の私にだからこそ、自分の人生劇を語ってくれているのだと思った。様々な出会いで、話し方と聞き方の大切さを知った。

話しを戻して・・・ご近所さんのお年寄りから放たれる『いいわね、お宅は何もなくて!』の言葉は、ある意味呪文のように私にまとわりつく。この言葉は呪いかもしれない。隣の芝生が青く見えすぎた人の口癖なのかもしれない。何気なく言ったり、もしかしたら言ったことすらわかってないくらいの言葉。きっと皆何もない人生は送ってないと思う。特にこの未曾有の時代、多くの人がもがいている。何十年後、自分も年を取って身の上話をしたくなった時には優しい気持ちで人生を振り返られるような、そんな歩み方をしたいなと思う。

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