腰痛と無気力と窓の外。
しばらく忙しい日々を送っていて
ふと、解き放たれた後に来た!腰痛。
遡ること数か月。仕事の事で頭がいっぱいながら楽しさと、プレッシャーに心踊っていた。
家族には迷惑をかけ、罪悪感をかかえながら期間限定のフルコミットメント業務は自分へのご褒美。
ご褒美期間が終わった後、
特に手元に残った物があったかといえば正直そんな大層なものはない。
薄っぺらな知識しかないのに頭を抱え、考えて、そんな中で自分を知って、自分を見つめ直していた。まるで、何かのやり直しの儀式のような日々。
それでも自分の人生にキラリと瞬く時間を過ごせた自負だけはあり、経験という宝物になった。関わり合う人達のもつパワーも少し分けて貰えた。
そんな経験から気づいた事。
人に関心が薄いのか、人と関わり合う力が無い。絶望的に。気づいたというかは強く再確認できた感じだ。
自信が持てずおどおどして、まわりから浮いていないか?そんな事ばかりに気を遣っている毎日に気がつく。比較する事で、自分の位置を確認し、何が足りないか考え、それを補う、それだけの人生に気がつく。目標がない。目標がないからいつの間にか誰かの期待に応える事を一生懸命する、そんな人生になっていた。
子育てが始まってからは育児でいっぱいいっぱいになってしまった。
自分の事は後回しになり、メンテが足らずにどんどん無気力になっていく。
自分が何のために生きて、何がしたいのかわからなくなって、虚無感というか、生きづらさのような感覚が時々襲ってくる。誰でもいいから助けてほしいと心の底から願った。
冷静になると少し笑えるけど、時々自分は鬱なんじゃないかと思っている。
このままでいいの??
ここ最近、内なる私がずっと前から聞いてくる。
いいはずないのが分かっているけれど、キャリアのレールを外れる勇気がない。
今の仕事を辞めたいのに、辞めるのが恐いと感じている。
結局、誰かの指示に従っていると楽なのだ。
変化しない事が一番怖いことだと知ったはずなのに、環境を変える事をめんどくさがっている。
何度も何度も心の声が言う。今の仕事辞めたい、環境変えたい、窓の外にもっと出たいと。
また別の声がいう。そんなに焦ってどうするの?細く長くゆるくいこうよ。仕事を続けた先に見える世界があるかもよ?
note更新でまたジャーナリング再開。
とりあえず、2022年後半は記録と見返すこと、振り返って、自分の気持ちをじゃんじゃん言語化することに注力したい。
人生は短い。
死ぬ間際、悔いなし、と言えるだろうか。
そう思うと色々手放しやすい。