舌 │詩小説
部屋の中を見渡すと、埃をかぶった棚、床に転がる空のカップ麺の容器や脱ぎ捨てられた服、漫画、ペットボトルが目に入る。
どれもここしばらくの自分の停滞を映し出しているみたいで、目を背けたくなる。 机の隅にはガラスのケージが置かれていて、その中にはヤモリがじっとしている。何を考えているのかなんて分かるはずもない。 ただ、じっとこちらを見つめているように見える。
ベッドに腰掛けて、広げたスーツを眺める。指先でその袖をなぞりながら、自分に問いかける。
「本当に行けるのか…?」
口に出した瞬間、胸の奥から湧き上がる不安が言葉に乗った。 どれだけ面接に行こうと思っても、一歩が踏み出せなかった過去が頭をよぎる。その記憶が重くのしかかる。
ふとヤモリに目をやる。
ケージの壁に張り付いた指先が、ガラスに吸い付いているのが分かる。その細い指がほんの少し動くたび、わずかに光を反射する湿った皮膚が目に入る。
触れたらひんやりしてそうだな、と何となく想像する。
「お前はいいよな…楽そうで」 言葉を口にしてみても、虚しいだけだ。 自嘲気味に笑いながら視線を外したが、ヤモリの目はずっとこちらを見ている気がして、どうにも落ち着かない。
スーツを手に取って、重い体をなんとか動かす。
ネクタイを締めながら鏡の前に立つと、自分の頼りない姿がそこにあった。いつも通りの自分が映っているだけなのに、なんだか違和感を覚える。
「これでいいのか…?」
呟きながらも、答えが出るわけではない。 けれど、このまま動かないわけにはいかない気がしていた。
玄関に立ち、ドアノブに手をかける。
「あとはこれを押すだけなのに…」
小さくつぶやく声が、部屋に吸い込まれるように消えていく。 手が動く気がしない。
不意に振り返ると、ケージの中のヤモリがこちらをじっと見つめているのが目に入った。 その瞬間だった。
ヤモリが静かに舌を伸ばし、目を舐めた。
「……なんだよ、それ」
目を舐めるその動作がなんだかおかしくて、少しだけ肩の力が抜けた。 ヤモリに感情があるわけじゃない。ただ目を掃除しているだけだ。 それなのに、胸の奥にあった曇りが少し和らいだ気がした。
「行くか…」
深呼吸をして、ドアを開ける。冷たい風が体に触れる感覚に少しだけ身震いするけれど、最初の一歩を踏み出した。
背後からヤモリの視線を感じた気がしたけれど、振り返らずにそのまま進んだ。