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大貫妙子 『SUNSHOWER』 (1977)

日本のシティ・ポップ初期を代表するシンガー、大貫妙子。
ター坊という愛称を持つ彼女はシュガー・ベイブのメンバーとしても知られている。シュガー・ベイブが70年代の日本の音楽シーンを振り返るうえで非常に重要なのは、山下達郎だけでなく大貫妙子というシンガーソングライターを輩出したことだろう。80年代以降は坂本龍一と組んでヨーロピアンな世界の作品でブレイクしたが、70年代はいわゆる転換期のようなものだった。シュガー・ベイブの延長だった1976年のソロ・デビュー作『Grey Skies』に続き、今回紹介する翌年の『SUNSHOWER』は当時のフュージョン・クロスオーヴァーやAORに影響されたサウンドを構築。スタッフのクリス・パーカーを招いたニュー・ソウル風味のこの曲は、ジャパニーズ・レアグルーヴの名曲として海を超えたリスナーにも非常に高く評価されている。
本記事ではその名盤『SUNSHOWER』を深堀りしていく。

シュガー・ベイブと旅立ち

妙子は中学・高校時代にはバンドを組み、フィフス・ディメンションやママス&パパスをカヴァーしていた。喫茶店でフロアのアルバイトをしていた時に、キッチンの同僚から店のレコードブースで唄う事を勧められ、キャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」などをギターで弾き語っていた。妙子が本格的に音楽の道を歩み始めたのは1972年頃、楽譜を買いに訪れたヤマハの店頭で男性二人組に声をかけられ、フォーク・グループ「三輪車」を結成し、矢野誠をプロデューサーに迎えてデビューすることになったが、大貫の音楽性がグループに合わないと考えた矢野が四谷にあったロック喫茶「ディスクチャート」でセッションしていたミュージシャンを紹介。そこで山下達郎に出会ったとされている。

━━━それが半世紀近くも前のこと。こうして『シュガー・ベイブ』というロック・バンドが結成された。無名時代の、あの山下達郎や大貫妙子らがメンバーだった。ここから彼女の本当の音楽の道が始まるのである。
シュガー・ベイブが残したアルバムはわずか一枚だけ。その『SONGS』というLPのジャケットは紙質がざらざらだった。Wikipediaによると、デザイナーはわざとこの紙を選び、手垢がつくほど聴きこまれることを願ったらしい。しかし『SONGS』は売れなかった。実売数は諸説あり、二千枚、いやそれ以下だったともいわれている。いずれにしろ、東京という局地的な人気しかなかった。そうして最初で唯一のアルバムが失敗に終わった後、バンドは解散し、3人はそれぞれの音楽的アイデンティティを見つけるために別々の道を歩んだ。山下は、デビューアルバム「サーカスタウン」をプロデュースするためにニューヨークへ旅立ち、日本の次世代ソウルブラザーとしての地位を確立した。村松は、1983年の「グリーンウォーター」まで次のソロアルバムをリリースせず、そこでポップロックの道を進んだ。しかし、大貫妙子は、1977年にリリースされた2枚目のアルバム「SUNSHOWER」で、自身の音楽的な声を見つけることになる。この時期の大貫の音楽スタイルは、彼女が後に独自のサウンドを見つけるための準備期間であった。この時期の彼女の経験は、大きな転換点であり、彼女が音楽的なアイデンティティを見つける旅の重要な一章であったといえるだろう。

シュガー・ベイブ 『SONGS』(1975)

日照雨(サンシャワー)

1976年にシュガー・ベイブが解散した後、妙子はフォークやニューミュージック(シティポップの前身)のレコードを専門にリリースするパナム・ レーベル傘下のクラウン・レコードに移籍した。ちなみに、本作はパナム・レコードの最後のオリジナル・アルバムだ。前述したように、同年、彼女は『Grey Skies』をリリースしたが、これは主にシュガー・ベイブのサウンドの延長であり、未使用の曲を多く収録していた。次のアルバムでは、当時日本で人気が出始めていたジャズ・フュージョンのサウンドに重点を置きたいと考えていた。これを達成するために、アルバムにはこのジャンルの主要プレイヤーが何人かフィーチャーされている。そしてアルバムのアレンジャーには新進気鋭のセッションミュージシャン、 坂本龍一が抜擢された。
このアルバムにはベースにハリー細野 (細野晴臣)と 後藤次利が参加している。ギターには鈴木茂、原浩一、大村憲司、渡辺香津美が参加(渡辺香津美の『ユニコーン』は傑作だ)ドラムには林立夫と、東京のローリング・ココナッツ・レビュー でのパフォーマンスを観て知り合ったバンド「スタッフ」のアメリカ人ミュージシャン、クリストファー・パーカーをドラム担当に迎えた。 妙子の昔のバンドメンバーである山下達郎もアルバムのバックボーカルを担当している。
どうやら、当時レコード会社は妙子のプロジェクトや新しい方向性にあまり信頼を寄せていなかったようである。しかし、坂本の助けとサポートを得て、彼女はこのアルバムに全力を尽くし、スティーヴィー・ワンダーやトッド・ラングレンなどのアーティストから影響を受け、 東京の杉並区で育った自身の人生経験と組み合わせ、キャッチーでありながら内省的な曲を作った。本作は1977年7月25日にリリースされ、ファーストアルバムに比べると売上は振るわなかった。しかし、それはこのアルバムがその後数十年にわたってJ-Popの古典として認められることを妨げることはなかった。
本作のエッセンスにはジャズ、ボサノヴァ、そしてフュージョンやAORの要素が取り入れられており、当時の流行とは一線を画す内容だった。また、彼女自身の高度な作曲スキルと独自のボーカルスタイルが、このアルバムを特別なものにしている。また、後述するスティーヴィー・ワンダーに影響を受けて作られた『都会』は大貫妙子の代名詞的な大名曲としても知られているが、本作には当時の時代風刺的な意味合いを多く含んだ歌詞が散見される。
これが後述する大貫妙子が「ロック・ミュージック」である一つの理由なのかもしれない。

逸脱への第一歩

大貫妙子という人物を語るうえで外せない、多くの人が忘れているキーワードがある。それは「ロック」だ。彼女は自分のジャンルを「ロック・ミュージック」としても定義している。彼女の子供時代は「ルールは基本は守るが、型にはめられたくはないという性格」だったと自身で語っている。小学生の低学年の時から、必ず通信簿に「協調性がありません」と書かれてたらしく、そこが根本的な性格だと考えているそうだ。初めて自分で買ったロックのレコードはグランド・ファンク・レイルロードの赤いジャケットの『グランド・ファンク』。ティーンエイジャーの頃からロックを聞いてきた彼女は「ロック」を音楽ジャンルのことではないと言う。彼女曰く、若い頃は、(ロックを)古めかしい言い方をするなら、その定義を反体制・反権力だと思っていたそうだが、自分が自分であることを守り媚びない姿勢がロックだと思っている、とのことだ。ロックの精神さえあれば、ロックとして成り立つ。音楽的面だけで「ロック」は定義づけされない。
余談だが、妙子は今年の4月からJ-WAVEの深夜番組・The Universeの水曜日を担当するようになった。これがなかなか質の高いプログラムになっている。この中で、「70歳にして初フジロック出演。やっと世間は私がロックだと気付いたのね」と発言していたのがすごく私の中ではぐっと来た。そのフジロックでは、パフォーマンス中にトンボが飛んできたことがインターネットで話題になっていたそうだが、「演奏が終わると飛んでいってしまったので、あれは坂本(龍一)さんだったんだと思う」と語っていた。
昨年の高橋ユキヒロ、坂本龍一の逝去を考えると、目元が潤んだ。

くすりをたくさん

[A面]
(A1)Summer Connection:
最も純粋な形のサンシャイン・ポップ。陽気なホーン、グルーヴィーなベース、高揚感のあるストリングスのアレンジメントが特徴の太陽の季節である夏を祝うジャジーで高揚感のあるトラック。この曲はシングルカットではテンポが速くなり、ドラムがより生き生きしている。
(A2)くすりをたくさん: 薬の過剰処方を批判した曲だが、メロウなサンバのビートに乗せて軽く楽観的なフルートが鳴り響く。医療への批判、オーバー・ドーズを想起させるのに、明るく陽気な曲であるため意外性がある。後にシティ・ポップのリバイバルにより、シングルカットされた。
(A3)何もいらない : この曲は不吉なリズムのバイオリンで始まり、その後に重低音のあるビートが続き、周囲の環境を拒絶し、逃げ出したい気持ちを歌ったソウルフルな曲調を演出している。この曲のハイライトは、やはりグルーヴィーなベースラインと上品なスムーズジャズギターソロだろう。
(A4)都会 :都会生活の平凡なサイクルに閉じ込められている閉鎖感や鬱屈さを歌った、さわやかでメランコリックなトラック。本作のキラーチューンだ。素晴らしいシンセサイザー・ソロ、滑らかなサックス、そして幻想的で時折不気味なバックボーカルなどのハイライトをフィーチャーした、もうひとつのメロウでスムーズなジャズアレンジが素晴らしい。この楽曲は都会の中の淋しさや孤独感などを加味した「都会の華やかさ」を否定している。
毎夜浮かれて歩いている若い人々、そういった何ひとつ生産的な事はない、ただ一夜飲み明かすだけのそういったものに対しての批判がある。
(A5)何もいらない :孤独に打ちひしがれることを歌った、悲しくブルージーなジャズバラード。この曲はもともとシュガーベイブのレパートリーの一部で、1976 年の最後のコンサートで歌われた。ジャズの中にあるスロー・ナンバーを意識している楽曲だが、あくまでジャズに「なりきっていない」ところがよりこのナンバーを際立たせていると言える。
[B面]
(B1)Law of Nature :
トッド・ラングレンの『ユートピア』からインスピレーションを受けたソフトロックで、 人間と母なる自然との関係を探求したこの楽曲には当時の妙子の「ナチュラルになって、素顔を見せたい」と思っていた心境がよく現れている。
(B2)誰のために: 名声の欠如による脆弱性と疎外感をテーマにした、ラテン系の影響を受けたもう一つの一曲。
「頑なに守っているものをどこまで押し通せるか」やはり、大貫妙子というアーティストのジャンルは「ロック」で間違えないようである。

「まさしく弱者からの叫びという感じです。地位とか名誉がなければ、本当に世の中は認めてくれないということがありますが、そういったものへの訴えみたいなものがあります。自分のやりたいことを押し通すということはすごく大変なことで、時々逃げ出したくなるけれど、逃げ出したからといって、それで楽になるか満足するかということはわからないし、だから非常に揺れ動いていた時期です。自分の頑なに守っているものをどこまで押し通せるかという事の表われっていうのか、そういった曲です」

大貫妙子「MUSICIAN FILE 大貫妙子徹底研究」『ミュージック・ステディ』第3巻第4号より

(B3)Silent Screamer : この曲も逃避願望がテーマの曲。猛スピードで車を走らせているイメージが強い。妙子によると、当時はかなりエネルギーが溢れていて、少なくとも音楽の中では暴れ回りたかったそうだ。
(B4)Sargasso Sea: 藻が絡んで船が座礁沈没する“魔の海”と呼ばれるサルガッソー海をテーマとした、ユニークな宇宙時代のアンビエント・テーマ 。シンセサイザーと短いピアノのメロディーを独創的に使用することで、未来的でありながら航海的な雰囲気を醸し出している。
(B5)振子の山羊 :坂本龍一作曲の本作のフィナーレはシンフォニックなイントロで始まり、プログレッシブジャズ・ロック・バラードへと移り、妙子のゴーストのようなボーカルが人類の終末と再生を歌う。この曲はファンキーなピアノのブレイクダウンで終わり、壮大でブルージーなギターソロが伴奏し、曲がフェードアウトして最後に聞こえるのは妙子の「山羊はその枝を食べた」というセリフ。

「反都市的」シティ・ポップ

妙子は本作を通じて、自分の音楽のアイデンティティを確立する素晴らしい仕事をした。『Sunshower』は、 プログレッシブポップ、アートロック、ジャズフュージョンを完璧にバランスよく共生させている。各曲は非常にユニークで印象的で、イージーリスニングの領域から外れることなく、さまざまなサウンドを探求する方法でアレンジされている。個人的にアルバムで最も逸脱した曲は『Sargasso Sea』で、サイケデリックな雰囲気のテクノ曲というよりは、瞑想状態になるほど心地よい。キラーチューンである『都会』はその穏やかで陰鬱なメロディーと反大都市の歌詞が組み合わさって、マーヴィン・ゲイのInnercity Bluesに似たリスニング体験を提供しながら、独自のアイデンティティを保っている。これは70年代を代表する本当の傑作だ。
そして驚くべきことに、これは私が今まで聴いた中で最も反都市的なシティ・ポップアルバムだ。ほとんどの曲が、東京(都会)の路上で暮らすことで生じる社会問題を扱っており、薬の過剰服用から鬱、義務的な社会的地位、人間と自然との関係や実存的恐怖といったより重いテーマまでを扱っている。しかし、そのすべてが、ジャジーなピアノ、メロディアスなギターソロ、魅惑的なバックボーカル、サイケデリックなシンセサイザーによる心地よいメロディーに包まれている。それに加えて、妙子の柔らかく無邪気で優美な声は、作品の終点までに彼女がすべての存在の終わりについて歌っていることを本当に忘れさせてくれる。大貫妙子がという一人の人間が東京で育ったこと、そして戦後の好景気が、常に進化する大都市で生き残るための彼女の闘いにどのように影響したかを知ると、すべてが理解できるようになる。『Summer Connection』はアルバムの中で唯一の明るい曲だと私は確信している。歌詞のトーンが変化したにもかかわらず、アルバムはオープニングナンバーで確立された同じさわやかで気まぐれな雰囲気を保っているので、これは決して悪いところではない。

あとがき

『Sunshower』は、数少ない完璧なアルバムの 1 つだと私は確信している。個人的には、次のアルバムである『Mignone(ミニヨン)』の方が聴きやすいと感じるが、このレコードで妙子の創造性が最高潮に達したことは否定できない。一部の曲は万人受けしないかもしれないが、ユニークでジャジーなアレンジや時事的な歌詞など、各曲に語るべき価値があるほどしっかりした作品に仕上がっている。シティ・ポップ、ジャズ、プログレ、アートロックのファンなら、本作は誰のレコードコレクションにも欠かせない1枚だろう。


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