故郷

読書と音楽について飽く無きまでの探究。「一客一亭」の精神で濃厚な記事をお届けします。 …

故郷

読書と音楽について飽く無きまでの探究。「一客一亭」の精神で濃厚な記事をお届けします。 トウキョウという真実と嘘の入り混じる不思議な都市に住んでいます。

マガジン

  • どこよりも濃厚なジャパニーズ・シティ・ポップ

    1970年から1990年までのシティ・ポップを中心とした和モノを深く掘り下げるマガジン。「一客一亭」の精神でどこよりも濃厚な記事をお届けします。

最近の記事

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自己紹介 / 一客一亭

今日から趣味の寄り道としてnoteを始めました。 言葉足らずで未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします。 ひとまず、私のことを知ってもらうために、自己紹介をさせてください。 私の名前は故郷(Heimatstadt)です。 名乗る名前が全く見つからず、適当につけたので深い意味はありません。 好きなように認識していただければ嬉しい限りです。 東京 私はトウキョウという日本の首都で暮らしています。 ここは夏は非常に暑いエリアで、ビルと虚実に溢れた都市です。 私が関心のある分野

    • 大瀧詠一 『A LONG VACATION』 (1981)

      ━━━━ビター・スウィートで夏の温かな風が目に浮かんだ。 私事ではあるが、私の友人・リアムが亡くなってから今日で2年が経つ。 彼は格好つけるわけでもなく、時代に争うかのように古びた祖父のカセットプレーヤーでいつも音楽を聴いていた。もともとハーフの生まれの彼は亡くなる一年前にアメリカに戻り、葬式に行くことも叶わなかった。謙虚で、とても気高い志を持っていて、ビーチとサーフィンを愛した男だった。 そんな彼が好きだった作品を本日は紹介させてほしい。 長い旅になるが、最後まで読んでいた

      • 竹内まりや 『Miss M』 (1980)

        好評につき、『Variety』のレヴューに次ぐ竹内まりや第二弾。 もしあなたがシティ・ポップを初めて知ったのなら、それはおそらく「竹内まりや」の影響によるものであり、特に彼女の1985年のヒット・シングル『プラスティック・ラブ』が、そのジャンルで最も象徴的な曲であろう。『プラスティック・ラブ』は多くの人に愛されているが、彼女の音楽カタログは、一般に知られているよりもはるかに多様であることがわかっている。竹内まりやの4枚目のスタジオアルバム『Miss M』は、その良い例である。

        • 竹内まりや 『VARIETY』 (1984)

          ━━2024年9月19日、世界のシティ・ポップ史を揺るがす事変が起きた。 そう、竹内まりやが11年ぶりに全国アリーナツアー『SOUVENIR 2025』を開催することが決定したのだ。シティ・ポップの女王を初めて聞いたのは、8歳の頃、約9年前のことである。本格的に聞き始めた頃には、彼女は実家の旅館を次いで、歌手活動も本格的なものではなくなっていた。 もう二度とライヴをやらないのではないか、彼女の生の歌声や彼女の姿を拝むことは一生かけてもできないのではないか、と思っていた。 竹内

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        • どこよりも濃厚なジャパニーズ・シティ・ポップ
          10本

        記事

          松下誠 『FIRST LIGHT』 (1981)

          シティ・ポップ、特に日本のAORミュージックは、モータウン・サウンド、フィル・スペクターの影響を受けたチェンバー・ポップ、そしてザ・ライトゥス・ブラザーズ、キャロル・キング、カーペンターズといったシンガー・ソングライターのアダルト・コンテンポラリー・ミュージックなど、60年代ポップを構成するさまざまなジャンルからインスピレーションを得ている。しかし、私が耳にする最も顕著な影響は、有名なジャズ・ロック・フュージョン・バンド、スティーリー・ダンである。ウォルター・ベッカー(ギター

          松下誠 『FIRST LIGHT』 (1981)

          東北新幹線 『THRU TRAFFIC』 (1982)

          このアルバムの物語は、 東北新幹線━━━いや、路線ではなく… NARUMIN(鳴海寛)とETSU(山川恵津子)からなるシンガー・ソングライター・デュオ、NARUMI&ETSUから始まる。2人ともクラシック音楽をルーツに持つが、山川が60年代のグループサウンズやウェスタンポップスから影響を受け始めるのに対し、鳴海はソフトロック、R&B、ボサノヴァの領域に踏み込んでいく。ジャパニーズ・シティポップの必読ガイド本「Light Mellow 和モノ669」掲載後、その驚愕の内容とレア

          東北新幹線 『THRU TRAFFIC』 (1982)

          トウキョウがこんなにも涼しいのはいつぶりだろう。高速を駆け抜ける車のエンジン、10分後には雨が降りそうな九月の曇り空と少しだけ明るく見える信号機。頬を掠める風が心地いい。 夏に苦しむ私たちへのギフトなのだろうか。

          トウキョウがこんなにも涼しいのはいつぶりだろう。高速を駆け抜ける車のエンジン、10分後には雨が降りそうな九月の曇り空と少しだけ明るく見える信号機。頬を掠める風が心地いい。 夏に苦しむ私たちへのギフトなのだろうか。

          亜蘭知子 『浮遊空間』 (1983)

          ━━━「ボーダーラインを引くのはあなた 私は浮遊空間を飛翔する!」 青い鏡の空間でピンクのサテン・トップスを見た女性が一人。 夜行性で風変わり、そして都会的なヴァイブスとメロディアスなボーカル。 近年のシティ・ポップリバイバルで発掘されて彼女の名前は「亜蘭知子」。 本作は80年代のタイムカプセルのようにも感じられ、同時に限界を押し広げる作品で、ニューウェーブ、ディスコ、テクノの要素を各曲に融合させ、アランの豊かで官能的な歌声によってその魅力が引き立てられている。 本日はそんな

          亜蘭知子 『浮遊空間』 (1983)

          大貫妙子 『MIGNONNE』 (1978)

          前々回の『SUNSHOWER』の評価が良かったので、大貫妙子第二弾。 大貫妙子は、70年代日本のシティ・ポップ、ニューミュージック・シーンの元祖の一人として知られている。 ━━━しかし、一時は音楽業界から足を洗いかけた時期もあった。何が彼女を挫折させ、キャリアを断念させたのだろうか? それは、1978年の3rdアルバム『MIGNONNE』の制作から始まった。 移籍以前は、「都会」や「誰のために」など現在の格差社会を予見したような社会性の強い作品だったが、本作は、日本女性の特徴

          大貫妙子 『MIGNONNE』 (1978)

          杏里 『Timely!!』 (1983)

          2020年の5月のことである。 Apple music,Spotifyなどのサブスクリプション大手は杏里の芸名で知られる日本のポップ・シンガーソングライター、川嶋永子のディスコグラフィ(78年から97年まで)を海を超えたリスナーに公開した。現時点で杏里は40枚以上のアルバムをリリースしているが、 シティ・ポップのリバイバルブームによって彼女の名前を世界に広めた最大の要因は、間違いなく1983年の大作『Timely!!』である。 本記事ではシティ・ポップの代名詞である彼女の大作

          杏里 『Timely!!』 (1983)

          大貫妙子 『SUNSHOWER』 (1977)

          日本のシティ・ポップ初期を代表するシンガー、大貫妙子。 ター坊という愛称を持つ彼女はシュガー・ベイブのメンバーとしても知られている。シュガー・ベイブが70年代の日本の音楽シーンを振り返るうえで非常に重要なのは、山下達郎だけでなく大貫妙子というシンガーソングライターを輩出したことだろう。80年代以降は坂本龍一と組んでヨーロピアンな世界の作品でブレイクしたが、70年代はいわゆる転換期のようなものだった。シュガー・ベイブの延長だった1976年のソロ・デビュー作『Grey Skies

          大貫妙子 『SUNSHOWER』 (1977)

          幻のフィメールシンガー・間宮貴子  『LOVE TRIP』 (1982)

          消えた幻のフィメールシンガー、間宮貴子。 彼女に関しての情報はインターネット上には殆ど残っておらず、 私たちにわかるのはワン・アンド・オンリーの名盤「LOVE TRIP」のリリース後、音楽業界から姿を消したこと。本記事では、間宮貴子についてわかることを深く掘り下げながら、アルバムを読み解いていく。 長くなるが、ぜひお付き合いただきたい。 幻のフィメール・シンガー 良い音楽は時代や文化の境界を越えるものだ、と私は信じている。それは特に日本のシティ・ポップについて語るときに当

          幻のフィメールシンガー・間宮貴子  『LOVE TRIP』 (1982)