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自己紹介 / 一客一亭

今日から趣味の寄り道としてnoteを始めました。
言葉足らずで未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします。

ひとまず、私のことを知ってもらうために、自己紹介をさせてください。
私の名前は故郷(Heimatstadt)です。
名乗る名前が全く見つからず、適当につけたので深い意味はありません。
好きなように認識していただければ嬉しい限りです。



東京

私はトウキョウという日本の首都で暮らしています。
ここは夏は非常に暑いエリアで、ビルと虚実に溢れた都市です。
私が関心のある分野は、音楽、特にジャズやブラックミュージック、アンビエント・ポップなど、文学では哲学や宗教、言語・古典文学。
最近は漢詩の五言古詩「悼亡詩」を研究しています。
これらのジャンルを中心に記事を書いていこうと思っています。
作家は松本清張とアルベール・カミュがお気に入り。
映画に関しては、フェデリコ・フェリーニとビクトル・エリセ、イングマール・ベルイマンが自分の思想に大きな影響を与えました。
また、海外古典文学に触発され、ドイツ語・イスパニア語を勉強中です。
音楽も文学も様々なジャンルを漁っているので、記事を書く中で自分の好きなアーティストなどを紹介していけたらと思います。

「一客一亭」

いっきゃく‐いってい【一客一亭】〘 名詞 〙
ただ一人を客として催す茶事。亭主は、給士をしながら、自分も客とともに食べ、茶を手前(てまえ)をしながら相伴する。主客ともに茶事の巧者であることを要する。一亭一客。〔貞要集(1710)〕

精選版 日本国語大辞典 「一客一亭」

タイトルにある言葉は何なのか…疑問に思った方もいるでしょう。
この言葉は私の執筆活動においての一つの美学です。
この四字熟語は、もともと中国の古典文学や詩に由来しています。元々は、各客人に対して専用のもてなしの場を提供するという意味合いから、個別の対応や心配りの大切さを意味していました。
「一客一亭」の精神で、皆さんをお迎えさせてください。
音楽や文学のさまざまな側面を丁寧に探求し、皆さんと共にその魅力を一緒に楽しんでいけるよう、心を込めて記事をお届けいたします。

「言葉」

私にとって音楽や文学は、自分自身の内側や考えを言葉にするための手段です。現代社会では「感動」を感嘆詞や身振りで表現する人が増え、私たちは「言葉をなくしている」ように感じます。もちろんそれが悪いわけではなく、「感動」に触れる機会があり、素直に自分の感化された感情を言語化できるのははとても素晴らしいことだと思います。でも、私たち人間がその言語化する力を気づかぬうちにに失っているとしたら?
ただ、私は言葉がなくなっていく中で、自分の周りのささやかな「感動」を言葉にできなくなるのが無意識的に怖いのです。
だから私はこの場で自分の感動したことを言葉にしたい。
他者と言葉を使って対話(ダイアローグ)をしたい。
音楽や映画が与えてくれる豊かさ、文学が示す内省の深さに触れながら、言語を超えた他者との対話の中で、なくしてしまった言葉を拾い集めて行けたらと考えています。

”言葉が足りなくなると、私の手は自然に本に伸びる。最近は「言葉が足りない」という感覚がますます頻繁に私を襲う。日々がより豊かになっているのか、それとも日々を描写する力のある言葉が日々から洗い流されてしまうのか。おそらく後者だろう。人が使う言葉の数がどんどん減っていて 
━━感嘆詞と身振りばかりが多用される。”

アンドレイ・クルコフ『ウクライナ日記 - 国民的作家が綴った祖国激動の155日』より抜粋 

今後は、好きな書籍やアルバムの紹介(和モノに偏るかもしれない)、エッセイなどを描いていこうと思っています。音楽への愛情を力に、どこよりも濃厚な記事をここで書けたら、誰かの生活にささやかな知識とユーモアを添えることができればと考えています。まだまだ未熟で言葉足らずの文弱ですが、優しい眼差しで見守ってもらえたら幸いです。

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