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手段化しないランニング

2008年に本格的にランニングを始めてずっと続けているが、「健康のためですか?」と尋ねられることも多い。

日経新聞には「ランナーのホンネ」という記事が不定期で掲載される。
書いているのは吉田誠一さんという元記者のランナーだ。
2022年11月29日の記事
吉田さんは大学入学直後に「「もう、◯◯のために△△をするのはやめよう」と決めた」とある。
ランニングをやる理由もよく聞かれるが、答えに窮するそうだ。
「人はどういうわけか、目的を探し、理由探しをしたがっている。目的、理由のない行為には意味がないとでもいうかのごとく・・・(後略)」

まったく同感だ。
でも、共感できるようになったのはほんの最近のことのように思う。

それまでは私も行動の目的、理由にこだわっていた人間だ。
会社員時代は人事総務の責任者をやっていたので、常に「なぜか」を社員に語っていた。背景・目的を伝えることはマネジメントの基本中の基本だ。
組織の中では自分の仕事を意味を見失う人も多い。そんなとき、経営理念とか中期経営計画とか、いわゆる上位概念・計画を持ち出して、きみの仕事はこんなところにつながっているんだよ、と説明する。どこまで説得力があったかは疑問だが。

そんな私の考えを変えたひとつのきっかけは「限りある時間の使い方」という本だ。
これはこれまでにないタイムマネジメントの本で、効率化や生産性といった時間をコントロールするという考え方の対極にあることが書かれている。どれだけ効率を高めても、仕事は減ることはなく、逆にどんどん増えてくる。これは私が会社で働いたときの肌感覚と同じだ。
第9章には余暇についての話が出てくる。人々は余暇の言い訳を探しているという。たしかによく考えてみると、生産性を高めるためにしっかり休みを取るとか、なんか変じゃないか。アリストテレスの時代は、余暇があらゆる美徳の中で最高のものと考えられていた。それが現代では休暇でさえも仕事の「手段」になりさがっている。休暇の「目的」は仕事ということか?

「なぜ走るのか」という質問に対して、「自分の成長を感じられるから」と私は答えている。

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