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【おとなの文章表現 #001】書かない。

かつて文章術を書きたいと考えていました。
自分のノウハウをまとめることに意義があると考えたからです。

誰かの役に立つかもしれない。
なんなら稼げるかも?

けれども最近、こんな風に考えます。

うわっつらの術(テクニック)ではなく、
もっと大切なことがありそうだ。

誰かを振り向かせるためだけに書く文章は、子どもっぽい。自分にとって書くことは、考えを拡げる&深めるためにあります。そして、よりよく生きるために書き続けたい。

そんな観点から、おとなの文章表現について考えはじめました。1,000文字以内で100個。10万字をめざして書こうと思っています。

第1回。はじまりのコラムは「書かない」。

「何をするかより、何をしないかが大切だ」
そんな名言を残したのはスティーブ・ジョブズですが、文章表現にも言えそうです。

シンプルな表現は伝わりやすい。
余計な言葉を書かないことが大切です。

あるいは、初心に戻ってみること。
はじめてSNSに投稿するとき「こんなこと書いちゃっていいのだろうか、大丈夫なのか?」と投稿をためらったのでは。

ところが書いたものが評価されて慣れてしまうと、勢いあまって余計なことを書きはじめます。正義のヒーロー気取りで世の中を糾弾しはじめる。やがて誹謗中傷に至る。

自分自身も文章を「公開」して「後悔」した経験がたくさんあります。書ける人間であればこそ、書かない選択は重要です。

さらにいえば、書かない練習によって文章力を鍛えることもできます。

読書にしても映画鑑賞にしても「感動した!」「泣けた!」「笑った!」と言いたくなります。こうした表現はストレートでよいけれど、どこか子どもっぽい。ボキャブラリーが足りない。表現力に乏しい。

そこで「感動した!」を封じてしまう。
禁句にした上で、その作品がいかに素晴らしいかを書く。ひとことも感動を書いていないのに、そのレビューを読んだ誰かが思わず書店や映画館に走り出すように。

なかなか、そういう文章は書けません。
「号泣した!」と書いちゃいますね。

しかし、ほんとうにうまい文章とは
「佇まいで泣かせる文章」だと考えます。

言いたいことの中心、核になる言葉は使わない。
周辺の言葉をていねいに紡いでいく。

泣かせるぞという思惑がちっとも感じないにも関わらず、いつのまにか涙が出てくる。そんな文章は素敵です。

そういう文章が書けるようになりたいものです。

2024.8.10 Bw


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