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旧甲州街道ウォーク㉟ 金沢宿→上諏訪宿

こんにちは、ばーどです。
2024年11月3日(日)~4日(月祝)。
前の区間に続いて、今度も12km以上。
途中の“間の宿”で1泊して、進みます。



1.金沢の一里塚

御柱祭が描かれた「諏訪湖流域」マンホール
国道20号から左に分岐する小道へ入る
旧街道の風景

宮川沿いに農地が広がる中を一本の道がまっすぐ延びています。
宿場町がここにあったとは、想像しがたいですが、かつての青柳宿が確かにありました。川の氾濫や大火を受け、高台の金沢宿に移設されています。

宿場町だった痕跡 枡形跡を左前方へ
農具や肥料の保管庫だろうか

NOVAのマネキンディスプレイや、東急リネンサービスのリネンを運んだコンテナが、ここで第2の人生を過ごしてます。

稲藁を乾燥させる“藁立て”
茅野市は寒天の里

京で生まれた寒天の製法を、茅野出身の行商人が故郷に伝えたのが始まりだという。清らかな水と冬の寒さがマッチして、全国の寒天のほとんどが、この地方で作られています。

特急あずさ 「寒天」看板はJRから見える向きに
T字路にぶつかる

かつては直進していたらしいが、宮川の流路が変わって旧道は失われています。上諏訪宿に向かうには、右折し国道を経由する迂回路を辿ることになりますが、寄りたいところがあるので、反対に左折しました。

“大人の旅籠” 寄りたいところはここではない
“旅籠”の手前に「一里塚・稚児塚→」のサイン
駐車場と川沿いの崖っ淵の間の細道
「稚児塚↑」 一里塚は矢印が消えた?
稚児塚

陸奥へ赴く高位の役人の幼子がこの地で亡くなり、塚と社を建てて弔ったとのこと。
ただ、本当に寄りたいのは「金沢の一里塚跡」で、近くにあるらしいが道はなく(川沿いの藪に痕跡はあるが通行不可)、来た道を引き返します。

“大人の旅籠(休業中だった)”の先の角を右折
1つめの角を右折
稚児塚があった森を見ながら進む

夕暮れが近づく中、畦道を進むと、先ほどの稚児塚のある丘の裏側に出ました。

金沢の一里塚跡 江戸から四十九里め
説明板
塚跡の脇を流れる宮川

今の地形では、街道ルートと一里塚は川の反対側。川の流路がここまで変わるとは。

T字路に戻り、国道20号を左折
国道の対岸に立つ一里塚跡の碑と説明板
国道20号を進む

日が傾き、気温も下がってきました。


2.木船・坂室

アルピコ交通 木舟バス停

茅野市コミュニティバスとして、通勤通学用に朝と夕のみ運行しています。

ほがらかな布袋さま
板塀のある民家
古民家
真下をくぐれる火の見櫓
旧街道は右の坂へ通じる
こんな具合にヘアピンカーブで
いったん逆方向に向かう感じだ
コンパクトサイズの火の見櫓
貴船神社 水を祀る
道なりに曲がり中央本線を跨ぐ
新宿・甲府方面
茅野・松本方面

中央本線は、茅野駅の少し先にある信号所までは複線です。

中央本線を跨いで左折
旧甲州街道の道標

中央本線を越える前のヘアピンカーブ。
それほど急な地形でもないのになぜ?、でしたが、本来の旧道は別にありました。

先ほどのから国道から分岐して下に下る脇道
かつて踏切だったであろう場所につながる

これが旧道だったと思われます。

宮澤橋
宮川沿いに続く
川の護岸工事 重機用の道が刈入れ後の田圃に

宮川は、南アルプス最北端の入笠山や、八ヶ岳から流れ出た支流が集まり、諏訪湖に注ぐ川。諏訪大社上社の御柱は宮川を川越しして清められるといいます。

中央本線の普通列車
歩行者専用の橋 ここは渡らない
県道との交差点を左折
県道の反対側は蓼科方面に続いている
中央本線をガードでくぐる
中央本線沿いに進む
国道20号に合流 右折
石仏石塔群
建倉橋
弓振川 御射山祭の弓はこの川で清める
古民家と柿の木
板室集落
西の空が赤く染まり始めた
中央高速道の下を通過

甲府柳町宿から韮崎宿に向かう途中、下今井集落で交差して以来の出会い。
この先は諏訪湖を挟んで南北に別れるので、ここが最後のポイントになります。


3.茅野の一里塚

右の築堤の上を走るのは、中央本線。
鉄道建設で街道の痕跡の一部が消滅してますが、各地で見られる残念な事象です。

旧道は右の空地から築堤の方向に

よく神社や寺は街道に面して建てられますが、三山大権現も旧道沿いの高い位置にあります。今歩いている国道には、ちょうど真下に、説明板が立てられています。

三山社 説明板
社のある場所を見上げる
夕焼けの街道

普段働く事務所はビル街の低層階で、小さな窓から外を眺めることはしないです。なので、街道ウォークを始めてから、夕焼けを見続けられることに感動を覚えています。今日は西に向かうので、しばらく夕日に向かい歩き続けました。

一里塚のイラスト これはもしや…
すぐ先の角を右に入る、
茅野の一里塚跡 江戸から五十里目
説明書

一里塚がある、すなわち目の前の細道がまさしく旧甲州街道。消滅していると言われた区間の一部が残ってました。
嬉しくなって、逆方向に行けるところまで行ってみます。

逆方向(江戸方)に向かう
途中から未舗装に
先ほど見上げた三山社まで続いていた

三山社の祠や石碑が立つ場所で、道は途切れていました。旧道を折り返します。

折り返しの旧道 夕日がさらに傾いている
 国道に合流 右へ
宮川交差点の五差路を渡る
渡ってから右の道へ
旧街道のマジックアワー
バス通りに斜めに合流
三輪神社 四方を御柱が守る
寒天蔵

とっぷりと日が暮れ、時刻は17時15分。
茅野は、金沢宿と上諏訪宿のほぼ中間にあたり、間の宿として栄えた町です。
今日の旅籠はここから街道を外れて5分ほどの場所なので、ここを中断地点にします。


4.茅野

11/4(月祝)、快晴。
今日は、上諏訪宿までの残りとその先のゴールの下諏訪宿までで、合計約12km。
ゆっくりスタートなのは、距離が短いからと、朝7時で気温8℃と寒すぎたから。

ホテルの部屋から上諏訪・下諏訪方面を望む
お世話になったホテル
ホテルの目の前 茅野郵便局

茅野市は人口5.6万人。温泉のある諏訪市や精密機械企業がある岡谷市が、減少しているのに対し、茅野市は微増しています。
八ヶ岳や車山高原を含む市域が広く、裾野で宅地開発が進んでいるのでしょう。
ちなみに、日本一標高が高い市役所は、茅野市役所です(801m)。

昨日の中断地点 三輪神社
本日の道中安全祈願はここで
三輪神社の一之御柱と二之御柱

御柱は、諏訪大社の7年に一回の勇壮な祭で有名ですが、諏訪信仰による他の社にも立てられていること、初めて知りました。

すぐ裏にある鈿女(おかめ)神社にも御柱
小さなお堂にも御柱が
昨夜はライトアップされていた寒天蔵
岡谷の養蚕用の繭蔵を移築したそうだ
周辺地図

8:20 甲州街道ウォークの再開です。

信州味噌醸造 丸井伊藤商店
米屋金物店 「米屋」は屋号ですね
間の宿 茅野
気温11℃ ようやく2桁に
麻屋荒物店跡の碑
上川橋交差点 左は諏訪大社前宮へ続く
諏訪神社参拝道の碑
上川橋を渡る
上川の流れ

川幅はそれほどでもないのに、水量が多く音を立てて流れています。

街路樹の色づきがあざやか
茅野駅前交差点
長野県の地銀 八十二銀行
文具のやじま 現代建築と蔵が並ぶ
湖魚川魚 湖のある町ならではの看板
諏訪大社上社大鳥居

諏訪大社の上社(本宮と前宮の二社)は、諏訪湖の南西にあり、茅野駅の南側にあるこの鳥居が参道口になります。

茅野駅前郵便局
Y字路 左へ進む
丸井伊藤商店の本店 信州みそと野沢菜
旧街道の風景

旧街道は、上川や宮川が作る低地ではなく、北側の段丘上に延びています。

南側の低地を望む
段丘の境は急な傾斜地だ
上原交差点 国道20号に合流
除雪機械格納庫 間もなくシーズンイン
円形のコインランドリー WIFIも完備
街道の曲線美
信州りんご
赤く色づいて食べごろのようだ

6月に日本橋を出発した甲州街道ウォーク、果物の畑を見ながら進んできました。
都内の府中宿や日野宿では多摩川梨が小さな実をつけ、甲府盆地では収穫が終わった桃畑、旬を迎えたブドウ園を見ながら進み、民家の軒先にはいたるところで柿が実り、そして長野県に入って信州りんご。
目で季節を感じ、旅を楽しんでいます。

上原八幡宮
鍛冶小路の標柱

街道と交差する道に、○○小路という名付けられて、標石がいくつかありました。

葛井神社の参道
諏訪湖から流れてきた湖霧

朝の冷え込みと、その後の晴天による気温上昇による、現象です。さらにいくつかの条件が重なると、雲海のような風景が見られるそうです。いつか見てみたい。


5.大門追分

江戸時代ではなく大正時代の高札
郵便局の案内がある角を右折
甲州街道は渋沢小路に入る
茅野上原郵便局
中央本線をガードでくぐる
道なりに左へカーブしながら上る
Y字路に合流 左へ

住宅街の中のこのY字分岐が、大門追分と呼ばれる場所です。

大門追分の道標

諏訪側から見て、これまで上ってきた道(=甲州街道)の方向には「江戸道」、もう一方の道には「大門道」と刻まれています。大門という地名は蓼科高原の先にあるので、そこまで続くのでしょうか。

「右 江戸道」と彫られている
信州りんご
白菜
火燈(ひとぼし)公園
諏訪大社に向けかがり火を灯したことに由来
住宅街の中にある温泉設備
山側の急斜面に立つ蔵造の民家
神の木神社 参道は鳥居の向こうから
神戸の一里塚跡 江戸から五十一里め
説明板
正面の木が塚木のように見える
諏訪市循環バス 一里塚バス停

バス停を見て気が付きましたが、いつの間にか諏訪市に。大門追分を過ぎてすぐ市境で、火燈公園はもう諏訪市内でした。


6.足長神社

旧街道は、国道20号や中央本線が走る平地ではなく、山裾の高台を辿ります。
かつての諏訪湖は面積が今の倍近くあり、その氾濫を避けるためだったのでしょう。
今も街道沿いには集落の家々が続きますが、少し間が空いている所では盆地の風景を眺めることができます。

アスリートFA社 工業機械製造
常夜灯と石碑と火の見櫓
常夜灯の穴から向こうの風景が覗ける
旧街道の風景
ここの常夜灯はゴミ回収場に 残念な風景
気温が上がって湖霧が少なくなってきた
山裾の道 左右の高低差がよくわかる
桑原城下バス停
桑原城は街道右側の山上にあった

諏訪大社の神官の流れをくむ諏訪氏は、武田信玄に攻められ、この桑原城で捕えられて、一度は断絶。武田氏滅亡後に復活し、諏訪高島藩として幕末まで残っています。

霧ヶ峰高原に続く道と交差
足長神社

諏訪大社の祭神に遣える足長彦神を祭る神社。西暦810年前後に社殿が造営されたというから、1200年以上の歴史ですね。
ちなみに手長神社は、この先の下桑原(上諏訪宿)にあります。

普門寺温泉 地元住民のみ利用できる
山の色づき

上諏訪宿が近くなり、山裾から平地に下りてきました。

T字路を右に曲がる
中央本線 ここでは単線区間になっていた
街道の風景
旧道○○というバス停がしばらく続く
細武温泉共同浴場 ここも地元住民だけ
山梨のハッピードリンクショップが長野にも進出
飛び出し坊や 琵琶湖畔から諏訪湖畔に進出か
国道20号に合流 右へ
階段を下りて国道下の細道へ
旧街道の風景
再び国道に合流

7.<第四十五番>上諏訪宿

上諏訪宿は、諏訪大社の門前町と高島藩の城下町として栄え、江戸初期からは温泉地としても知られていました。街道沿いには酒蔵が今も残るなど、古い街並みも楽しめそうです。

ワラ製品 丸二河西本店
染一染物店 江戸時代の創業
かねさ呉服店 曲尺記号にサの字
信州の高原はちみつ 山田養蜂場

街道沿いにある諏訪五蔵と言われる酒蔵。その一つ、高島藩御用酒屋を勤めた宮坂醸造が、まず登場。

諏訪五蔵 ①宮坂酒造 銘酒真澄
宮坂醸造 蔵元ショップ

1662年の創業。味噌も製造してましたが、分離して神州一味噌になっています。昔はよくCM で見た記憶が…。

上諏訪宿の江戸口

宮坂醸造の目の前の江戸口で、街道が二路に分岐。国道20号を直進するルートと、そのすぐ北側を通る道と、資料によってはどちらも甲州街道と記載があります。
どちらも興味深いし時間もあるので、両方辿って上諏訪宿を堪能してみます。

分岐の間にある十王堂跡碑
まず北側の道を進む
角間川を渡る
川底の凹凸は急な流れを緩めるため
味噌甘酒製造 佐寿屋商店
家康の六男の墓がある貞松院

なぜここに?と思いましたが、父家康の怒りに触れて高島藩下に幽閉されたという、嬉しくない背景があるそうです。
上諏訪宿には他に、平安時代の歌人・和泉式部や、“奥の細道”で芭蕉に同行した河合曽良の墓がありますが、この二人は諏訪の出身と言われています。

諏訪五蔵の一つ 本金酒造の醸造所

甲州街道につながる横道にも、足を踏み入れました。

本金酒造の醸造所
元呉服屋のカクセン 今は学生服を扱う
手長神社 足長神社から分家したらしい
湖魚川魚 小林川魚店
諏訪郵便局 甲州街道沿い最後の郵便局

諏訪郵便局のすぐ先で、もう一方の甲州街道と合流するので、ここで引き返します。

江戸口に戻り国道20号をたどる
角間川を渡る
コンビニで今日の昼食
肥料飼料 茶屋小口商店
伊藤酒造の創業者のコレクションを展示
諏訪五蔵 ②伊藤酒造 清酒横笛
諏訪五蔵 ③酒ぬのや本金酒造 1756年創業

伊東酒造と本金酒造(向い合せ)のすぐ先に、鍵の手交差点があります。
その名の通り、鍵の手状の枡形の形が残されているのが、よくわかります。

鍵之手交差点
枡形の跡を残す曲線
諏訪五蔵 ④麗人酒造 1789年創業
麗人の隣にある扇屋呉服店
諏訪五蔵 ⑤舞姫酒造 1894年創業
舞姫酒造の蔵 歴史を感じさせる美しさだ

甲州街道沿いの500mほどの区域に、歴史ある酒蔵が軒を連ねる諏訪五蔵。
五蔵ともに霧ヶ峰高原の伏流水を使用しており、ライバルでありながらも協力し合い、共通呑み歩きチケットを販売するなど、町おこしにも一役を担っています。いい取り組みですね。

丸多田中屋 旧家を活用した甘味処
信州諏訪味噌工業協同組合
諏訪信用金庫 上諏訪支店
上諏訪町道路元票
小平本陣跡は駐車場に 11:15
江戸時代の温泉 精進湯跡お手湯
カットハウス髪すわ
諏訪1丁目交差点を右折

曲がらず直進すると、中央本線上諏訪駅。

1つめの角で、北側のルートが合流
石碑と工事看板

上諏訪宿の西口まで来ました。

金沢宿→上諏訪宿
 距離 12.9km
 所要 (1日め)1時間40分+(2日め)2時間00分=計3時間40分(休憩除く)

次はいよいよ中山道と合流する、甲州街道の終点、下諏訪宿です。

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