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旧甲州街道ウォーク㉝ 教来石宿→蔦木宿

こんにちは、ばーどです。
2024年11月3日(日)。
長かった山梨県をようやく脱出、長野県に入ります。



0.スタート地点まで

前回の旅から2週間。再び1泊2日の旅で、終着、下諏訪宿を目指します。

立川駅から特急あずさに乗車
韮崎駅で下車 八ヶ岳が見える
平和観音が立つ七里岩の南端
山梨交通のバスに乗り込む
2週間前に歩いた徳島堰はあの山の麓
釜無川を渡る
南アルプス おそらく甲斐駒ヶ岳

11月2日~4日の3連休を利用し、当初2日発で計画したが、2週間前)予報で荒れ模様なので、翌週9日発にずらしました。
ところが予報が変わって、2日は大雨だけど3日から晴れそうとなり、少しでも日没遅いほうがいいと、3日発に再度変更して決行。
ホテルの取り直しで手数料もかかったけど、結果から言えば大正解でした。

下教来石下バス停 9:25着

1.鳳来山口関

教来石は下と上に分かれ(明治初期までは別の村)、宿場町は下のほうになります。

下教来石
街道の高台から見下ろす田圃
諏訪神社 本日の道中無事祈願

2週間前の中断地点に到着、いざ出発!

明治天皇御田植御通覧之址

巡幸の際にここから下の田圃の田植え風景をご覧になった、という碑。

街道のカーブ
加久保沢を渡る ここから上教来石
上教来石は宿場町の“加宿”の役割だったらしい
御膳水跡

この沢の水を飲み、美味いと誉めてます。
休憩したり、田植えを見たり、水を飲んだりと、明治天皇の巡幸は各地に無数の足跡を残していますね。
それまで、庶民の生活に現れることが無かった天皇ですから、住民の衝撃度が強かったことが伝わってきます。

通学用の市民バスが平日に2往復運行
国道20号に合流 右へ
山梨ロマン街道
地蔵菩薩と石仏群
右の脇道へ進む
なまこ壁の蔵が残る民家
瓦に刻まれた鍾馗様
山口スクールバス停 市民バスの起終点
家紋ではなく苗字?

この辺りにあったとされる、山口の一里塚(江戸から四十五里目)は、その詳細の場所が不明です。
一方、24カ所の甲州口留番所のひとつ、山口の関跡と、幕府が設けた西番所の跡は、向い合せに碑が建てられていました。

左 西番所  右 山口の関
鳳来山口関跡碑
説明板

武田信玄が甲斐国と隣国との境に設けた口留番所。ここは信濃国との国境に近く、重要な場所でもありました。

西番所跡碑

甲州街道における山梨県(甲斐国)の最北端まで来ました。


2.国界橋

稲刈り跡の田圃 背後の丘の木々も色づく
稲架掛け(はさがけ)
これは鳥よりも人間が驚くぞ
旧街道は国道20号を斜めに横断する
国道を左に向くと「山梨県北杜市」表示
右は釜無川(富士川)を渡る新国界橋

国界橋の名の通り、甲斐信濃の国境の橋。

橋の対岸には「長野県富士見町」表示

この写真を撮りたくて、国道の新国界橋を半分まで来ましたが、旧道ではないので引き返し、本来のルートで国境を越えます。

国道を渡って旧道を進む
何だろう?
途中からは未舗装に まるで落葉の絨毯
右側に現れた国界橋
橋の中央が山梨・長野県境
前日の豪雨の影響で濁流だ
害獣除けの電流ネットを通過する
国道20号を左へ

すでに甲州街道を歩いた人から、この先金沢宿までは、店もトイレもないとの情報。パンと飲み物は調達済みですが、トイレは調達できないので、ここから街道を離れて国道を500mほど進み、「道の駅 信州蔦木宿」に寄りました。

道の駅信州蔦木宿 「新そば祭り」の日だった

3.真福寺

横断して反対側の坂を上がる
日蓮上人の高座石 説明板

岩の写真は撮り忘れましたが、民家の庭先にある石です。
弘法大師や日蓮上人にまつわる史跡伝承は、日本中あちこちにありますね。

石仏群 摩耗や白化が激しい
三ツ柳(植樹)
三ツ柳 説明板
キツい上り坂
時代を感じる看板のひとつ
逸見路道標 ブロック囲いの中

解説によれば、「みぎ へみじ にらさきまでむしゅく」とあり、川沿いの甲州街道と、氾濫を避けて七里岩方面を通る逸見路(へみじ)の、追分とされるものです。
逸見路を通ると韮崎までは宿が無いよ、というので、さっき通った三ツ柳のところで思案した、というようですね。 

標高731m まだ上る
崩れてしまった蔵の壁

釜無川を渡って川沿いに蔦木宿へ入るのではなく、丘を上がりながら進みます。
川の氾濫を避けるルート取りでしょう。

Y字を左へ
日蓮宗真福寺 山門
Y字路をまた左へ
街道の風景
応安の古碑

丘を登り切った地点で、旅人が小休止できそうな場所です。私もここで少し休憩。

旧甲州街道 道標
下りながら蔦木宿の街並みが見えてきた

4.<第四十三番>蔦木宿

蔦木宿は、信濃国の最初の宿場です。
最初に整備された甲州街道が甲府までで、その後下諏訪まで延長された際に設けられた宿場の一つ。延長区間は江戸~甲府よりも宿場間の距離が長いですが、国境を挟む教来石宿と蔦木宿の間は5km弱(一里六町)と、平均的な距離です。

蔦木宿 案内表示が雰囲気を醸し出す
小川を渡り宿場内へ
道祖神を左右で守る常夜灯

蔦木宿は、南北両側に設けられた枡形がほぼ原形で残されていました。

南枡形跡 手前から左折→右折
「桝形道路」碑が建てられている
枡形を抜けて国道を右折
曹洞宗三光寺
蔦木簡易郵便局

簡易郵便局の運営は、日本郵便が公共団体や農協等に委託し、ATMの未設置や国際郵便が扱えないなど、一部機能が限定されています。甲州街道では、野田尻宿にもありました。

十五社大明神
上蔦木交差点

最寄りのJR駅は、中央本線の信濃境駅。ここを右折して3kmほど坂を上がった丘の上にあります。

本陣大阪屋跡 11:05

建物は明治期に別の場所に移築され、その後老朽化により取り壊し。
1864年に焼失後に再建された本陣門が、元の場所に残っていました。

本陣門
本陣跡碑
説明板
甲州街道蔦木宿 案内図
蔦木宿の風景

甲州街道では、関野宿(3度)、上野原宿(2度)と複数の火災に見舞われた宿場もありますが、この蔦木宿はなんと6度も火災に遭っています。

消防団詰所と火の見櫓
この蔵は大火を乗り越えたのだろうか
各家には屋号札が掛けられている
北枡形の入口 左折
「枡形道祉」碑
Y字路を右折
さらに突き当りを右折
川除古木の説明板
これがその古木だろうか
国道の手前の細道を左折

蔦木宿の先も、釜無川とその支流(=富士川水系)をさかのぼり、次の金沢宿までの間で天竜川水系との分水嶺を越えます。
宿場間が12km以上と長く、上りもありますが、天気にも恵まれたので、この先も街道ウォークが楽しみです。

教来石宿→蔦木宿
 距離 4.9km
 所要 1時間20分(休憩除く)

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