旧甲州街道ウォーク④ 布田五宿→府中宿
こんにちは、ばーどです。
2024年6月22日(土)。
甲州街道の2日目は、布田五宿から駒木野宿を目指すルート。
まず最初は、武蔵國総社のある宿場まで。
0.スタート地点まで
江戸時代の街道は、様々な理由でルートが変わることがありました。
川の氾濫や土砂崩れ、津波により集落ごと流されるなど、時には命がけの旅路だったようで、のんびり街道ウォークを楽しむのとは大違いです。
上石原宿から先は、自然災害が理由ではないようですが、江戸時代初期には(これから歩くルートより)南側の道が整備されていて、薬師堂で分岐する道が今も残っていました。
前回の中断地点、飛田給薬師堂を7:50にスタート。今日も暑くなりそうです。
1.染屋
全国に広がる諏訪信仰の総本社は、甲州街道の終点、諏訪大社。繋がりますね。
調布(てづくりぬの)を染めていたので、この地名になったとあります。
(ここは府中市ですが)手前の調布市の地名の由来も、布織り技術を習得した民衆が、多摩川で晒した織物を朝廷に「調」として貢いだことから、調布の地名を賜ったそうで、関連あるのでしょう。
蔵があるということは、街道沿いで物資の流通が盛んだったことを、意味しています。現代の民家にも残されていることは、すばらしいですね。
ここが、旧甲州街道ウォークで初めての踏切。
位置的にも、京王鉄道かJR中央線だと思ってましたが、まさかの西武鉄道。
多摩川線はほかの西武鉄道線とは接続しない路線で、甲州街道と交差していたとは、気づきませんでした。
2.常久の一里塚跡
街道沿いに立つ一里塚の痕跡を辿るのが、楽しみの一つですが、時代によりルートが異なる区間では、離れた場所に立っていることがあります。
江戸から七里めにあたる「常久の一里塚」跡は、飛田給薬師堂で分かれた古甲州街道にあるため、いったん今のルートを離れて訪ねます。
「しながわ道一里塚」の標示。
調べてみると、品川道は、東海道の品川宿から多摩川の北側を通り、府中宿まで通じていた道で、この付近では古甲州街道と重複していたようです。
再び江戸中期以降の甲州街道に戻り、府中宿に向かいます。
左から来た道が、古甲州街道とも重なる品川道で、ここで合流です。
東府中駅で本線から分岐し、日本ダービーが開催される東京競馬場のある府中競馬正門前駅までの、0.9kmの短い支線。
今日は開催日ではないので、電車の本数も少ないようでした。
3.<第九番>府中宿
府中宿は、武蔵国の国府や総社があり、甲州街道と品川道や鎌倉街道が通り、多摩の生糸商品の集散地としても栄えました。今もところどころ古い家並みが残されているのは、素晴らしいです。
宿場町は(江戸方から)新宿・本町・番場の三集落があったようです。
このあと、茅の輪くぐりをして、本殿に参拝し、今日の道中無事をお祈りしてきました。
再び甲州街道に戻ります。
番場は宿場町の諏訪方にあたり、ここまでが府中宿のエリアです。
次の宿場は、多摩川を渡って日野宿。
上石原宿→府中宿
距離 5.0km
所要 1時間10分(休憩除く)