人権、環境、道具箱
世に倣い、私もこの1年を振り返ってみる。
4月、人事異動の季節。新たに異動してきた方に、こう紹介された。
「こちら<かなりや>の高梨さん。この人ねえ、すごい道具箱持ってるんだよ!」
今年の私の「うれしかった大賞」は、この言葉に決定である。
本当は私のものではなくシェルター<かなりや>の備品だが、道具箱が私の「バディ」であることをわかってもらえたのが、とてもうれしかった。
私の愛する道具箱。
キミがそばに居ると、大抵の困難は乗り越えられる気がするんだ。
中には各種カッターやドライバー、巻尺はもちろん、六角レンチセット、ラジオペンチにネジザウルス、モンキー、万能はさみ、針金、バインダー、紙やすり、結束バンド、水道パッキン、ダボ、洗濯機設置に使う水栓ニップルがゴチャっと入っている。
箱には入っていないが、電動ドライバーセットとスチームクリーナー、脚立も立派な「チーム道具箱」の一員である。そしてその背後にはホームセンターと通販ショップ「モノタロウ」が控える。軽バンと軽トラがその脇を固める、という布陣である。
書き出してみると、頼もしさと愛しさがこみ上げる。一緒に現場をこなしてきた、私の大切な仲間たち。
やっちゃえ!やっちゃえー!
道具箱の中身は、15年ほどの歳月をかけて、少しずつ充実していった。
私が<かなりや>に入職した当初、シェルターからアパートに移る方の支援は、ずいぶん貧相だった。生活保護から家具家電を買うお金(家具什器費。2022年で30,600円)が出ますからね、と手続きを説明する。家具什器費では購入が許されないテレビの寄付があれば、それを提供する。その程度だった。
退所後のアパート訪問で、家具家電がなかなかそろわない方がいることを知った。路上生活が長かった方のなかには、何年もカーテンを買わないまま、窓に新聞紙や段ボールを貼って生活し続ける方もいる。ちゃぶ台がわりにずっと段ボール箱を使い続ける人もいる。
「こんなんじゃダメだわっ!」と同僚のインコ姉さんが支援に乗り出した。シェルターの生活環境を整えるだけでは、退所後のアパートとの落差が大きくなってしまう。シェルターのほうが快適だった、戻りたい」と再路上化されたらかなわない。アパートはヤダ、ここに住む!と言われても困る。
だから「アパートに入れてよかったね」という物語を崩すわけにはいかないのだ。
そのためにはアパートのほうを快適な空間にしなくては。
「まず買い物同行して、必要なモノをできる限り集めるところからだね。ひばりちゃん、車、出して!」
道具箱は、このときから育ちはじめた。
支援のパターンもできていく。
利用者さんに、カーテンと物干しざおのサイズはしっかり確認してくださいね、と念押しし、内見に送り出す。
新居が決まれば買い出しだ。
おっと、ガス開栓の予約もお願いしますね。
そして転居当日、購入品と荷物を運びこむ。
包装をはがす。段ボールから出す。
カーテン、照明器具を設置する。
幼いお子さん連れのシングルマザーには、家具の組立ては大変だ。
じゃあ、私たちが電動ドライバーでやっちゃおう!
無償で譲り受けた洗濯機。設置業者を呼ぶと料金がかかる。
じゃあ、私たちが設置しちゃおう!
冷蔵庫の配送料?私たちで運んじゃえー!
みんなで作業し、あらかた部屋が片付く。
テレビももう見られるね。
ゴミはこちらで持ち帰るから、安心してね。
そして訊く。
「どう?やっていけそうな気がします?」
<かなりや>入所の時点と、退所してアパートに入居する時点とで、同じ質問を投げかける。「はい」と言っていただければ、ココロのなかでガッツポーズである。
並行してアパート退去を手伝うようにもなった。
大型のタンス?分解して処分場まで運んじゃえ!
これ、まだ使えるのに廃棄するの?
他の方にプレゼントしたいので、寄付してください。
ダボが足りない?在庫があるから大丈夫。
大きい家具?バラして運びまーす。
壊れたテレビ?リサイクル券買って、処分場に持ち込んじゃえー!
道具箱の中身はこんな過程のなかで充実していった。周囲のみなさまの暖かい応援とご指導のもと、道具箱と私は一緒に成長してきたのだ。
人権の具現化
身体を動かし汗をかく快感。ちょっとした冒険感覚。徐々に自分のスキルが上がっていく喜び。納得のいく支援ができた事実。
お金がない方の、お金が出ない状況での支援なので、どこからも対価は受け取れない。
だから、それらがささやかな報酬だった。
そんななか、遠くで「住まいは人権」というスローガンが響いた。日本国政府はまだまだ「適切な居住の権利」を保障できていない。住まいの確保を阻まれている人々がよりスムースに入居できるようにしよう!
言われてみればその通り。「住まいは人権」だね、と思う。
そのためにもやっぱり照明器具を取り付けなきゃ。冷蔵庫を運び込まなきゃ。洗濯機の設置も必要だし、まずカーテンがなくちゃ…
…「適切な居住の権利」の具現化は、道具箱がないと始まらないものね。
「住まいは人権」運動が結実し、2017年改正の住宅セーフティネット法(住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律)では「居住支援法人」という枠組がつくられた。入居前には「登録住宅の入居者への家賃債務保証」や「住宅相談など賃貸住宅への円滑な入居に係る情報提供・相談」、入居後は「見守りなど要配慮者への生活支援」をする(全部でなくてよい)。
ふうむ。
「入居に係る情報提供・相談」。
情報提供と相談だけでは「適切な居住の権利」を具現化できるとはかぎらない。だが居住支援法人には最大1,000万円ほどの補助金が出るらしい。ちなみに<かなりや>は居住支援ではなく入所者の退所支援をしているだけなので、居住支援法人になって補助金を受け取ることはできない。
いや、補助金が出ようが出まいが、誰かが住まいを「適切化」しなければ、「適切な居住の権利」は絵に描いた餅になってしまう。具現化されない人権は、空っぽの理念として留め置かれてしまう。
だから私たちは「人権」というより「地べたの必要感覚」に沿って、道具箱と一緒に成長してきた。
これに対し「住まいは人権」論には道具箱の話は出てこない。人権を具現化するため不可欠な照明器具や冷蔵庫の入手・搬入・設置の話は出てこない。なぜだろう。不思議だ。
活動家たちは、自ら主張するその「人権」を、自分以外の誰かに具現化してもらうつもりなのだろうか。
環境との相互作用
「適切な居住の権利」の具現化とは別に、私はこの作業がソーシャルワークの王道だとも思ってきた。「人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する」からである。
照明器具、カーテン、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、ちゃぶ台…
これらを入手し配置する過程は「人間と環境との相互作用のインターフェース」そのものではないか。カレル・ジャーメインさんの『エコロジカル・ソーシャルワーク』を読んで、うんうん、そうだよね、と思ったものだ。
ところが日本のソーシャルワーク/社会福祉界では、「社会的・物理的環境」のジャーメインさんよりアン・ハートマンさんの「エコマップ」のほうが浸透力が強かったのか、「エコロジカル」という場合、自明のうちに人間関係や社会資源にフォーカスされている印象を受ける。親族関係とか、福祉機関とか、常連のお店とか、頼れるお友達とか、そういう人間-社会的な要素しか登場しないのである。
エコマップ的な発想のもとでは、どうしたって道具箱の話は出てこない。ジャーメインさんの「エコ」とハートマンさんの「エコ」は別物だと思うのだが、どうなのだろう。
いずれにせよ日本のソーシャルワーク/社会福祉界では、生活に必要な家財道具を整えることは、「住まいは人権」運動以上に無視されてきたようだ。
だが想像してほしい。
照明器具を買ったのはよいけれど脚立がない。どうやって設置したらよいか途方に暮れる。暗い新居に一人ぼっちで、いよいよ心細くなる。
炊飯器があれば「お米さえあればどうにかなる」と思える。気が向けば炊き込みご飯だって、ケーキだって作れる。可能性が広がる。
テレビ台がなくて床置きし、うつむいてテレビを見るのと、テレビ台に置いてまっすぐ画面を眺めるのとでは、どう違うだろうか。
「人びとがその環境と相互に影響し合う接点」とは、たとえばこういうことではないか?
もしこういう作業はソーシャルワーカーの仕事ではないというのなら、ソーシャルワーカーも活動家と同様に「人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する」ことを別の誰かにやってもらうつもりなのではないか。
高等専門教育を受けたソーシャルワーカーや国家資格をもつ社会福祉士はインテリなので道具箱作業などするものではない、自分以外の誰かがやるべきだ、というのであれば、とんだエリート主義である。そうでないことを祈るばかりだ。
それはともかく。
実際には、私のまわりには、快く一緒に作業してくれる支援者仲間がけっこうたくさんいる。私が悔しがるほどのスキルをもつ人もいる。
道具箱仕事が無視されているのは言説上のことに過ぎず、記述の対象からはじかれた日常的実践は、現場でちゃんと息づいている。
私はそれを知っている。
人権を具現化する仲間。
具体的時空間のなかで、そのつもりもないままに、ソーシャルワーク理論を実行している仲間。
「この人ねえ、すごい道具箱持ってるんだよ!」
やっぱり、最高の誉め言葉かもしれない。
今年の私の「うれしかった大賞」は、こんなわけで、この言葉に決定したのである。
それではみなさま、よい新年を!
(おしまい)