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ポジティブばかりじゃいられない!

 映像作家の増田達彦です。久しぶりの投稿です。
このごろの「ポジティブ」な生き方をしよう!
常に「ポジティブ」な気持ちで頑張ろう!
みたいな社会の風潮に、ちょっと辟易しています。
 
 確かに、テレビ番組、映画、音楽などなど、メジャーなコンテンツでは、基本的に「ポジティブ」な生き方、考え方、心構えでいようよ、という内容がほとんどです。
 ハリウッドの映画は、主人公がポジティブに生きることで様々な困難を乗り越え、みんなハッピーエンドを迎えるのがほとんどです。
 日本の普通の人々も、常にポジティブに生きて「勝ち組」にならなくちゃいけないみたいな、脅迫概念に近いものがありませんか? 
 
そもそも「勝ち組」ってなんでしょう?
高学歴?高収入?大企業に就職?常に陽の当たる人生?
それが幸せを測るモノサシなんでしょうね。
私のように、低収入、零細事業主、陽の当たらない毎日、はいわゆる「負け組」なんですかね?
でも、決して不幸じゃないですけどね。
・・・嫌な言葉ですね。

 

 そういえば「勝ち組」「負け組」に似たような、人間差別が流行った時代が、1980年代にもありました。人々をお金持ちか貧乏かで区別する、「マル金」「マルビ」です。
1984年、ある広告代理店の人々が言い出し、一躍、流行語になりました。みんな、マルビ(貧乏人)であることは恥で、マル金(お金持ち)でいなくちゃ、という風潮でした。
 
 確かに1980年代は、バブル経済に向かって人々の暮らしが向上していく、右肩上がりの経済成長の時代でした。マル金で、明るくて、ポジティブであることがいいことだとされ、貧乏人は「マルビ」、性格が明るくない、ちょっとおとなしくて地味な人は「ネクラ」と呼ばれ、明らかに差別されました。

 それを助長したのが、ミーハーで軽薄な消費文化を是とした漫画やテレビ番組、映画などを世に氾濫させた「〇〇チョイ・プロダクション」です。
 彼らが作った「私をスキーに連れてって」という映画に象徴される、あのミーハーで軽薄で拝金主義のトンデモクリエイターの方々ですが、日本の若者たちは、こぞってその流行に乗っかったものです。

 
 
 当時私は20代後半。放送局に勤めるサラリーマンでしたが、私は「マル金」「マルビ」という差別が大嫌いでした。
 様々な事情から社会の底辺でマジメに勤勉に働きながらも決して金銭的に恵まれていない人々を「マルビ」と蔑むことは、まさに人間の尊厳をバカにする、最低の風潮だと思いました。
    「マル金」「マルビ」を言い出したコピーライターや、「〇〇チョイ・プロダクション」もさることながら、その風潮に乗っかっていた軽薄な日本人はみな同罪です。下劣で卑しい心の持ち主です。

 
 80年代は、松田聖子や中森明菜、小泉今日子などのアイドルが続々と出て、派手で華やかな時代でした。
   音楽業界では明るくノリのいいニューミュージック(最近はCity Popというらしい)が流行し、オシャレなカフェバーが次々とできて、消費は美徳、をそのまま体現したような軽佻浮薄な時代でした。

 
 ただ、70年代に十代の貧しい学生時代を過ごした私には、80年代の「マル金」「おいしい生活」などといった、ミーハーな大量消費文化は、表層的でなんとも胡散臭いものを感じ、どうしても好きになれませんでした。
 まして、金持ちを「マル金」と褒めたたえ、貧乏人を「マルビ」と蔑むような公然とした差別意識は、人間としての尊厳や道徳観を切り捨てた、全く許せない価値観でした。

 
 確かに、音楽、特に流行歌の世界を振り返ってみると、70年代は、ヒット曲の多くがマイナー(短調)の、暗く切ない曲調の曲でした。
 
歌謡曲では山口百恵やピンクレディーの曲も、テンポは良くてもマイナー(短調)な曲が多いですし、FOLKに至っては「神田川」「22才の別れ」など、曲調も歌詞もマイナーで悲しい結末を予感させる歌です。
 曲調はメジャー(長調)なヒット曲「木綿のハンカチーフ」ですら、その歌詞の内容は、決して明るい未来ではありません。ポジティブというよりは、ネガティブな歌詞です。
 でも、当時の楽曲の多くは、その中に深い人生の本質のようなものが、きちんと描かれていたと思うのです。

 
 それは、70年代が、60年代の安保闘争などで挫折した学生運動に緒を引く、あきらめと自己批判、反省と引きこもりの時代だったからかもしれません。
 しかし、社会や政治や経済に対して、反省と自己批判をしながら自らの内面を見つめるというネガティブな姿勢こそ、実は、新しい創造を生み出すエネルギーになるのではないでしょうか。
 真のポジティブな生き方とは、ネガティブな自分の内面や社会の裏側を、目をそらさずきちんと見て、考え、自分の生き方を模索していく事、とも言えるのではないでしょうか。
  


 今、世界は温暖化が止まらないし、ウクライナでは戦争が終わる気配もないし、独裁者による庶民の洗脳や圧政、少数民族の虐待がどんどん増えているし、動植物はどんどん絶滅してるし、日本国内でも政治家や金持ちによる経済優先の社会構造で庶民は物価高に苦しみ、失業者は一向に減らず、企業内ではパワハラ・リストラがこっそり横行していて(たまにBIG MOTORのように表に出ますが)、うつ病などの精神を病んでいる人がいかに多いことか。

 それなのに、CMではきれいなお姉さんが大量消費を勧め、情報番組やスポーツ番組では「ポジティブ」をほめたたえ、みんな元気で笑顔で人生に前向きでいなくちゃいけないように思わせられる表現だらけ。

 メディアだけならともかく、日本人一億総ポジティブでなくちゃならないようなこの風潮に、私は、どうしても共感できないのです。
 
 つらい現実と向き合って、心が疲れてしまうことはいけないことですか?
 心が病んでしまうことは、いけないことですか?

 そんなネガティブな状況になることを、なってしまう人がいることを、「悪くないこと」だと認めてもらえませんか?
 それで、追い込まれずに、自らを見つめて許してネガティブと共に生きていく事を許してくれませんか?

 
 せめて、自分のネガティブを、自分だけでも許してあげましょうよ。それで多少でも救われるなら、いいじゃないですか。
    みんなが大谷さんになれるわけないんですから。

 元気なふりをして、頑張って、前向きで、笑ってばかりなんかいられないですよ。
    で、結局プツンと切れちゃって、自殺したり事件を起こしたりするより、ネガティブな状況の自分ときちんと向き合ったりしたら、きっとどこかに出口が見つかって、逃げ出す方法があるはずだから。
 
 ひょっとしたら、70年代のように、そこから新たな創作が生まれるかもしれません。
 ドロドロの暗いものでもいいじゃないですか。
 悲しく切ないものでもいいじゃないですか。
 こんな時代、ポジティブばかりじゃいられないって。
 
              映像作家 増田達彦










 

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